おもちゃ戦後文化史-時代の証言者たち 中江克巳 著  泰流選書 泰流社

1983910日第1刷 ISBN4-88470-445-2 C1036

おもちゃ戦後文化史カバー画像

目次

昭和20年代

ブリキ製のジープ
ジープのおもちゃに行列/敗戦後のドン底生活/空カン利用のおもちゃ
食品おもちゃとメンコ
駄菓子屋のおもちゃ/食べて遊ぶおもちゃ/紙芝居の復活/メンコの流行
フリクションおもちゃ
おもちゃの技術革新/おもちゃの海外輸出/ゼンマイおもちゃの魅力/フリクションの登場
おもちゃの素材革命
プラスチックの登場/軟質ビニール製の人形/人気を集めたプラモデル
おもちゃの電化
電池で走るおもちゃ/生活の豊かさ求めて/電化製品のおもちゃ

昭和30年代

画期的な電動おもちゃ
消費革命とおもちゃの高級化/ラジコン・バスの出現
ブームおもちゃ
ホッピングのブーム/爆発的に売れたフラフープ/黒い人形・ダッコちゃん
ゴッコ遊びのおもちゃ
赤胴鈴之助の「赤鞘の刀」/月光仮面のピストル/テレビジプシー
野球ゲーム
立体化した野球盤/野球選手のブロマイド/競作になった野球盤
トイガンのブーム
人気を呼んだ百連発ピストル/マジックコルトとガンブーム/ミニチュアガンと西部劇ブーム
ヒーローおもちゃ
子どもたちの人気者/鉄腕アトム/鉄人28
ママゴトおもちゃと人形
女の子のゴッコ遊び/ママゴト遊びの道具/カール人形と着せ替え人形/大人の顔をもつバービーとタミー/メカニックなお話人形
ブロックおもちゃ
新鮮なレゴのブロックおもちゃ/国際的になったダイヤブロック/文字遊び

昭和40年代

レーシングカーとミニカー
スピードを楽しむレーシングカー/コレクションを楽しむミニカー/ミニカーのブーム
教育おもちゃ
画期的なマスター器/多様化したブロックおもちゃ/ブロックおもちゃのブーム
オバQ・ケロヨン・パンダ
ユーモラスな「オバQ」/奇妙なカエルのおもちゃ「ケロヨン」/異常人気の「パンダ」
怪獣ブーム
異色なおもちゃ「ゴジラ」/ウルトラマンと怪獣/第二次怪獣ブーム
宇宙おもちゃ
宇宙時代のおもちゃ/人気を呼んだサンダーバード/宇宙おもちゃのブーム
ファッションドール
おしゃれセット/リカちゃん人形の登場/ブームになったリカちゃん人形
クッキングトイ
ホットケーキが焼けるママ・レンジ/メカニックなママゴト道具

昭和50年代

超合金ロボット
巨大ロボットの草分け「マジンガーZ」/マグネットロボット「鋼鉄ジーグ」/合体ロボットのブーム
テレビゲーム
異常なインベーダーの人気/テレビゲームの登場/ブームになったゲーム&ウオッチ/多様化したエレクトロニクス・トイ
テクノ・トィ
空気エンジンのおもちゃ/産業用ロボットおもちゃ/ユニークなテクノ・トイ/センサー付きロボットおもちゃ

まえがき

 年代の異なる何人かの人と、おもちゃについて話をしてみたが、それぞれ子どものころに遊んだおもちゃの思い出は深く、だれしもその人なりにノスタルジーを抱いているようであった。そのうえ、年代によって話題になるおもちゃが異なるのも、非常に興味深かった。これは育った地域や環境によっても異なるようである。
 いずれにせよ、むかしは素朴なおもちゃが多かった。戦前にもゼンマイで走る自動車や汽車などの金属おもちゃをはじめ、人形が器械体操をするおもちゃなど、工夫をこらしたおもちゃがあった。しかし、やはり素朴なおもちゃが主流で、メンコやビー玉で遊ぶことが多かった。わたし自身も竹トンボやタコ、竹馬などを手づくりした記憶がある。手づくりおもちゃの場合はそのつくり方に、素朴なおもちゃは遊びに、子どもの技量差が生じてくるが、よくその技を競い合ったものだ。
 おもちゃの原点は「手づくり」で、たとえばコケシにしても、もともとは父親が子どものためにつくり、与えたものだという。
 ところが、いまはおもちゃを手づくりするということはほとんどない。あるとしてもプラモデルなどのように、キットを買ってきて組み立てるくらいだ。これは組み立ての過程が遊びだから、おもちゃを手づくりするのとはちがう。現在のおもちゃ屋に並んでいるおもちゃを見ればわかるように、すべて自動で動くから、遊びそのものに子どもの技量差は存在しない。あるのは所有の差だけということになろうか。
 むろん、といって技量差が完全にないわけではない。テレビゲームやゲーム&ウォッチなどのように、点数や時間を競うという意味では技量差がある。つまり、技量の内容が変わったわけである。
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 この何か月間か、本書の原稿を書くということもあって、とくに熱心におもちゃ屋に足を運び、おもちゃを観察し続けてきた。
 そこで感じたのは、最近のおもちゃは驚くほど高級化し、精密化しているということだ。もっともゼンマイ仕掛けの超ミニカー「チョロQ」のように、むかしながらの素朴さを感じさせるものもある。電動おもちゃの全盛時代にゼンマイ仕掛けとは、たしかに古めかしさをともなうが、しかし、デザインや色彩はまぎれもなく現代のものだ。
 おもちゃの戦後史を振り返ってみると、現在ほどおもちゃ文化の隆盛した時代はなかった。敗戦以来38年、社会そのものが激変したように、おもちゃの世界にもいくつかの革命的なことがあり、大きく変わってきた。
 その一つは素材革命で、プラモデルやブロックに代表されるプラスチック製のおもちゃが出現したことだ。ブームを呼んだ「ダッコちゃん」やカラフルなママゴト道具も、この素材革命の産物だし、人形はソフトビニール製になって、肌の感触がよくなった。
 もう一つは技術革新がどんどん進んだことである。電動からリモコンへ、そしてセンサーつきと変わる一方、エレクトロニクスを使ったゲームおもちゃなどが、つぎつぎに登場してきた。昭和20年代のおもちゃで育った人は、ただ驚くばかりであろう。とくにゲーム&ウォッチが人流行したため、LSIの使用量が急増、いまや電卓に迫る勢いで、第二位を占めるまでになったといわれる。
 最近のおもちゃはそのように、たしかに精密にできているし、カラフルでデザインも豊富だ。しかも自動だから、スイッチオンで勝手に動いてくれる。子どもの創造力など、まったく必要としない。
 よくいわれるように、近ごろの子どもは受け身型が多い。専門家によればテレビの影響だというが、たしかにいまのテレビはワンウェイだから受け身にならざるを得ない。もし番組が好みに合わないなら、チャンネルを切り換えればよいのである。おもちゃの選択や遊び方にも、そうした傾向があるようだ。
 これも専門家の指摘だが、そのような傾向が強まれば強まるほど、高級なものでなければ満足しなくなるという。その結果、まるでイタチゴッコのように、いっそうおもちゃが高級化し、自動化して、遊びに創造性を加える余地がまるでなくなっていく。これは子どもの創造性を考えるうえで、大きな課題であろう。
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 おもちゃは子ども文化の核をなすものだが、しかし、おもちゃの送り手は大人である。だから大人が子どもに対して、こうあってほしいと夢を託してつくり上げる場合もあるだろう。また、おもちゃといえども商品だから、子どもたちの人気を得て、売れなければどうしようもない。そのために、子どもの潜在的な欲望を掘り起こすようなおもちゃを開発しようとするのは、ごく当然のことだろうと思う。
 たとえば、よく戦争おもちゃを有害おもちゃとして非難する人がいる。だが、戦争おもちゃで遊び、育った人のすべてが戦争好きになるわけではない。あくまでもそれは遊びであって、実際の戦争とは似て非なるものだが、それを正しく認識させるのが大人の役目であるといえまいか。
いずれにせよ、いくら精密で高級なおもちゃでも、子どもが興味を抱かなければ、子どもはそのおもちゃでは遊ばない。子どもにとっての価値観はおもしろいか、おもしろくないかだけである。ただ心配されるのはゲームおもちゃの流行などで、ひとり遊びをする子どもが増えたことだ。しかし、そうしたおもちゃで子どもの創造性を発揮することが、本当にできないのか、という疑問もある。
 これからの時代を考えれば、マイコンはますます普及するだろうから、そうしたおもちゃを否定するわけにはいかない。問題は遊び方であり、もしいまのおもちゃや遊びに欠けるものがあるとすれば、別の面で補うことを考える必要があるということだ。
 おもちゃの世界を取材し、おもちゃの戦後史を振り返りながら、そんなことを考えた。
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 この本は、おもちゃの戦後史を世相と重ね合わせて書こうとしたが、戦後に出現したおもちゃの種類はじつに多く、そのすべてを網羅するのは、とうてい不可能なことであった。したがって、おもちゃの世界に変化をもたらしたおもちゃ、あるいはブームとなったおもちゃなどを中心に、デジタルに俯瞰するという手法をとった。それでもおおよその流れがわかるように配慮したつもりだ。
 わたし自身、おもちゃの研究家ではないが、おもちゃそのものには少なからず関心を寄せていた。泰流社の竹内貴久雄編集長との雑談のさい、たまたま少年期の話からおもちゃへと話題がひろがり、この企画が生まれた。
 実際に原稿を書く段におよんで、ブリキおもちゃ収集家の小泉時氏に、昭和20年代から30年代のおびただしいおもちゃを見せていただき、大いに刺激を受けた。そのほか多くの友人や知人から、おもちゃにまつわる思い出を聞き、ずいぶん参考になった。
 文献類では、とくに斉藤良輔氏の労作『昭和玩具文化史』に、さまざまな点で啓発されたし、谷啓氏の『現代玩具世相十五年史』にも教えられるところが多かった。さらに新聞や雑誌は大宅文庫のお世話になり、まったく感謝のほかない。
    19836月    中江克己