和田 誠     ワダ マコト

「話の特集」の創刊からのアート・ディレクター

装幀した本

ちゃんばらグラフィティー/親はあっても子は育つ

ここに昭和二十四年五月二日の「東京新聞」があります。ペラリと一枚で、二面までしかない。その代り今とは比べものにならないほど活字が小さくて、その分情報が詰まっている。戦後四年目、まだまだ節約の時代だったわけです。

裏がえすと「日曜特集・時代の子等を探る」で、これが二面の半分を占めている。書き出しは「初の子供の日が近づいた」。なるほどこれが特集の理由でした。-
 で、ここからが本題です。
 紙面の中央に、子供の日特集の一部として、子供たちが人形劇を見ている写真があり、その写真は舞台の裏側から撮ったもので、指人形を操っている学生服の青年数人が写っている。「人形劇が誘う童話のユメ」という見出しで、テアトル・プッペの第二回人形劇公演「シンデレラの靴」と「アリババと盗賊」が、子供を夢の世界へ誘いこむ、と記事は説明しています。
 その横に「コイノボリ」というタイトルの四コマ漫画が載っている。池の鯉を釣って鯉のぼりにするという、子供が投稿したつまらない漫画です。漫画の下の説明文は「この漫画をかいた和田誠君は今年小学校を卒業して現在中学一年生です」。
 今から二十年ほど前に、小沢昭一さんから「昔のものを整理していたら、学生時代ぼくが人形劇をやった記事を載せた新聞が出てきたんです。懐しいなあ、と眺めて、ひょいと横の漫画を見たら、なんとあなたが描いたものだったんでびっくりした」という話をきいた時には、ぼくもたいそうびっくりしました。
そう、指人形の青年のうち、まん中にいるのがまぎれもなく若き日の小沢さんだったんです。お互い相手のことを知る筈もなく、でも新聞紙上で隣り合わせていた。やがて人形劇青年は俳優となり、漫画少年はイラストレーターになりました。不思議な縁であります。
 あの時、小沢さん大学生、ぼく中学生ですから、齢の差はかなりある。でも七歳ほどの差なので、お互い五十代、お互い六十代という数年間もあります。だからどうした、ということではありませんが、
KAWADE夢ムック「小沢昭一 芸能者的こころ」所収、「和田誠 小沢さんとの物語」より