私のための芸能野史-《雑芸者》歴訪ノート  小沢昭一著 芸術生活社

1972(昭和48)年1月30日初版発行   昭和49年5月30日5版発行  

切り絵 柳亭鏡之助  0076-1173-1892


目 次

おめでとうさまと祝いこみまつる。ヤレ御万歳とお家も栄えて、水も若やぐ木の芽も咲いて御繁昌
《雑芸者》歴訪ノート Ⅰ 万歳

門付万歳マドイ/シロウト・クロウト/知多万歳/万歳宿出発・玉ねぎ・じゃがいも/知多万歳の種類/万歳実験/遊郭でスッテンテン/座敷でやってくれ/遊び半分

ほんとの親はわからんのです。気がついた時はもう鉄割一座の小屋の中に居たんだからねエ
《雑芸者》歴訪ノート Ⅱ 足芸師

おくればせだが辿れるならば/長吉長老足芸ばなし/ズラ長一代記/芸が身を助くる程の・・

花が蝶々か マタ蝶々が花か エー来てはちらちら オッコサット 迷わせる イッチャナァイッチャナァ
《雑芸者》歴訪ノート Ⅲ 女相撲(上)

たった一度の女相撲観覧記/いっちょな節探索/女相撲の民俗/花が蝶々か、蝶々が花か

祝儀が沢山あったもんで銭に困ったようなことは一ペンもないワ。金紗や大島をきてぜいたくしたワ
《雑芸者》歴訪ノート Ⅳ 女相撲(下)

再び山形へ/モーニングショー/はじめまして/女相撲横綱梅の花聞書メモ/世間の目/『見世物女相撲のかんがえ』/もと梅の里?/まだまだこれから

売れてる時はええですけど、売れなくて酒飲んでたら相手にするもんなし、医者にもかかれず野たれ死
《雑芸者》歴訪ノート Ⅴ 浪花節

広沢瓢右ヱ門さん/笑う浪花節/ケレン/いまごろとぼとぼ/浮かれ節/棒鼻の芸/門付・葦簀小屋/ベタヅケ/いまこそケレン読み

アレ女房があの通り、若い男と湯の町を歩いとる。アァくやしやなと思うた途端、無限地獄ヘダダ走りじや
《雑芸者》歴訪ノート Ⅵ 説教・絵解

お経と芸能/説教と私/説教の歴史/絵解/藤獄敬道一代記/説教初旅/活動写真/地獄は一定住み家ぞかし

ニッコリ笑って目を伏せて「真剣にやれば、濡れるのは当り前です」その真剣の水も今日は末期の水
《雑芸者》歴訪ノート Ⅶ トクダシ(上)

トクダシ豆辞典/《私のための》トクダシ/芸能と取締り/一条さゆりの「深淵」なる舞台/芸能者一条さゆりの終焉

ハイ、腹の立つような客は、その客、興奮さしてあげます。そういう客の息の根を止めます
《雑芸者》歴訪ノート Ⅷ トクダシ(下)

レスビアン桐かおる/神がかり/かおるの光輝ある無頼の半生/ズベの爪の垢でも/やっぱり芸/だまし 

雲右衛門のおやじの繁吉が流れてきていた。ありゃ祭文語りだ。カッポレの梅坊主は市兵衛長屋にいたなァ
《雑芸者》歴訪ノート Ⅸ 東京の大道芸人窟(上

大道の稼ぎ/「日本の下層社会」/鮫ヶ橋/はつこめ/芝・新網/願人芸/橘右近/豊年斎梅坊主 

姉はラシャメン 妹は芸者 おやじァ万年町で コリャサノサ 車ひく サイサイサイ
《雑芸者》歴訪ノート Ⅹ 東京の大道芸人窟(下)

阿呆陀羅経探索/下谷万年町/鏡之助・清丸・五二郎/風呂屋で顔附/娯楽業者の群/ドテ組/ついに阿呆陀羅経!

今の浮世は、引っくり返ってまくれ返ってそっくり返ってぷっくら返って、間抜けた浮世に違いがない
《雑芸者》歴訪ノート ⅩⅠ 万歳

東京をアナドルナ/荒川清丸一代記/梅坊主は二人いた/万歳から漫才へ/玉子屋円辰

恋の品川女郎衆に袖ひかれ、乗りかけお馬の鈴ヶ森、アリャエー コリャエー 姐さん辻占どうですかァ
《雑芸者》歴訪ノート ⅩⅡ ふたたび万歳

津島/「伊六漫才」/「厄はらい」/加藤竹三郎一代記/飴屋/辻占売/シロシロ

私のための芸能野史-「シロシロ」より

昨年(昭和四十六年)、私どもの新劇の劇団「俳優小劇場」が解散した。

離合集散は新劇のお家芸で別に珍しい程のことでもない。旧・新劇(所謂大劇団)と新・新劇(所謂アングラ)のはさみ撃ちの中で、「俳小」は沈没した、という意見もある。その通りかもしれない。去った過去にあまり関心はないが、「俳小」が新・新劇だった時もあった。しかしその頃から私が、俳優としての、芸人としての自分にマドイだした経緯は、この本のはじめの方でもふれたとおりである。

結局私は、加藤さんのような、「クロウト」の芸人にはなれない。加藤さんは子供の時から、見様見真似で芸をやった。何となくやり始めたのは、やらざるを得なかった、と言ってもいいだろう。人間、子供の時に食べた食物が、結局身にあった好物ということになっているようだが、芸好きも、そういうことかもしれない。

歴訪して来た芸人たちは、すべて「クロ」っぼかった。みんな、「芸しかやれない」「芸しやらざるを得ない」血が流れていたように思える。それが「芸一筋につらぬく」そしてつまりは「芸に遊ぶ」生涯を全うさせていたのである。「マドウ」より「やりぬいた」人々であった。

私が「クロウト」というのは、芸の巧拙や腕前や年期のことを言うのではなかった。それは被差別的な芸能者の血であり、「芸をやらざるを得ない」ことから居直って、「芸」を刃に「遊ぶ」芸人ぐらしのことである。

そういう「芸人ぐらし」の「クロウト」たちから「シロウト」の私は、私の内部で差別された。私の慕う「クロウト」たちは、私の中で、私をあざ笑っている。

そしていま、「クロウト」は消えつつある。しかも、「クロウト」は消えても芸能は残るだろう。

「シロウト」の私は、もし芸人を続けるなら「芸しかやらざるを得ない芸人ぐらし」のカセを「シロウト」流にでも、自分にはめる道を考えねばなるまい。

ホラホラ、そう力むことからして、もうずいぶん「シロウト」くさいではないか。

▲ 私のための芸能野史 後書き  みの虫の糸朝よりも短かかり

            みの虫の居を定めたり風の中
       いや“居を定める”なんて、放浪芸には禁句か
            みの虫の居は定まらず風の中
『日本の放浪芸』(ビクターレコード解説書・1971年)末尾。-『日本の放浪芸』1974年所収より