わらべうた・遊びの魅力 著者 岩井正浩 第一書房

2008528日初版第一刷印刷2008530日初版第一刷発行 ISBN978-4-8042-0776-6

わらべうた・遊びの魅力表紙画像

はじめに

 サトウハチロー作詞・中田喜直作曲の《かわいいかくれんぼ》、この歌の最後の旋律は次のように歌われます。(移動ドで示すと)
   だん だん|だァーれが|めっ かっ|た
   レ  レ |レ- ドド|レ  レ |レ 
 この旋律法は、「みこちゃん あそぼ!」の「ラソラ ソソラ」と同じく二音旋律の上の音で終止しています。また、阪田寛夫作詞・大中恩作曲の《サッちゃん》も、音は増えていますが、わらべうたと同じ旋律法です。
   サッちゃんは|ね *|サーチコって|ゆーうんーだ|ほん とーは|ね
   ド-ソ- ラ|ド *|ミ-ミド-ド|レ-レド-ラ|ソ- ラ-ド|レ
 自然で歌いやすい旋律は、伝統的なわらべうたの旋律法を用い、日本語と伝統的なリズム感に基づいて創られているのです。
 わらべうたに関する処女作『えひめのわらべうた』(青葉図書)1975年に、また第二作『わらべうたーその伝承と創造』(音楽之友社)1987年に刊行しました。1970年から開始したわらべうた調査が今日まで継続したことに私自身も驚いています。わらべうたを、過去の古いうたであるといった見方をする人もいます。子どもたちは子どもを取り巻く環境やマスコミ、受験体制の中で、遊ぶ時間や子ども集団を形成できにくい状態に置かれてきています。そのためわらべうたが減少傾向にあることも事実です。しかし、子どもたちが日本語を話し、仲間を求める気持ちがある限り、わらべうたは伝承され、生まれ、再創造されていくことを確認してきました。
 本書は、フィールドワークによって日本各地で蒐集したわらべうたを、「遊びのパフォーマンス」として捉えています。わらべうたはまさに子どもの天衣無縫なパフォーマンスの世界なのです。地域によって旋律や歌詞にわずかですが差異があります。しかし敢えて地域名を付すことをしていません。それはわらべうたに〈正調〉がないからです。掲載しているわらべうたは、すべて一つの事例ですから、これらのうたを取っ掛かりとして、読者の地域のうたにアプローチしていただけたらと思います。
 子どもたちはわらべうたの世界で、日本語をみがき、日本伝統音楽の特徴を習得し、友達関係の機微を体得し、社会性を身につけていきます。そのためには何よりも子ども集団の形成、そしてタテ関係のつながりを作っていくことが必要です。以前は兄弟姉妹の関係の中で得る大切なものがたくさんありました。三世代同居の家族で教えられることもありました。現代の少子化と核家族化は、子どもの生活圏をますます狭小化させてきています。だからこそ、わらべうたが歌える子どもの環境と状況を大人の側が作り出していくことが求められています。大人の役割はここまでで十分です。その環境と状況が確保されれば、子どもたちは自然とこども集団を形成し、タテ関係を構築していくのです。
 わらべうたは子どもだけではなく、親、祖父母にとっても大切なうたです。子どもとのコミュニケーションに加え、高齢者の回想法と〈自分史〉にとっても大切な意味をもっていると考えられるからです。本書が、そのために一役買うことができれば幸甚です。
 なお、文中における楽譜は文字譜と五線譜の二通りの表記をしました。音名は、移動ドで、ラ-ド-レを軸として使用し、リズムに関しては、「ラ-ラ」は付点八分音符+一六分音符、「ララ-ソ」は八分音符+四音符+八分音符、「ララ」は八分音符+八分音符を、*印は四分休符、|は小節線を表しています。そして五線譜における出発音とテンポ表示を付記しました。これらの楽譜は一事例であり、旋律、リズム、テンポ、歌詞そして遊び方は自由に歌い・遊んでください。

一 子どもの歌の世界

Ⅰ 子どもの歌の世界/Ⅱ 子どものわらべうたの世界/Ⅲ 子どもの歌の意味/Ⅳ なぜ、わらべうたなのか?/Ⅴ 童謡運動と子どもの歌/Ⅵ 子ども集団とタテ関係
-民俗音楽を、小泉文夫氏は「階層化された社会で、その民族の基層社会の伝承的音楽を意味する」とし、四点にわたって定義をしています。それらは①階層化された社会、②特定の作曲者や創始者が問題とされない、③没個性的である、④一時的な流行歌とは違ってその伝承性は相当の時間的持続性を持つ、というものです。ただ、これらは各民族のもつ社会的・文化的条件によって異なっていることもあると補足しています。小島美子氏は日本の民俗音楽を、①わらべうた、②民謡、③民間信仰や民話・伝説などによる語り物、④民俗芸能の音楽に分けています(『日本音楽大事典』)。ただ『広辞苑第四版』には民俗音楽という項目は掲載されていません。
 子どもの頃の思い出に〈太鼓台〉があります。夏になると町内の各地区で太鼓台(山車だし)を作り、花と提灯で飾り、太鼓を後に設置します。夜には提灯に灯が入り(当時は確かろうそくであった)、その灯の波が続いていました。子どもたちはその太鼓台を二本のロープで曳く。その時の歌と太鼓のリズムは脳裏に焼き付いています。
すさーきしんまち(須崎新町)たいこーだい(太鼓台)、コーォイ コーォイ コーォイヤ(高知県須崎市)
と、曳きながら歌う。そのメロディーは、
ララ-ソ|ソ-ラ ソ-ソ|ラ ラ-ソ|ミ *|ソ ラ-ソ|ソ ラ-ソ|ソ ラ-ソ|ミ
太鼓のリズムは、
トン トン|トン トン|トンガラ ガッタ|トン *|トンガラ ガッタ|トンガラ ガッタ|トンガラ ガッタ|トン
 と、刻んでいました。今になってみると、民俗音楽の習得をなんとも白然な形で行っていたのです。ミ-ソ-ラという民謡のテトラコルド(完全四度の枠)を形成しているし、タタ-ン|タ-タタ-タ|というわらべうたにもよくでてくる二拍子のリズムパターン、そして口唱歌(くちしょうが。唱歌とも)で口ずさめる太鼓のリズム。子どもと青年との良好なタテ関係と学習・伝承が自然な形で存在し、日本の音楽を習得するシステムが確立していました。

二 わらべうたの特徴

Ⅰ わらべうたとは(1)/Ⅱ わらべうたとは(2)/Ⅲ わらべうたの音楽的特徴/Ⅳ 日本語とわらべうた-数の数え方(1)/Ⅴ 日本語とわらべうた-数の数え方(2)/Ⅵ 日本語とわらべうた-抑揚と一拍感/Ⅶ 手まりうた《イギリス 日本》の構成/Ⅷ 《いちりっとらい》の謎
 日本の子どものわらべうたの基本的特徴はどのようなものでしょうか。民謡のテトラコルド(完全四度の枠)が主体となっています。そして音が増しオクターブが形成されていきます。前者はしり取りうたの「いろはにこんぺいと」、後者は手まりうたの「あんたがたどこさ」など数多く見られます。
 さらに西洋の長音階と呂音階の折衷であるヨナ抜き長音階、及びその変型としての四度抜き・七度抜き長音階も見られます。ただ、ヨナ抜き短音階は少ないようです。
 音階の変容は遅く、学校唱歌や童謡のわらべうたへの転用があるにしても、その比率は全体の34が伝統的であることに表れています。子どもの生活は伝統的な呼び掛け、「ひろしくんあそぼ!」などの、二音や三音旋律から始まっています。
 また、西洋の長音階を数多く転用させているお手合わせうたは、その開始の準備としての「セッセッセー」で伝統的な歌い方をし、西洋の長音階、そして三拍子や68拍子の歌にスムーズに移行する転調・転拍子をいとも簡単にやってのけています。
 リズムは、等拍リズムが特徴的で、アクセントは強弱ではなく、同じストレスを各拍に与えています、そして高低アクセントで歌われます。また、日本語に特徴的な促音、長音、拗音、撥音や産み字などもリズムに影響を与えています。
 促音は、次の音の前に「っ」が置かれ、撥音や拗音は一音符にまとまる傾向があり、長音は母音を引っ張り産み字を作る働きをします。わらべうたではこれら日本語の特徴をそのまま表現しています。また、なわとびうたは、地面から上に跳びはねるリズム感が重要で、わらべうたの中で西洋のリズム感に近いジャンルです。
 開始部分に一拍または半拍の休符を置いて歌い出す方法は、民謡など伝統音楽によく現われるものですが、わらべうたでもたびたび登場します。
 また歌い出しが「タタター」となるリズム感も民謡の〈追分〉のリムズ感に近い。わらべうたでは、手まりうたの《一匁のいすけさん》や、既成曲から転用したお手合わせうたの《雨降りお月》が該当します。符点八分音符+一六分音符のいわゆるピョンコ節は、等拍リズムとともにわらべうたのスタンダードですが、三対一のリズム感というより、三連符に近い。拍子感は、基本的には二拍子感が支配していますが、手まりやお手合わせは独自の拍子感(一拍子感や三拍子感)で遊んでいます。
わらべうたは、明治以降の西洋音楽とその折衷のヨナ抜き長音階を中心とした学校唱歌、童謡さらには流行歌謡の環境のなかで、いわば裏衡道を歩まされてきたが、一世紀以上経過してもその基本的な特徴=伝統音楽の要素を維持してきています。
紹介者注:「ヨナ抜き音階=47抜き音階」:西洋音楽では、長調ならドレミファソラシの7音階、半音も入れると12音階。明治時代に日本に入ったとき、当時の日本人にはなじみがなく、第4音のファと7音のシ(短調ならレとソ)を使わない5音階が作られた。4と7を抜いているから「ヨナ抜き」

三 音楽教育とわらべうた

Ⅰ 学校唱歌と子どもたちの過去/Ⅱ 唱歌《蝶々》の誕生/Ⅲ ハンガリーの音楽教育とわらべうた/Ⅳ 南京市のわらべうた
 日本における明治以降の洋楽受容の歴史は、諸外国音楽の移入・消化の歴史でした。諸民族の文化は、常に異文化との接触、衝突、摂取と融合を経て発展し、その民族のダイナミックな文化を創造してきました。音楽もまた同様です。日本は過去三回の外国音楽移入を経験していて、その第一回の移入では、十分な時間をかけ日本独自の文化の創造を行い、第二回では、キリシタン弾圧で西洋音楽は一地域を除いて根絶やしにされました。そして第三回では、一方的に西洋音楽を移入することの引き替えに、日本伝統音楽の軽視・排斥が行われ、学校教育はその先鋒の役割を果たしてきました。ところが、唱歌や童謡の中には日本伝統音楽の断片を見いだせます。ただ、その断片はかならずしも、日本伝統音楽が正しく生かされているとは限らなかった。つまり民衆による取捨選択・再創造のダイナミックな形態ではなく、常に上からの意図的な一方的教化であり、その出所は学校やマスコミでした。子どもは、主体的に音楽を伝承・創造する場所と機会を奪われたと言えます。学校教育は子どもとの対話、子どもから学ぶという姿勢をとりきれず、逆に国家の理念を一方的な形で教化する場所と化し、学校唱歌もその重要な一翼を担わされてきました。
 1881(明治14)年から刊行された『小学唱歌集』(全二編)は、外国の唱歌・童謡を数多く取り込んでいたため、伝統的な音楽語法はほとんど影を潜めました。西洋の長音階と雅楽の呂旋法との折衷(ヨナ抜き長音階)は、日本伝統音楽の主要音階である半音を含まないペンタトニック(五音音階)を装いながらも、旋律法は西洋そのものであり、しかもアップビートで開始する唱歌も多かった。歌詞は徳育、皇国史観、花鳥風月に彩られ、子どもの生活感情とは程遠い内容となっていました。これは当時の日本に新しい国楽(ナショナル・ミュージック)を興すだけの力量がなく、努力の限界であったことも否めません。しかし一度方向を決定した国楽創成は、日本伝統音楽の軽視・否定を次第に強め、和洋折衷と西洋音楽の一方的導入路線を歩んでいくことになったのです。
 明治期の子どもにとって、主体的な音楽活動・表出活動はわらべうた以外になかったが、芸術的側面と生活的側面から子どもに接近する動きが、二十世紀に突入と期を一にして少しずつ現われてきました。それらは滝廉太郎の歌曲(『幼稚園唱歌』を含む)であり、田村虎蔵や納所弁次郎らの「言文一致唱歌」運動の展開でした。文部省もこの動きには敏感に反応を示していました。1910(明治43)年刊行の『尋常小学読本唱歌』は、『小学唱歌集』の限界の克服を意図し、美育をとらず徳育に徹し、教育の国家統制の動きの中で、《文部省唱歌》として登場しました。しかし準備不足は否めなく、平行して編纂されていた『尋常小学唱歌』の誕生までの継続的役割を果たす存在でした。
 『尋常小学唱歌』の編纂は、「小学唱歌教科書編纂委員会」に当時の作詞・作曲家の錚々たるメンバーを集め、文部省主導で1909(明治42)年から開始されました。当初外国曲も含める方針だったが、結局は日本人のみによる学年別の唱歌集を完成させました。しかし、日本人のみであるということが、イコール日本伝統音楽重視ではなかった。また日清・日露両戦争の勝利は、日本帝国主義的路線展開の野望の延長線上に、〈国粋的〉色彩をことさら強調する絶好の機会として位置付けされました。音楽的にはヨナ抜き長音階を基調とし、音楽のもつ個性・創造性を埋没させ、歌詞内容は花鳥風月に加え一段と徳育、皇国史観、国粋主義を強めていく役割を担わされることになります。
 しかし子どもたちは、学校唱歌を自分たちの表現法に変容していく能力を発揮し、与えられた枠内で表出を行っていきました。《故郷》や《朧月夜》に見られる三拍子の唱歌も、子どもは強弱リズムやアップビートではなく、一拍子感で歌い、さらに替えうたにして歌っていくといった応変さも発揮しました。ただ、圧倒的な学校教育による教化は、次第に子どもの音楽生活にも影響を及ぼさずにはおかなかった。教師も教育内容の吟味より、その方法論の検討に終始する傾向が強く、教育内容に立ち入ることを許さない状況とともに、教師の側にも教材選択の視点さえも能力的に獲得されていないという現実がありました。

四 絵かきうたの世界

Ⅰ 日本生まれの優れもの/Ⅱ 数字から出発/Ⅲ 漢字を作る。人の顔を描く/Ⅳ コックさんの諸相/Ⅴ 意外性の表現/Ⅵ ブラウン管から生まれた二つの絵かきうた/Ⅶ 既成曲の導入

五 現代っ子の主流-お手合わせうた、じゃんけんうた

Ⅰ セッセッセー考/Ⅱ アルプス一万尺/Ⅲ 三、六拍子の世界と既成曲/Ⅳ 就学前に獲得する-じゃんけん付きジェスチャー/Ⅴ 復活するか?昔懐かしいお手合わせうた/Ⅵ じゃんけん遊びの妙/Ⅶ 《沈没・軍艦・ハワイ》-グーチョキパー遊び/Ⅷ 創造的なじゃんけん遊びうた/Ⅸ グリコ・パイン・チョコ、足じゃんけん/

六 天衣無縫な表現-となえうた

Ⅰ 替えうた-学校唱歌/Ⅱ 替えうた-童謡、テレビソングなど/Ⅲ 替えうた-《魔笛》から《たんたんたぬき》/Ⅳ 天体・気象/Ⅴ 動植物/Ⅵ 物売り・約束・悪口・しりとりうたなど

七 鬼ごっこの魅力

Ⅰ 鬼とは?/Ⅱ かくれんぼ/Ⅲ 鬼ごっこ-追っかけ鬼/Ⅳ 鬼になりたい子どもたち-人当て鬼/Ⅴ 関所鬼-日本とイギリス/Ⅵ 花いちもんめ-女の子の優位

八 忘れられる遊び、蘇える遊び

Ⅰ 手まりうた-変遷をたどると/Ⅱ 手まりうた-あんたがたどこさ/Ⅲ おはじき・石蹴り・羽根突きうた/Ⅳ お手玉うた-テクニックを競う/Ⅴ お手玉うた座って遊ぶ-《おさらい》/Ⅵ 現代に蘇るお手玉うた-機能回復と脳の活性化/Ⅶ 指遊びうたと罰ゲームうた(1)/Ⅷ 指遊びうたと罰ゲームうた(2)・全身遊びうた/

九 西洋のリズム感-なわ跳びうた

Ⅰ ゴムなわ跳びうた-《金鶉かがやく》/Ⅱ なわ跳びのベクトル/Ⅲ 郵便屋さん-しゃがまなくなった子どもたち/Ⅳ ジェスチャー跳びと「おはいりなさい」/Ⅴ なわを跳ばないなわ遊び

十 伝播・伝承・創造の妙-現代の子どものわらべうた

Ⅰ 壱岐の子どものわらべうた/Ⅱ 那覇市のわらべうた/Ⅲ 大阪市、東京都、埼玉県のわらべうた/Ⅳ わらべうたの変遷-二十一世紀の子どもたち

おわりに 

 わらべうたは遊びの中のうたであり、子どもたちは〈歌〉とか、ましてや〈音楽〉と意識して歌うことはまずないでしょう。わらべうたは教室の机に向かって、教科書に載っている歌を歌うということではありません。地域によってイントネーションや方言があり、次々と再創造され、また消えてもいくものです。
 わらべうたの調査・研究は結局、私のライフワークとなりました。1970年から今日までの38年間は、私の教員生活とまさに連動した研究でした。子どもおよび古老を対象とした調査からは、人が何のために歌うのか、表現行動にでるのか、という根源的な意味を見出すことができました。楽しい時、うれしい時、寂しい時、悲しい時、人々は歌いたくなったり、また歌わざるを得ない状況に置かれます。歌の持つ力は、そんなにも大きくて人間にとって欠くことができない存在なのです。これらは、実際にフィールドワークの中で、教えられ、鍛えられた数々であり、私がこだわってきた視点でした。
 最後に、調査に快く子どもたちを提供してくださった小学校のみなさんと、主人公の子どもたちに感謝いたしますとともに、出版を快諾してくださった第一書房村口一雄様に御礼申し上げます
2007年2月 沖縄県西表島にて 岩井正浩

参考文献・視聴覚ソフト/掲載楽譜・写真

 文献

愛知師範学校『明治7年度年報』1875/浅野建二・町田嘉章『わらべうた』岩波書店1962/浅野建二『わらべ唄風土記上・下』塙書房1969/1970/浅野建二『新講わらべ唄風土記』柳原書店1988/朝日新聞「天声人語」2005525日/岩井正浩『えひめのわらべうた』青葉図書1975/岩井正浩『わらべうたであそぼー絵かきうた』日本放送出版協会1977/岩井正浩・山崎盾之『愛媛・香川のわらべ歌』柳原書店1982/岩井正浩「わらべ歌の変遷に関する比較研究」『金田一春彦博士古希記念論文集第三巻』三省堂1984/岩井正浩『わらべうた~その伝承と創造』音楽之友社1987/岩井正浩『ハンガリーの音楽教育と日本』音楽之友社1991/岩井正浩「1990年、子どもの遊びと歌」『音のフィールドワーク』東京書籍1996/岩井正浩『子どもの歌の文化史』第一書房1998/岩井正浩・他『わらべうたが子どもを救う』[共著]健康ジャーナル社2002
岩井正浩『学級崩壊・子ども集団脆弱化と通時・共時的調査による遊び歌の教材化・CD-ROM化』平成1214年度科研研究成果報告書2004/岩井正浩「放送文化の影響による日本伝統音楽の能力・感性に関する研究」『放送文化基金研究報告-八/一〇』1984/1986/岩井正浩「小・中・高校世代の伝統音楽嗜好」『季刊邦楽四八号』1986/『NHK子供テキスト』1941/『NHK日本のうたふるさとのうた一〇〇曲集』講談社1991/沖縄県小学校体育研究会『沖縄県につたわるこどもの遊び』光文書院1983/喜田川守貞『近世風俗志四』宇佐美英機校訂岩波書店2001/小泉文夫『日本伝統音楽の研究1』音楽之友社1960/小泉文夫編『わらべうたの研究楽語編・研究編』稲葉印刷所1969/小泉文夫『子どもの遊びとうた』草思社1986/『古今集』(『古今和歌集』)1797

コダーイ芸術教育研究所『保育園・幼稚園の音楽』明治図書
1975/渋谷傳『新しい音楽教育の実践』音楽之友社1969/高江洲義寛『沖縄わらべうたの世界』青い海出版社1979/多田道太郎『遊びと日本人』筑摩書房1978/高橋碩一『流行歌でつづる日本現代史』音楽評論社1966/東京教育大学付属小学校『音楽=わらべうたによる基礎的指導』文理書院1970/『日本書紀』720/『日本伝承童謡集成第二巻』三省堂1974/日本福音連盟新聖歌編集委員会『新聖歌』教文館2001/平野敬一編『マザーグース童謡集』ELEC出版部1973/氷山絹江『沖縄わらべ風土記』琉球新報社1969/藤田正編『ウチナーのうた』音楽之友社1998/北海道音楽教育の会『わらべ唄と日本民謡による楽しい二二二のソルフェージュ上・下』発行年不詳/右田伊佐雄『大阪のわらべ歌』柳原書店1980/水野信男編『山陰のわらべうた』島根大学教育学部音楽研究室1981/文部省『学習指導要領第一回』1947/柳田国男「こども風土記」/「村と学童」『定本柳田国男全集第二一巻』筑摩書房1970/初出19422朝日新聞/柳田国男「民謡覚書」『定本柳田国男全集第一七巻』筑摩書房1969

【掲載楽譜】

はじめに=《かわいいかくれんぼ》=文字譜/《サッちゃん》=文字譜
一Ⅰ 《太鼓台》=文字譜/《夜回り》=文字譜
二Ⅲ 楽譜16=民謡音階/ヨナ抜き音階等/呼びかけ/《あんたどこの子》/《郵便さん走れ》/《あめかひよりか》/《開いた》=文字譜
Ⅳ《数え方》=文字譜/Ⅶ楽譜7=《イギリス日本》/Ⅷ楽譜8=《いちりっとラン》
三Ⅱ楽譜9=《こどもたち》/Ⅲ楽譜10=《ハンガリーわらべうた》
四Ⅰ楽譜11=《いちにのさんぺいさん》/《しちちゃんが》=文字譜
Ⅳ楽譜12=《コックさん》/Ⅵ楽譜1314=《オバQ》/《ドラえもん》/Ⅶ楽譜15=《さかな》/楽譜1617=《シュワジヴェチカ》/《ぶた》
五Ⅵ楽譜18=《じゃんけんホカホカ》/Ⅶ楽譜19=《喧嘩チョップ張り手》/Ⅸ楽譜20=《チョーパー》/《グリコ》=文字譜
六Ⅲ楽譜21=《誠ハ人の道》=『小学唱歌集三編』七三曲/Ⅴ楽譜22  ―《ほうしこ》/Ⅵ楽譜2325=《弁当売り》/《石焼芋売り》/《青竹売り》/《厄除けのお守りは》
七Ⅱ《かくれんぼ》=文字譜/楽譜2627=《くつかくし》/《ぞうりかくし》/《ことしのぼたん》/《だれかさんの》/《ちがいました》=文字譜/Ⅴ楽譜28=《通らんせ》=愛媛県
八Ⅱ楽譜29=《あんたどこの子》/Ⅲ楽譜30=《風かぜ吹くな》Ⅳ楽譜31=《正月エー》/Ⅶ楽譜3233=《階段登ってコチョコチョ》/《ずいずいずっころばし》/Ⅷ楽譜34=《お猿のかごや》/《子どもと子どもが》=文字譜
九Ⅰ楽譜3537=《たこちゃん》/《たこ八ちゃん》/《奉祝紀元二千六百年》/Ⅱ楽譜38=《大波小波》/Ⅲ楽譜39=《郵便さん》/Ⅳ楽譜4041=《くまさん》/《一羽のからすが》/Ⅴ《いろはに金平糖》=文字譜/《牛か馬か飛行機か》=文字譜/《いちりんにりん》=文字譜
十Ⅱ楽譜42=《じんじん》