女から女たちへ-アメリカ女性解放運動レポート 

原編者
 S・ファイアストーン 訳者 ウルフの会  合同出版

1971年8月20日第一刷発行 装丁 朝倉摂 5036-00029-2363

ウルフの会・翻訳グループ

秋山洋子(あきやま ようこ)教師/板谷翠(いたや みどり)テレビ局勤務/榎 美沙(えのきみさ)生化学専攻/黒田ユキ(くろだ ゆき)出版社勤務/島崎道子(しまざき みちこ)出版社勤務/団 真樹子(だん まきこ)出版社勤務/長谷部恭子(はせべ きょうこ)繊維会社勤務/三本康子(みつもと やすご)教師/梅谷朗子(うめたに あきこ)無職

女から女たちへ表紙画像

訳者まえがき

 まったく断片的な、多くは嘲笑的な新聞記事によって、アメリカの「リブ」の運動がポツポツ日本に紹介されはじめたのは、もう一年半くらいも前のことだろうか。ミスアメリカコンテストにデモをかけたり、ブラジャーを焼き捨てたり、魔女の扮装でウォール街にうって出たり、-こうした行動は、一見、バカげたわるふざけと思えるものだった。にもかかわらず、これらの行動のうしろには、非常にはっきりした思想、鮮烈な主張があるらしいということを、わたしたち日本の女は、自分の嗅覚で嗅ぎつけたのであった。-わたしたちはむさぼるように「リブ」に関する情報を求め、-その過程でいくつかの小グループが一つに溶け合い、アメリカから来たリブのメンバーとも友人となって、じょじょに、アメリカにおける女性解放運動の、めざましい進展の様子を、かなりくわしく知ることとなった。
 アメリカのリブは、こうした女性差別(セクシズム)を、全面的(ト-タル)に、歴史的に、人種差別(レイシズム)と対(つい)にしてとらえていた。このことは、アメリカにおける黒人運動の進展のたくましさを示すものであろう。黒人運動こそリブをつき動かした大きな要因なのだ。黒人が、人種差別に対するに黒は美しい(ブラツクイズビューテイフル)と、全面的に自己のあり方を肯定し、白人文化への追従を拒否するところから出発したように、リブも男に追従し、男の文化(それがすなわち今のいわゆる「文化」のすべてだ!)をマネてその文化圏の中に入れていただくのではなく、まず女たることを肯定し、分断されている女の団結をとり戻し、いままでの全文明を批判しつつそれをつくりかえるという、根源的な革命を主張している。
 アメリカで噴きあげたリブの運動が、またたくまに世界のあちこちに波及したのは、その性質からいって、何のふしぎもない。世界のあらゆる場所で、具体的なありかたはそれぞれちがっていても、女性は長くきびしい抑圧の下に生きてきたのだ。戦争と、搾取、差別とを拡大再生産してきた男の歴史をくつがえせ、と世界中で女たちは叫びはじめている。それはすなわち女である自分自身の解放の要求なのだ、なぜならいつも抑圧の一番下にいたのはそしているのは女たちなのだから。
 『二年目の報告』を選んだのは、これが運動内部で編集出版された、リブの全貌を最もよく伝える小冊子であるからだ。これを日本語で紹介したい、と版権交渉の手紙を出した時、編集責任者の一人であるアン・コートから来た返事はわたしたちを勇気づけた。「これは、女たちによって書かれたものです。翻訳は、女の手で、女だけの手で進めて下さい。そして、あなたがたが費やした時間と労力に十分見合っただけの報酬を取って、お金があまれば、それを版権料に回してください。どんな体裁であれ、できるだけたくさんの女性たちの手に入ることを願っています。」
 『二年目の報告』は、ごく短い宣言文を含めて三四の草稿が収録されているが、訳出するにあたっては、まとまった長い論文を中心に、総量にしておよそ三分の二に切りつめた。
-東京の片隅のダイニングキッチンで、「ウルフの会」が生れたように、日本のあちこちで、女の解放をめざして、さまざまなグループが生まれ、活動が開始されていることだろう。
 そんな無数の地下水脈と、このささやかな仕事をとして、出会いたいというのがわたしたちの願いでもある。この本への感想、批判や、活動の様子を知らせていただければ、こんなにうれしいことはない。
 おわりに、この本の訳出にあたってさまざまな形で協力してくださった女性たちにお礼を申しあげたい。

編者まえがき

 『一年目の報告』(Notes From the First Year1968)は、新しい女性解放運動の手になる最初の刊行物(ジャーナル)であった。これは運動内部の人間ですらなかなか手に入れにくく、いまだにボロボロのコピーをだいじにだいじに保管しているようなありさまだが、この報告書の影響は、深く浸透した。わたしたちが、討論のための急進的女性解放(ラディカル・フェミニスト)の雑誌、つまり、新しい思想をはぐくみ、わたしたちに関係ある政治的問題を明確にする広場を痛切に必要としていることがはっきりしてきた。わたしたちが必要としたのは、運動とともにひろがり、運動の成長を正確に反映し、いつかは歴史的記録文書ともなり、そしてちょうど一世紀前にスタソトソとアソソニ-〔訳注・いずれも19世紀の女権運動家〕の『レボリューション』が果たしたような政治的役割を果たす、そういう運動機関誌であった。
 『二年目の報告』は、その必要にこたえようとしたものである。同時に、わたしたちはこれを、運動のそとにいる人びとにも容易に手にはいるようなものにした。というのは、わたしたちの意見がいろんな仲介物によって(たいていは歪曲されて)他の女たちにつたえられるのは、もううんざりだったから。したがって、この本は、急進的女性解放論者によるについてではなく-最初の公開の刊行物である
-わたしたちの編集方針はただひとつ-誠実さだ。わたしたちは率直に、運動のなかでなにが行なわれているか、どうしたらそれに加われるかを、運動にまだ接していない女たちに示そうと努力した。これをまっすぐに、正直に-原形のまま-読めば、彼女たちは自分で判断をくだすだろう、とわたしたちは考える。
 こんなに若く、生きのいい運動を、図式化することなく素描するのは容易なことではない。-大勢の女たちが新しい境地を求めて手さぐりですすみはじめているとはいえ、すべての女にそうしろと求めることはできない。
 この本のなかでわたしたちがたてた「案内図」(目次を参照のこと)は、できるかぎり柔軟であることをめざしている。重複している部分は、全体のなかでも、もっとも健全なしるしなのである。
 またここに選んだ文章は、それらが収められている章のテーマについて総括的にそのあらゆる側面をカバーするものではなく、むしろ今後の討論のためのテーマを提供することを意図している。
 これらひとつひとつの文章を選んだ基準は、この「第二年目(ほぼ1969年中)」のあいだに、重要かつ政治的に影響力があるとわたしたちが考えたものということであって、おおまかに「急進的女性解放論者」の範囲内という以外には、なんら政治的な判断基準をもちこまなかった。-これらすべての文章のなかの考え方にわたしたち自身が完全に一致しているわけではない。じっさい矛盾撞着があるのはあきらかだ。しかしわたしたちは文をカットしたりせず、最低限の編集的な操作をくわえるのみにとどめた。
なぜそういう方針をとったかといえば、内容の真摯さをそのまま残したいという理由のほかに、
 もうひとつ(同じように政治的な)理由がある-それは反・専門主義(アンチ・プロフェッショナリズム)ということだ。現在の女性解放運動のもたらしたもののうちでも、もっともすばらしいことのひとつは、古い思考のわくや、仮説をうちこわし、真実の思想と感情の流れにしたがおうとする、新しいこころみ、意志・熱意である。ここにはもはや女性のもつべき正しい(上品な)意見(そこらじゅうの広告やクイズは、ダンナさまを飽かせず、逃がさないようにするために、女性は新聞を読んで話題を豊富にしておかなければなりませんなどと謳っているが)などはないし、「女らしくない」とか、もっとひどい悪口をいわれることに対するおそれもない。また「文体」(スタイル)なんてものもない-ただ、いいたいことを、すきなように、できるだけ明確にいう勇気だけが問題なのだ。わたしたちの多くにとって、このことこそが、もっとも解放に役立つことだった-考える自由、いう自由、する自由、私たちのきめるなにものにでもなる自由、そして失敗する自由もここには含まれる。にっこりしない自由、敢えて悪くなる自由。
 そしてわたしたちは敢えて悪くなった-わたしたちの保護ネットを投げすてた-ため、かえっていい結果を生んだと思う。現在の女性解放運動の思考や文章は、直接にそして有機的に現実的な必要性から生まれ育ってきたものだからこそ、こんなにも胸を打つのである(今どき珍しい機能主義だ)。ここ二年の間に、わたしたちは、まさに望んでいたような知性と感情、思考と感覚、個人的なものと政治的なものが、たち現われてくるのを目のあたりにした。これらはすべて、深い、真の意味での「政治」へとわたしたちを導くものだ。女性解放運動はスマートな広告マンの考えているようなものとは似ても似つかぬものなのだ。今後数年のうちには、女性解放論(フエミニズム)はアメリヵの中心的な論点になるだろう。女たちにとっては、ことははじまったばかりなのである。

第一章 女の経験

解説と紹介
 ここに収録された五つのエッセイは、いずれも、女をとりまく日常生活に視点をすえている。社会が女に期待し強要するイメージや役割に反発しつづけて生きてきた彼女たちは、社会全体の変革をめざしながらも、まず、抑圧が女一人一人の内面や生き方にもっとも濃い影を落としていることに着目し、少女時代からその身に刻まれた無数の傷あとを、痛みとともに告発している。
 はじめの三つのエッセイは、女たちの個人史の重なり合う部分から問題をすくいあげ、分析と反撃を加えるという形をとっている。こうした発想は、運動の中で編み出され急速に広まったグループ討議方式(〃意識変革"コンシャスネス・レイジング)から生まれたものと思われる。
 「女の心情」の筆者メレディス・タックスはボストンの社会主義女性解放グループ「パンとバラ」のメンバー。「ビッチ宣言」を書いたジョー・フリーマンは、通称ジョリーンとして知られ、四年前、全国に先がけてシカゴに誕生したグループの組織者として、また最初の全国的機関紙『女性解放運動の声』(現在は廃刊)の編集長として活躍してきた。「ミネソタの荒野」に住むというスージー・オラは、この運動がいかに自然発生的に全土に広まったかを、すぐれて質の高い怒りとともに、そのエッセイを通して伝えてくる。
 「レッド・ストッキング」に属する「主婦」だと名乗るパット・マイナルディは、家事をめぐる男と女の攻防戦に焦点をしぼって、夫たちの何気ない言葉の中から、男性優位思想の構造を見事にひきずり出してみせている。
  ルシンダ・シスラーは、女性解放運動きっての中絶問題の権威であり、中絶禁止法の完全撒廃をめざして精力的に活動をつづけてきた。きわめて具体的・実証的に、法令および医療制度の実状と思想を突いたこの労作は、女に自分の肉体を自分で管理する権利を与えよという主張とともに、彼女たちの闘いの一端をよく伝えている。
女の心情 M・タックス/ピッチ宣言 J・フリーマン/家事の政治学 P・マイナルディ/女性仰圧の経済的機能 S・オラ/中絶と中絶禁止法 L・シスラー

第二章 愛と性

解説と紹介
 ここに収められている四つの論文は、人間のもっとも基本的なものである性と愛について、男の側からなされてきた規定を、女の側から告発し分析して、人間としての性と愛への展望を切り開こうと試みている。
 T・アトキンスンは、現行の性交渉は人問の種族を維持するという社会的な機能をはたすための政治制度だと言い切っている。この性交渉という制度を支えるのが結婚と膣オーガズムの二つの作られた概念であるのだが、後者についてA・コ-トがみごとに分析している。『膣オーガズムの神話』を読むと、従来正常なオーガズムだとされ、女自身もそれを生まれながらに持っているのだと疑いもしなかった膣オーガズムが、このような政治的な目的のために男によって作り上げられたものなのだと思い知らされる。
 アトキンスンは、このように制度化されてしまっている性交渉を人間としての性交渉にするために、その制度的な面をとり払って、そこでの新しい可能性を模索して行く。この運動の理論の要は、人間を搾取・するためのあらゆる抑圧-官能体験を含めた-を一番下から支えているのが女に対する男の側からの差別であるという発見だと思う。
 ケイト・ミレットはパーナード・カレッジ教授。処女作『性の政治学』に集約されるその理論は、運動にとって貴重な役割を果たしている。この宜言は、1968年冬、当時彼女が教職についていたコロンビア大学での女性解放グループ結成にあたって執筆されたもの。いまやコロンビア・バーナード大学女性解放グループは、ニューヨーク市内最強のグループとして活躍している。
 シュラミス・ファイアストーンはニューヨークの急進的女性解放運動の創始者の一人で、この「報告」の編集長。著書に『性の弁証法-フェミニスト革命について』(1970年ウィリアム・モロー社)があり、ここに紹介されているのは同書中の一章である。
 アン・コートはニューヨークの急進的女性解放運動の創始者の一人。この「報告」の副編集長でもある。現在、女性の性感についての著作を執筆中。
 ティグレース・アトキンソンは「女性のための全国組織(NOW)のもとニューヨーク支部長。「1017日委員会」(「ザ・フェミニスツ」の前身)を結成するためNOWを脱退した。
性の政治学 K・ミレ・ト/愛について S・ファイアストーン/膣オーガズムの神話 A・コート/制度化された性交渉 T・アトキンスン

第三章 女のたたかい

解説と紹介
 アメリヵのリブが、もっとも急進的な学生運動グループSDSの女性メンバーによって最初の火を点じられたのは、決して意外なことではない。マルクスを引用し、ゲバラを語る男性急進主義者が、自分たちを雑用処理係として、セックス・パートナーとしてしか見ていないことに気づいた時、女たちは変わった。人間解放のため闘おうとして組織に入った女たちだったから、その運動の中で女が抑圧されていることを許してはおけなかった。
 女のたたかいは実感から出発し、理論を持たなかった。男に対する不信は、あまりに立派な理論に対する不信、ピラミッドのように整った権力的組織体系への不信だった。
 「女と左翼」「彼女らとわたし」には、そういう女の不信感がむき出しになっている。レッドストッキングの創始者の一人、エレン・ウィリスの書いた「女と左翼」は、1968年2月、『ガーディアン』紙に掲載されたもので、男性中心の左翼運動から急進的女性解放運動が独立するにあたっての記念碑的意義を持っている。無署名エッセイ「彼女らとわたし」の中に、いささか戯画化されて描かれている教条主義者「彼女ら」の姿をただ笑って見すごすには、わたしたちもまた、あまりに「男の論理」にがんじがらめにされてきたのではないだろうか。
 素手で出発した女たちが、自分の言葉で世界を定義しなおそうと悪戦苦闘したその跡ともいえるのが、この章に掲げられた「理論」と「宣言」である。帝国主義対植民地、資本主義対労働者という支配の構造のうえにいま新たに女たちは、男対女という構造をつけ加える。
 ロクサーヌ・ダンパーはボストンの活動家であり理論家。キャロル・ハーニッシュは、ニューヨークで初期から運動に参加しており、『一年目の報告』の主要執筆者でもある。キャシー・サラチルドは、「レッドストッキング」で活躍中で、「意識変革」コンシャスネス・イジングという方法の提唱者として知られている。ここに紹介するプログラムは、1968年2月、シカゴ郊外で開かれた第一回女性解放会議のために準備されたものである。
ラディカル・フェミニズム T・アトキンスン/女と左翼 E・ウィリス/続・女と左翼 E・ウィリス/彼女らとわたし 匿名/社会革命の基礎としての女性解放 R・ダンバー/宣言 レッド・ストッキング宣言/女性解放のプログラム C・サラチルド

女から女たちへ 座談会-訳者のあとがきにかえて

なぜ女の問題にこだわるか/結婚/「2年目の報告」をよんで/性関係の変革から意識変革/「罪の意識」にみられる差別/仕事と家事労働/仕事について/仕事のうえの差別・出産/子どもをもつ権利とその限界性/育児・保育