異形の王権 著者 網野善彦 平凡社ライブラリー 平凡社

1993630日初版第1刷 1993715日初版第2刷 ISBN4-582-76010-4

本著作は19868月、平凡社より刊行されたものです。

異形の王権表紙画像

婆娑羅(ばさら)の風を巻き起こしつつ,聖と賎のはざまに跳梁する「異類異形」、
社会と人間の奥底にひそむ力をも最大限に動員しようとする後醍醐の王権、
   南北朝期=大転換のさなかに噴出する〈異形〉の意味と力を探る。

異形の風景

摺衣と婆娑羅-『標注 洛中洛外屏風 上杉本』によせて
はじめに/1-「非人」の衣装/2-「異類異形」といわれた人々/3-服装の「近世化」/むすび
童形・鹿杖・門前-再刊『絵引』によせて
はじめに/1-童と童形/2-撮棒と鹿杖/3-門前と芸能/むすび-女性の一人旅
扇の骨の間から見る
1-しぐさの意味/2-顔をかくして見るしぐさ/3-扇の呪力

異形の力

蓑笠と柿帷-一揆の衣裳
1-記号としての衣装/2-一揆のいでたち/3-柿色の衣/4-聖なるものの象徴として/5-「異形」の意味の転換と「無縁」の思想
飛礫覚書
中世の飛礫について
はじめに/1-近代・近世の飛礫/2-中世後期の飛礫/3-古代末・中世の飛礫/むすび
異形の王権-後醍醐・文観・兼光
はじめに/1-伊賀兼光-六波羅頭人の裏切/2-文観-「異類」の僧正/3-後醍醐天皇-「異形」の天皇/4-後醍醐の賭け-古代王権の危機/5-南北朝の動乱-権威の構造の転換/むすび

あとがき  所蔵一覧初出一覧

解説-身ぶりの記憶  鶴見俊輔

あとがき

 本書は、南北朝の動乱を境としておこった、日本列島の社会の大きな転換の諸相をめぐって、すでに発表したいくつかの小論に修正、補足を加え、一編の新稿を付してまとめたものである。
 この動乱の歴史的意義については、これまで長年にわたって、あれこれと考え迷い、拙い試論を提出し、多くの御批判をいただいてきた。もとより本書は、それに十分応えうるものではなく、研究すべき余地、論ずべき問題は多々残されている。しかしともあれ、これによって、従来の拙論を一、二歩は進めることができたのではないかと考えたので、このような形で一書とし、あらためて大方の御批判を仰ぎつつ、さらに考えつづけていきたいと思う。
 ただ、このような関心に沿ってまとめた本書が、果してこの「イメージ・リーディング叢書」にふさわしいのかどうか、私自身はいささか疑問に思っている。
 たしかに第一部に収めた小論は、『絵引』の再刊に触発され、絵巻物に見られる人々の姿やしぐさ等に興味を抱いてまとめたものではあるが、「絵を読む」などというのもおこがましい、文献から得た知識を絵にあてはめてみた程度のものでしかない。まして第二部、第三部は「絵」とはほとんど全く関係がないのである。
 羊頭狗肉、名が体を現わしていないことは間違いないと思うが、編集部の強いお勧めに従って、あえてこのような形で公刊することにふみ切った。ただ、関連する図版をできるだけ掲載し、叢書の趣旨に沿うようにつとめてはみたものの、到底、叢書名に及ぶものにはなっていない。この点、読者の御海容をお願いしたいと思う。
 それはともかく、本書の第一部の小論は、神奈川大学日本常民文化研究所による『絵引』の再刊のさいの、校訂の仕事を通してまとめたものである。同研究所がこうした機会を与えられたことを感謝するとともに、再刊『絵引』の出版以来、本書をまとめるにいたるまで、すべての点で多大な御尽力をいただいた、編集部の石塚純一、内山直三の両氏に、心からの謝意を表したい。 1986年7月14日 網野善彦

解説-身ぶりの記憶   鶴見俊輔

 日本歴史について私のもっている考え方は、主として、小学唱歌から来ている。唱歌をとおして歴史の見方をつくるという思想的影響のありかたは、欧米諸国、中国、インドの近代史にはなく、他の土地についても似たような事情をきいたことがない。日本の近・現代の特色であるように思う。
 小学唱歌、それを補う形で国語教科書、国史教科書、さらに祝日の行事にさいしてよまれる教育勅語、それらがあいまって、日本史についての私の考え方をつくった。それは、私よりも前の明治・大正、私よりあとの昭和(敗戦まで)に小学校に入った七十年ほどの幅の諸世代の日本人にもあてはまるだろう。
 小学唱歌を入り口として、こどもの心にはいってきたこの日本史は、音楽とともにひろびろとひらけてゆく活人画であった。
 その日本史には、三つの劇的な場面がある。ひとつは天孫降臨。もうひとつは、南北朝対立のさいの南朝方の苦難。もうひとつは江戸時代の末に幕府をたおして新政府をつくる明治維新の偉業である。三つの劇的場面の中心に天照大御神、後醍醐天皇、明治天皇がいた。
 天照大御神は日本のはじまり、明治天皇は(私のそだった時代にとって)現在の日本の到達点を示す目じるしであり、その中間にあるさまざまの人物の中でとくに後醍醐天皇がえらばれた。
 私の心の底に今もあるこの日本史に対して、網野善彦の日本史は、これを切りくずすものとして対している。しかし、後醍醐天皇を重要視するということにおいては、一致している。その位置づけかた、えがきかた、意味のとらえかたが、小学唱歌とちがうのである。
 著者は、渋沢敬三の指導を受けて編集された『絵巻物による日本常民生活絵引』にふれた時に、かつては神の姿としてうやうやしくあつかわれていたおなじ身なりが、鎌倉時代の末から南北朝の時代を過渡期として、いやしまれるようになったことへの手がかりを見出した。民俗習慣の大きな転換を、その小さな入り口からうかがうことができた。
 幕府の権力をうちたおし、一時はみずから権力をにぎり、やがてまた新しい幕府にうちまかされる後醍醐天皇は、異形の人びとをよぴあつめて新しい力をよびさました異色の天皇であり、彼自身がこれまでの天皇とはちがう身なりをした画像となってのこっている。
 時代の流れは、後醍醐をのりこえて、その後、異類異形は差別語となって日本社会に定着する。
 権力者の交替としてだけでなく、おおきな身ぶり・身なりの変動として、鎌倉から南北朝への時代を見るこの見方は、民俗学を歴史学とむすびつける著者の方法の成果である。
 身ぶり、すわりかた、身なりの記憶は、文献をとおしてでなく、私たち自身によって記憶され、つたわってゆく。文字の導入以後、くらしの全部が文字によっていとなまれるわけではない。文字をとおさずにつたわってゆく文化は、文字がひろがった後にも、のこる。私たちは、明治以後の学校教育のめざましさに目をうばわれて、文字文化の面で現代の日本文化をとらえがちだが、今日も、非文字の文化は生きている。今日のこされている古代以来の絵巻物への洞察は、やがて、私たちの現在にのこる非文字の部分に気づく道をひらいてゆくだろう。
 身分のしがらみから自由になった一個の未知の人間として一歩ふみだす決断は、これからはっきりとわからない世界歴史の状況にふみいってゆく私たちにとって、日本の局地的な民俗と世界の流動的な状況とが交錯するさまざまの場面を考える時に、はげましをあたえる。伝統は、私たちをしばりつけるためだけに使われるものではない。
 身ぶりは、国境によってかこいこまれるものではない。日本語という民族の言語によってかこいこまれるものでもないし、日本の国家とか政府の権力によってきまってしまうものでもない。絵引につたえられた身ぶりを手がかりとして日本史を読みとこうとする著者の眼は、国家権力の変動の側からだけ日本史を読む見方とは別の、民際的という意味でのインタナショナルな地平をはるかにのぞんでいる。身ぶりの日本史は、人類の歴史にむかう。

本書に掲載された図版につきましては左記の方々の御協力を得ました。

『一遍聖絵』清浄光寺・歓喜光寺/『一遍聖絵』前田育徳会/歓喜天像 常光寺/『後醍醐天皇像』清浄光寺/『島原合戦図屏風』秋月郷土館/『茶吉尼天曼茶羅』大阪市立美術館/『鳥獣戯画』高山寺/『月次祭礼図』東京国立博物館/『伴大納言絵巻』出光美術館/『法然上人絵伝』知恩院/文殊菩薩騎獅像 般若寺/『融通念仏縁起絵巻』清涼寺/『遊行上人縁起絵巻』光明寺/『洛中洛外図屏風』米沢市/『洛中洛外図屏風』東京国立博物館
                                 神奈川大学日本常民文化研究所
初出一覧
異形の風景
摺衣と婆娑羅『文学』第52巻3号】1984年3月
童形・鹿杖・門前『新版絵巻物による日本常民生活絵引』解説19848
扇の骨の間から見る『民具マンスリー』第17巻3号1984年6月
異形の力
蓑笠と柿帷『is』特別号「色」1982年6月
飛礫覚書『日本思想大系』第21巻「中世政治社会思想」上月報197212
中世の飛礫について『民衆史研究』第23198211
異形の王権 新稿