海峡を越えたホームラン-祖国という名の異文化  関川夏央  双葉社

装幀 日下潤一   19841021日第1刷発行  0095-500220-7336

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韓国野球団フライチャイズ地図

われわれは彼らについて、彼らのいる場所について、なにを知り、なにを知らないだろうか。
われわれはわれわれ自身について、われわれ自身のいる場所について、なにを知り、なにを知らないだろうか。

目 次

1章 重たい春 1983年春から夏

834月、黄昏の仁川(インチョン)球場/濃すぎるコーヒーのように/コメディアン“のスランプ/ソウルからもっとも遠い街で/『タヌキ』を攻略せよ/韓国プロ野球神話時代

2章 高い空、乾いた風 1983年秋

ホームベース上の微笑/金戊宗、一時心痛/あわれな日本人について/パーティは吠える/ノグリも悩む/ノムハニダ【あんまりです】/秋のソウル/19831020日午後10時半、ソウル球場

3章 『祖国』へのシュートボール 1983年冬から84年初春

韓国式と日本式/文化比較、あるいは文化衝突/東京の休日/もうすぎたことやから

4章 揺れる大地 1984年初夏

これも韓国ですよ/ぼく、球をウケるのが好きなんや/白仁天は語った/光州の憂うつ/三星対ロッテ第10回戦①試合開始/三星対ロッテ第10回戦②すばらしい韓国野球/三星対ロッテ第10回戦③『ア・イ・ス・ク・・・・リーム』/兼任コーチ張明夫/野球場にたたずむ

長いあとがき短いあとがきチーム別韓国選手索引写真撮影 糸川耀史地図作製 モリシタ

長いあとがきからの抜き書き

  -大リーグと日本の野球くらい?

 もっと違うととらえたほうが安全でしょう。ベースボールではなくコリアン・べースボールだと。
 野球も英語とおなじです。アメリカ語が正しくてフィリピンや香港の英語は正しくないといえますか?それぞれが各地の丈化や基層言語を吸収しながら、独特の、そして十分に美しい言語をつくりあげたわけでしょう。たまたまわれわれはそれらすべての言語を英語と呼んでいますけれども。
 そう考えた場合、韓国のプロ野球は日本のプロ野球の風下に立つものではないでしょう。日本製のものさしでは比較はできないんです。丈化比較というのは、自分のものさしに刻み込まれた単位で対象を測定し、その優劣を競うといったものではないと思います。センチメートルのものさしを持ったひとが、インチのものさしを持ったひとと数字の較べっこをしても、まるで話は通じてないわけですね。誇ったり悲しんだりするまえに、まず彼我の単位はなにかということを調べなくてはなりません。それをぼくはその社会の価値観とか、「丈化」とかいっているわけです。
-日本から行った僑胞たちの苦悩の根源も文化の位相の差にあるということか。
 そうです。韓国へ行くひとは油断していますね、一般に。似ている、という点をまず探す。あるいはあらかじめ、似ていると信じている。ほとんどおなじだと思っている。確かにひとの姿かたちも、風物も、他の外国に較べれば似ているともいえる。つまりエキゾチシズムがない。あまり強く「外国」を意識をせずに入っていけるからそういう錯覚を持ちやすい。ところが実体はかなり違うわけです。かなりどころか、ときにはわれわれが比較的親しんでいる白人文化の一部よりももっと遠い。
 どうしても日本は東に向いて生きてきましたから、西にある国に対しては閉ざされている状況が強かったですよね。東側を向いた視線が最後にたどりつくのが韓国なんですね。北アメリカ大陸を越え、ヨーロッパ半島を越え、シベリアを越え、地球をひとめぐりしてようやく韓国へやってくるわけです。だから、近くて遠い国、というのは非常にパラドクシカルというか、ときには嘘だったわけですよ。現実には、地理的に非常に遠い国だったわけです。
 僑胞といっても、彼ら二世以下はわれわれとおなじ日本丈化の落とし子に違いないですね。日本語で考え、日本の価値基準に照らして選択を行なっている。油断が裏切られたときの衝撃は倍加して大きいでしょう。おまけに商社や新聞社の勤め人と違いまして、背景に会社や、現地での日本的小社会を持たないです。カタルシスすべき場所と相手を持たないでしょう。
-だからその反動として昨今のいわゆる韓国ブームが。
 ブームですか……?しかし、オーバー・リアクショソになるのは避けたいですね。オーバー・センチメンタリズムもオーバー・ノスタルジーも。
 地道な研究と、たがいを外国または外国人だということをはっきり認識したうえでの冷静なつきあいが大切でしょう。にじり寄る、といった態度は結局なにものも生みださないのではありませんか。
-なぜ韓国プロ野球を選んだのか。
 ぼくのこれまでのテーマというのはこういうことなんです。異文化、この場合は韓国ですが、異質の文化と比較的濃厚な接触を行ない、いうなれば自分の体を押しあてながら、その文化の形と質感と奥行を研究しょうと。もうひとつは、そのような異文化に接触した行動と反応とを目安にして、ぼく自身の内部の日本文化に測深鉛を垂らしてみようと。
 ところが外国である韓国、外国人である韓国人とつきあううちに、やがてそのような作業をですね、無意識のうちに、あるいは宿命的に行なっているひとたちがいることに気づいたのです。在日韓国・朝鮮人二世たち、つまり在日僑胞二世たちですね。彼らは日本語を母語として生まれ、育ち、日本丈化のあふれかえるなかで育ったわけです。よほど意識的に学んだひと以外、彼らは朝鮮語を話しません。そして、韓国と韓国的世界も知らない。なのに世間は、ときに応じて外国人あつかいをする。韓国丈化の影響をほとんど受けぬままに育ちながら、みずからのアイデンティティをもとめて苦悩する、努力をする。そうせざるを得ないのです。
 83年のはじめに、たまたまスポーツ新聞紙上で福士(張明夫)が韓国へ正式交渉に行くときの写真を見まして、ふと思ったわけです。彼らが祖国へ帰るというのはどういうことなのか。彼らにとって祖国とはどういうものか。また祖国は彼らをどう迎えてくれ・るのか。
 調べてみますと、まだほかに四人の僑胞が韓国プロ野球に参加するという。きわめて平均的な在日二世としての彼らの全員に、できれば現地であって話を聞きたい、いやそれよりも彼らの仕事ぶりを見たいという痛切な欲求にかられたのです。
-もともと野球はくわしいのか。
 全然。プロ野球には若干の興味はありますよ。毎朝、新聞がくるとスポーツ面を見るのが小さな楽しみのひとつ、という程度です。高校生の野球にはまったく興味を持てませんし。だから野球そのものの知識はむしろ韓国でたくわえたというような状態ですね。野球の物語を期待して読まれたかたは、少々がっかりされたかも知れません。
-外国社会研究の具体的な狙いは?
 さっきもいいましたように、ぼくはそれぞれの地域の持つ固有の文化の強靱さに魅力を感じる。異文化というものはひとに強い知的刺激を与えると同時に、精神に強い圧力をかけて、ときには命とりにさえなることもある。人類皆兄弟、と誠意を持って接すればなんとかなるとかいう考えかたは比較的ひろく信じられているわけで、まアそういうことも十分にありうるんでしょうが、同時にもうひとつの側面、人類皆アカの他人という要素も忘れてはいけないと思うんです。このふたつはメダルの表と裏のようなもので、どちらか一方だけが正しいとは決していえない。そのアカの他人同士がどうつきあうか、まるで価値観の違うもの同士がどうつきあうか、はるかに遠い道ですけれども、そういうことを模索していきたいと。韓国はその長い道程のひとつではないかと。
-さらに韓国にこだわりつづけるのか。
"こだわる"という流行語には若干の抵抗を感じてしまいますね。興味はつきないと、そういうふうにはいえます。
 韓国にこだわるといういいかたには、なんとなく韓国問題にこだわるというトーンがあるでしょう。問題に関しては以前はほとんど知識がなかった。韓国に対して予断がなかった。予断を持てなかったといったほうがより近いでしょうが。しかし、こういうふうに韓国や韓国人と、ある程度研究的につきあってきますと、問題というものも次第に見えてくる。それもほんとうです。たとえていえば、ぼくは直球じゃなくてカーブを投げた。-ボールのコースから入っていってストライクゾーンをかする、こういうボールはなかなか味があるのじゃないかなとも思います。
 まずその問題がどのような土壌のうえに出現しているのか、それを知らずにいては、ただ喉と耳にとおりのいい言葉だけがひとり歩きしてしまうのではないか、そんな危惧も持ちました。とにかく自分の尺度だけで相手をはかってはいけない。問題をはかってはいけない。まず自分の尺度の相対性を考慮する、そこからしか始まりにくいような気もするのですが。
-「海峡を越えたホームラン」は書きおろしか。
いいえ雑誌連載です。「週刊漫画アクション」にこの本の四分の三ほどが、83年6月から8四年七月まで三部にわけて連載され、第三章は日刊紙の「東京タイムズ」に連載されたものに大きく加筆したものです。そして、いまあなたに話している内容については「ダ・カーポ」のインタビュー記事を基礎にしています。
 ここで強調しておきたいのは、この本の主要な部分が「漫画アクション」とその編集者によって支えられてきたということです。漫画雑誌から初めてこのようなかたちのルポルタージュが出現したのは、自分でいうのもなんですけれども、記憶されていいことなんじゃないかと。韓国ではもちろん、漫画そのものの水準が高いフランスでもあり得ないことだと思います。
 日本の漫画雑誌には奇妙な間口の広さがある、いや日本そのものが奇妙に間口が広いんですかね。われわれのいるこの国もまた、おかしな魅力に満ちた場所には違いないということでしょうか。

短いあとがき

 このレポートは連載当初からの担当者、「週刊漫画アクション」編集部の鈴木明夫氏の合理的で強力な指導と助言がなければ、とうてい完成し得なかった。また、写真家の糸川擢史氏、グラフィヅク・デザイナーの日下潤一氏の協力も不可欠だった。とくに845月の韓国取材にはふたりに同行してもらい、それによる成果ははかり知れなかった。単行本化は、双葉社企画編集部の諸角裕、佐藤俊行両氏の、軽快かつ巧妙なコンピネーション・プレーによる献身的努力のたまものである。
 佐野良一氏、木村修一氏、三好雅司氏、川添謙次氏、山崎徹氏、「週刊宝石」編集部、および「ドキュメンタリー・ジャパン」のスタッフの協力を得た。記して感謝したい。
 むろん張明夫氏ら在日僑胞選手たちの韓国での仕事がなければ、もとよりこの本は成立しなかった。彼らへの友情がぼくの、ときには挫けかける気持を勇気づけた。本書は、編集者たちをも含め、決して誇張ではなく、友情の産物である。
 最後に、シャイでも気さくでもある韓国プロ野球の選手たちと、貫禄にあふれた監督をはじめとするコーチングスタッフの諸氏、KBO(韓国野球委員会)ならびに各球団の関係者各位に謹しんで感謝の意を表する。감사합니다サハニダ)
19849月  関川夏央

*文化の比較のためか、脚注が豊富です

13】僑胞(キョッポ)
在外国韓国・朝鮮人。海外同胞ともいうが、日常的には僑胞という言葉を多用する。日本人観光客がふたことみこと朝鮮語を話すと「キョッポでしょ?」とまず例外なく尋ねられる。朝鮮語を話す、あるいは話そうと努力する日本人がいるわけがない、または日本人ごときにわが精緻な言語があやつれるはずはない、逆に僑胞が朝鮮語を話すのは当然、というふたつの「常識」が厳然としてそこに存在することを感じさせる。
4】タッチ・アウト
韓国ではアメリカ語の流用でタッグ・アゥトという。
余談だがゴロはタン・ボルという。米語ではない、日本語でもない、では何語かとかなり悩んだ。なんのことはない朝鮮語だった。タンは土。ボルはボール。つまり土ボール。