国家総動員 著者 小野清秀 発行所 国風会   1937(昭和12)年1128日発行 昭和121210日第3

「国家総動員」中扉画像
*この本は、戦争に国民を動員するために発行されたものであり、「時代の産物」といえます。本に書かれている内容について、同意してして紹介する訳ではありません。むしろ、否定されるべきものであるけれど、かかるものが流布され、表だっては誰も否定し得なかった事実を忘れないために、紹介するものです。本文中に用語解説を付け加え、末尾に年表、参考資料を付けてあります。
*突然に現れたものでないこと、積み重ねの中で成り立ったものであることが理解されることが必要だと思います。

国家総動員 目次

72回 帝国議会開院式勅語内閣告諭 内閣総理大臣 近衛文麿
内閣総理大臣 公爵 近衛文麿閣下 題字枢密院顧問官 国風会顧問 維新史料編纂会総裁 伯爵 金子堅太郎閣下 題字枢密院顧問官 明治神宮宮司 国民精神総動員中央連盟会長 海軍大將 有馬良橘閣下 題字国風会会長 海軍中將 上泉徳彌 題字
国家総動員刊行の辞緒言

1章 国体の真相

1項 国体の根幹/第2項 国体の精華/第3項 国体の美果/第4項 国体の恢宏(かいこう=ひろめる)/第5項 皇道日本の全貌/第6項 建国事情と国民の信念/第7項 統合家族制度

2章 日本民族の使命

1項 皇道の世界宣布/第2項 日本民族の海外発展/第3項 実業的海外発展/第4項 大亜主義/第5項 世界全面の危機/第6項 躍進日本の試練/第7項 婦人の天職と非常時局/第8項 家庭と経済

3章 非常時国難の概綱

1項 非常時局とは/第2項 人口問題の実質/第3項 人口調節難/第4項 財政と軍事費/第5項 農漁村の自力更生/第6項 地方債と教育費/第7項 貿易の前途/第8項 追随外交の清算/第9項 9ヶ国会議/第10項 日独伊の防共協定/第11項 共産主義/第12項 中産階級と国家の前途/第13項 教育の錯誤/第14項 右傾暴行/第15項 政治意識の朦朧/第16項 産業意識の転倒/第17項 思想信念の低迷

4章 戦争の本義

1項 皇道、王道、覇道/第2項 三道対比の戦争評/第3項 戦争は避く可らず/第4項 戦争は進化す/第5項 戦争の種別

5章 宗教の領域

第1項 宗教の本領/第2項 自己の教化/第3項 家庭的教化/第4項 公衆の教化/第5項 教化者と信者/第6項 宗教の社会運動/第7項 教育と宗教/第8項 倫理と宗教/第9項 政治と教化者/第10項 現在教化者の任務/第11項 日本式外交/第12項 戦時の家庭生活

6章 戦争と宗教

1項 非常時の宗教/第2項 従軍布教師の任務/第3項 銃後教化者の重大任務/第4項 戦後の教化者

7章 戦時と生死の観念

1項 生死超越/第2項 死の一宇/第3項 死と未来の解決/第4項 生死の自覚/第5項 信念は万難を征服す

8章 天祐と神助(注:神佑。神助(シンジョ)=神の助け。天の助けと神の助け)

1項 建国創業に関する神佑/第2項 大逆に関する神佑/第3項 外寇に関する神佑/第4項 第三艦隊旗艦の神佑/第5項 中興維新における神佑/第6項 兵乱に対する神佑/第7項 特殊なる霊感/第8項 戦時と霊感/第9項 瑞祥と政略(注:瑞兆(ズイチョウ)・瑞徴(ズイチョウ)・瑞祥(ズイショウ)・瑞象(ズイショウ)・瑞験(ズイケン)=①めでたいしるし。)/1項 奇蹟の生還/第11項 有難や亡父の写真/第12項 貰った飯盒は職死した弟のもの

9章 祈祷と公葬

1項 祈祷の本旨/第2項 戦勝祈祷と平和克復祈念/第3項 風変わりの先勝祈祷/第4項 御守と千人針の威力/第5項 勇士と千人針/第6項 身替り煙草入れ/第7項 位牌と遺骨の奇蹟/第8項 千人針の御蔭/第9項 お伊勢様と千人針/第10項 千人針と蝦蟇口と母の声/第11項 職死者と公葬/第12項 勇士と村葬

1章 戦線と銃後の美談

1項 戦線の武勲
1 濁流を泳で大剣劇戦/2 鉄条網に片足/3 失明伍長、跫一等兵を背負ふて/4 飢渇を癒す鉄兜の雨水/5 単身敵群を撃退/6 死せる部隊長列車分捕/7 僚機の俎上へ敵を誘出/8 重傷にもひるまず指揮を全うす/9 凄絶千人斬り/10 水田中の白兵戦/11 陸戦のビカ112 強雨中の白兵戦/13 地爆決死の白タスキ隊/14 敵地を4日間彷徨/15 一弾必中の至宝/16 勇敢な戦傷28517 鉄兜に袈裟/18 敵前の鬼ごっこ/19 サーカス低空飛行/20 支那紙も感嘆/21 敵陣へ肉弾散華/21 鼻唄交りで電線失敬/23 敵4人目は闇の一突/24 恩賜の軍刀を死守す/25 果敢な肉弾爆撃/26 無念や手榴弾炸裂/27 捕虜とならじ敵前で割腹/28 敵陣へ乗込む唯一人/29 空から猛弾の餞別/30 敵前に飛ぶ握飯/31 離別出征の気迫/32 小兵、巨人を征服/33 感激の敵前着水/34 三隊長、相次で戦死/35 怒る炎の肉弾機/36 千人力の日章旗/37  空中戦史に比類なき記録/38 敵陣へ真一文字/39 加瀬通訳の勇戦/40 生ける戦車お相撲伍長/41 戦死したら祝てくれ/42 酒豪家、大隈伍長/43 天使軍用鳩/44 殊勲の軍犬/45 軍馬アヲの出征/46 声高々と遺言朗読/47 拳骨軍曹/48 城壁爆破を掩護(えんご)/49 大西郷の琵琶歌を吟じて散る/51 地雷に投じ機銃を砕く/51 火箭(火矢)となった五荒鷲/52 挺身望楼を築く/53 来援の一瞬に死別/54 大音声にたちまち降服/55 仇討ち上等兵/56 敵集目掛け焔の荒鷲突入/57 空中の消火/58 二晩裸の絶食戦/59 群を離れた荒鷲/60 夜踊る老弾列長/61 還暦は陣中で/62 びつこ隊長、聾の指揮「10倍の敵を殲滅」/63 敵の重囲に三日間「寡兵・肉弾職で死守」/64 敵前渡河の架橋切断「悲壮・決死隊救出」
2項 戦場に於ける日本精神
1 まだ墜ちざるや敵機は/2 涿州を呑む坂西部隊長/3 ゆかし大空の武士道/4 班長の屍を抱く/5 戦場に優しい武人の情/6 勇士の死を嘆く支那少年兵/7 支那の子供を可愛がる將兵/8 支那兵の墓を建つ/9 死して攻撃姿勢/10 軍の生命死守/11 天が代って救出/12 濁流に人柱の橋/13 遺骨を背に指揮/14 布団なしの床/15 情熱の詩人少尉/16 あヽ感激の日章旗、將も兵も皆泣く/17 加納部隊の入城、英霊に響く凱歌/18 海陸の勇士闡北で握手/19 天与無手勝流/20 弾薬箱は橋上に残して/21  陸戦隊を拝む支那民/22 これぞ軍国の父
3項 英霊の遺書
1 豪胆空の訣別/2 深く期す一死奉公/3 梅林大尉の絶筆/4 戦死は本望だが母に知らすな/5 師に対する讃歌/6 僕はいま土に還る/7 鬼准尉と妻/8 勇土臨終の床に「妹の手紙と黒髪」/9 優しい血書の礼状/10 草に仆れて綴る血の遺書/11 部下の奮戦手記/12 46個所の傷/13 見よこの覚悟/14 無き後の家計/15 評判の元気者/16 決死の離別出征/17 初陣に死のリレー/18 従容死に就く(梅林機の操縦者松井航空兵曹の遺書)
4項 銃後の美談
1 この父この子/2 力強い女性報国/3 慰問袋が特等/4 戦禍を越へて隣人愛/5 この母にしてこの子/6 父の訃報に馳せ帰る勇士を拒む/7 病の床に出征を励ます/8 健気な軍国の父/9 黒衣と白衣の天使/10 最後まで踏み止まり傷者看護の志願/11 血書で応召の歎願/12 血で描く赤心/13 14少年の従軍願/14 盲目の老婆肌金全部献金/15 護国の英霊を弔う浄らかな遍路/16 米国からの慰問袋/17 花売少女の献金/18 女学生の赤心/19 13少女血の日章旗/21 必死の八百屋の妻女/21 小型の一心太助/22 ゴム長靴の女隊長/23 陸士志願殺到/24 放課後は工場へ/25 戦死者に咲く縁の花/26 伜の戦死で肩身が広い/27 塹壕に水兵の母/28 被服報国/29 戦地からの献金
5項 聖戦を讃仰する外人
1 ローマ法王、日本支持の指令/2 五千の御守仏像/3 血燃やすナチス党の従軍願/4ドイツ婦人の志願/5 外人の聖戦讃仰と献金/6 センビル卿絶讃の電報/7 露人皇軍へ慰問袋/8 米婦人から慰問金/9 理解ある達観の米国有志/10 海越へて従軍願/11 童心尊し、傷癒えた英大使の深謝/12 外人工場主が報国音楽隊/13 伊太利の鉄血部隊/14アメリカ武人の厚い心意気
隠れた幾多勇士の勲労

結論

1 皇道文化の創建/2 支那事変の核心/3 満洲国の現状に鑑みよ/4 躍進日本の建設/5 国家総動員と国民の覚悟

支那事変経過の大要

附記

1 9ヶ国会議招請に対する帝国の回答文2 帝国政府声明

附篇

1 国民精神総動員実施要綱(内閣)2 国民精神総動員実践事項(内閣)3 時局に処する国民の覚悟(内閣総理大臣 侯爵 近衛文麿)4 杜会風潮一新 生活改善10(文部省)5 家庭と非常時経済の協力(文部省)6 国家総動員の実態 陸軍省「つはもの」編集部 原 嘉章

国民防空 必携 国風会副会長 江藤哲二

序文1 防空の意味/2 警報/3 防護の応急手段/4 防空の3綱目/5 爆弾の種類と其の威力/6 焼夷弾の種類と其の威力/7 瓦斯弾の種類と人畜損傷の程度/8 避難室の設備と防毒具/9 燈火官制/10 負傷者に対する応急処置/11 防護団の組織と任務分担/12 家庭防火群の組織と任務分担

72回帝国議会 1937年(昭和12年)94 - 1937年(昭和12年)98 (臨時会)

72回 帝国議会 開院式 勅語

朕、ここに帝国議会開院の式を行い、貴族院および衆議院の各員に告ぐ。
帝国と中華民国との提携協力により、東亜の安定を確保し、以て、共栄の実を挙げるは、これ朕が夙夜(しゅくや=朝から夜まで)軫念(しんねん=こころくばり)おかざる所なり。
中華民国、深く帝国の真意を解せず、みだりに事を構え、ついに今次の事変を見るに至る。朕、これを憾(うらみ)とす
今や朕が軍人は、百難を排してその忠勇を致しつつあり。これ、一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立しょうとするに外ならず。
朕は、帝国臣民が、今日の時局に鑑み、忠誠 公に奉し、和協 心を一にし、贊襄(さんじょう=賛成し助ける)、以て所期の目的を達成することを望む。
朕は、国務大臣に命じて、特に時局に関し、緊急なる追加予算案および法律案を帝国議会に提出させた。卿等よく、朕が意を体し、和衷協賛の任を竭(つく)すことに努めよ

内閣告諭

72回 帝国議会 開院式にあたる優渥(ゆうあく=君主が人民の置かれた状況を心から心配する)なる勅語を賜ひ、帝国の向かう所を明にし、国民の進むべき道を示させ給へり。聖慮宏遠にして真に恐懼感激に堪えざるなり。
おもうに、帝国は東亜の安定を望み、常に日支両国が相提携して、以て世界平和の基を樹てんと欲す。これ、比隣其の幸を一にし、列国其の福を同じくするの道にして、帝国一貫の国是なり。然るに支那は、常に隣交の誼を忘れ、信義を失し、永年、排日抗日を以て国策とし、帝国の権益を侵して、暴状を極め、ついに、今次の事変を生ずるに至れり。
今や出征の將兵、外に膺懲(ようちょう=敵に大打撃を与え、二度と戦争が出来ないように こらしめること。)の歩武を進め、銃後の国民、内に奉公の至誠を致す。然りといえども、今次の事変は、そのよってきたる所遠く、事態の推移、亦(また)(にわか)に余談を許さざるものあり。この秋(とき)にあたり、国民ひとしく時局の重大性に鑑み、益々堅忍不抜の志操を堅持して、今後に来るべき如何なる艱難(かんなん=更なる発展を遂げるまでに経験する、言葉に言い尽くせない苦労。)にも堪へ、所期の目的を貫徹するため、敢然、邁進するの決意あるを要す。
凡そ難局を打開し、国運の隆昌を図るの道は、我が尊厳なる国体に基き、尽忠報国の情神を益々振起して、之を国民日常の業務生活の間に実践するに在り。今般、国民精神の総動員を実施する所以も、亦此に存す。
古来、我が国民は艱難(かんなん)に遭遇するや、必ず之を克服し、以て、国家興隆の成果を収めざるなし。時局に際し、国民深く如上の趣旨を体し、忠誠 公に奉じ、和協 心を一にし、日本精紳を昂揚して、挙国一致の実を挙ぐると共に、之を実践に現して、愈々、国力の伸張を図り、以て、皇運を扶翼し奉る所あるは、本大臣の深く全国民に期待する所なり。
昭和12年9月9日  内閣総理大臣 公爵 近衛文麿

「国家総動員」刊行の辞

  晩近、世界の趨勢は頗る多岐多端にして、各方面において過激、相剋、排撃、弾圧等、人心の不安と動揺を繁(しげ)からしむるものはなはだ多きは、詳述を要せざるところなり。
 (おそれおお)くも、上に万世一系の皇室を戴き、万邦無比の国体を矜持(きょうじ=自分自身をエリートだと、積極的に思う気持。プライド)する我国においては、かかる傾向を見ることはなはだ多からずといえども、少くとも、世界注視の焦点として、その一挙手一投足、ことごとく、全地球各方面に亘り、一大影響を及ぼすべき我国最近の地位として、他の諸外国、他民族との関係、はなはだ切実にして、したがって、其の傾向になじみ、その影響をこうむること、また必至の勢いなりといはざるべからず。
 由来、国家の輿隆は、其の細胞たる国民の質實剛健にあり。上下一致協力、各その本分をつくし、職責に忠なること、あたかも、一身において健全なる脳中枢の指示に従い、六官各その機能を発揮するがごとく、正しき統制体系にあるを要す。
 近衛内閣、成立して、劈頭(へきとう=初めから引き裂くような衝撃を加える意)、先づ国家総動員を声明し、続いて支那事変の勃発となり、政府はここに、国民精神総動員なる一大国民運動を起すにいたれり。
 そもそも、国家総動員とは何ぞ? 実にこれ簡単にして、万民の直ちに首肯する所なりといえど、よくこの声明の旨趣を解説し、国民を適切正当に指導すべき読本なきは、はなはだ遺憾にたえざるところなり。
 本会、ここに、かんがみるところあり。国家総動員に対する国民の理解を深くし、この重大時局において、万民に共の止動(?=行動か?)するところを知らしむべく、本書を刊行するに至れり。
(こいねがわ)くば、本書「国家総動員」がひろく一般に普及し、全国民一致協力、もって、この非常国難の打開に勇往邁進するの指針たらしめんと欲す、と云爾(しかいう=云・い はん 爾・のみ)。
昭和1211月  国風会会長 海軍中将 上泉徳彌

謹告

 本書に記載せる戦線及び銃後の美談は、編集編纂の都合上、昭和121031日蘇州河の敵前渡河までに止めたるが、其後、北支に於ては彰徳、太原の陥落あり、中支方面は杭州湾北岸の敵前上陸に引続き、南市南翔・大倉・昆山・常熟・嘉興・蘇州の陥落ありて、將に南京を攻略せんとするの態勢に在り。去る1112日、北支及内蒙將兵に対し、優渥なる勅語を賜はり、同20日大本営を宮中に設置せられ、叉連合艦隊並に上海方面陸海軍將兵に対し、優渥なる勅語を賜はりたり。
 北支事変の勃発より既に四ヶ月、皇軍は破竹の勢をもって驀進(ばくしん)また驀進、其の間戦線銃後における偉勲美談は、実に枚挙に遑(いとま)あらず。従つてその全部を網羅せんことは絶対に不可能な上、僅少の時日を以て不眠不休急速に編纂せしものゆへ、或は脱落、或は錯誤の恐れなしとせざるも、再検討の余裕なかりしをもって、特に読者の御諒察を乞ふ。

国家総動員 国風会編輯部長 小野清秀 著 緒言

  国家総動員は、国民思想の統制を前提、もしくは中枢とせなければ、その意義をなさぬ。思想の統制といふことは、常時でも、もとより肝要であるが、特に非常時にありては、極度にそれを徹底せねばならぬ。たとえ小さな問題であり、くだらぬ異端であっても、それがいつのまにか、不測の危険をはらむにいたるものである。
 思想の統制はいうまでもなく、国体を中心として、これに同化し、もしくは、よく接触し得るものの他は、ことごとく、断固として排撃・剪除せねばならぬ。しかし、よほど注意せぬと、あるいは短見・早計のため、あるいは言語文句の末にとらわわれて、国体的のものも排斥の厄にあうことがあり。また、これに反し、いかにしても、国体とは一致しがたきものでも、それを唱える人物や、旧慣によりて、看過せらるるような場合が少なくないのである。
 現下の非常時において、思想の統制を円滑ならしめ、国家総動員の効果を全うしようとするには、従来のごとく、政治は政治、経済は経済、軍事は軍事、教育は教育、宗教は宗教と、專門的分業的に隔立した考えでやっては、都合よくゆかぬ。互に相、諒解し合って、渾然一体となり、それを土台として、あらためて、各自の持ち場に出動し、もって、個々の使命を果たすべきである。
 もしそれ単に非常時精神総動員の声のみ大にして、無軌道に急募雑揉、もって一時を糊塗するようなことにおわったならば、事後にいたり、猛烈なる分解作用を触発し、ついには玉石ともに砕ける、精神界の危機を将来するにいたるのである。そうなると、せっかくの戦勝もその効果を削減し、収拾すべからざる精神的敗衄(はいじく=戦いに負ける)におわるのである。
 全体、非常時に際して、一般的に精神界が萎縮するようであれば、それは精神的亡国の兆であって、政治、経経済の力でも、武力でも、容易に救抷回復することは困難である。これに反して非常時には、大抵の場合、民衆は、期せずしておおいに興奮するものである。しかるに、万一、不注意な煽動をなすようことがあれば、興進はついに沸騰点にたっし、一時的には相当大なる効果を収め得るも、それは汽車や自動車に、既定以上の速力を強いるのと同じく、一定の期間内に必ずや爆裂の恐れがあるのである。
 思想界は政治や戦争や相場等とは、多少、その趣を異にしているから、どこまでも平静を保ち、常住穏健でなくてはならぬ。冷熱の調整がもっとも肝腎である。思想界が平静穏健でなければ、いかに他の方面が好調であっても、それは真の平和でも安全でも富強でもない。あたかも、濁富者が金殿玉楼、錦衣美食の生活をほしいままにするも、内心に煩悶絶えず、家庭に風波あり、隣保に冷眼あり、一朝事あれば、ついに気死、悶死、あるいは狂乱に陥るようなものである。
 また、前にも言えるごとく、政治も経済も軍事も、すべてのものは互に思想と関連し、決して孤立存在し得(う)べきものではなく、ひとしく人間の実生活上に競合具存して、いづれも欠くべからざるものであるから、これを融和統制せしむる所に、社会の平和があり、人格の完成があり、安定があり、幸栄がある。もし、これを勝手に分立せしむれば、それ擾乱(じょうらん)であり、生活の破綻であり、生命の危害、即ち死である。調和と不調和、統制と不統制、これ即ち治乱興亡、栄枯生死の分かれ道である。
 有史以来の大国難に遭遇せるわが日本民族は、小事を棄てて、大同に就き、一死奉国の誠を以て、皇道(こうどう)の下に団結し、暴戻(ぼうれい=乱暴で、むやみに人民をいじめる)支那(しな)を膺懲(ようちょう=敵に大打撃を与え、二度と戦争が出来ないように こらしめること)して、人類福祉の増進と世界平和確立のために猛進しなければならぬ

第1章 国体の真相

第1項 国体の根幹
 大日本皇国の国体は、世界列国、すなわち一切の国々のそれと、その成立の順序も内容も、全然異なっている。支那にせよ、印度にせよ、欧米諸国はもとより、まず、土地人民が在って、その人民が次第に繁殖するに従い、その民衆中の有力者や、あるいは、他の強猛なる民族が、他を圧迫して当事者となり、そこにはじめて権力関係の治者・被治者、団体、国家という形式をこしらえたのであって、治者と被治者の間には、脅迫関係、仇敵関係が存在し、一時的の便利とか、共和ということが、国家そのものの成立因縁となっている。したがって、日本以外には、純然たる君主国、先天的の君民一致ということはなく、いわば烏合の寄り合いであり、呉越同舟である。
 日本は神祖の修理(つく)り固めたもうた国土に、その神の嫡統が君臨したまい、他の庶系が臣民となって、国家といふものが自然に出来たのである。義は君子、情は父子、君民同組、一国即一家、国は神国、君は神統、臣民は本来の部族であり、宗支の関係であり、皇統と臣民と国土とが一体不離不可分である。脅迫だの、仇敵だのといふ因由は毫末もなく、君主、戸主、親の直裁統治で、共和とか、民主とか、假在の君主とかいふ意味は少しもないのである。
 正史を按(あん)ずる(調べる・考える)に、造化三神に発祥して、天神七代、その最後の 伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の両尊にいたり、日本は、大体に修理・個成せられ、また開発せられ、そして、その最貴嫡嗣(さいきちゃくし)たる、天照皇大神(てんしょうこうたいじん)は、皇祖または天祖として、建国の宏謨(こうぼ=はかりごと。大規模な計画)を定めたまい、皇孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、日本に降臨したまい、各天神より出たる庶流は、皇統の隷属(国や人などが、経済的に従属したり、下級の存在として命令に義務的に服したりすること)となりて、皇孫に従い奉り、あるいは、その前後に日本各地を開拓し、それらのすべては日本民族の祖となり、皇孫四代の嫡孫、神武天皇は建国の治を布かせたまい、爾来124代、2,590余年、連綿として今日に至つて居る。
 土地は神成、君主は神統にして現神(あらひとがみ)、臣民は神の支族、そして統治の臣道の大綱は、一に祖神の御神慮に従う。ゆえに、神国といい、神随(かむながら)または惟神(かむながら)と称す。支那・印度のごとく、民人まず発生して、君主、後に起こりしものや、欧米のごとく、移転・植民的の建国は、法理上にては権力的君主であっても、道義的君主の実質なきは、今更いうまでもない所である。
 ゆえに、日本国体の根幹は、神国という点、先天的君主関係、君統一系というにありて、この根幹を開芽、発達せしめて、霄雲(?=雲霄・うんしょう=①空のこと。▽「霄」は、空のはて。②高い地位のたとえ。)の根幹、大木たらしめるものは、皇祖の皇孫に賜いし、建国の大神勅である。
 豊葦原(とよあしはら)千五百秋之瑞穗(ちいほあきのみづほ)の国は、これ吾が子孫の君たるべき地なり、爾(いまし=なんじ)、皇孫(すめみまご)、就(ゆい)て、治(しろ)しめしたまへ、さきくましませ、寳祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)えまさむことは、天壌(あめつち)のむた無窮(とこしえ)なるべきぞ
 「豊葦原」とは、肥えて青々とよく茂れる広野を指さしたのであると同時に、また、無限の空間を示している。それは建国の辞や、祈年祭の祝詞(のりと)に、海の限り陸の限りを平定し安穏にするという点から推して見ても明らかである。また、「千五百秋(ちいほあき)」は、無限の時間を指さしたものと見てもよい。広大無限なる国土の中において、特にその中つ国たる瑞穗(みづほ)の良地に、皇居を定め、そして、無限に、永久に、統治せよとの御神慮である。「就(ゆい)て治(しろし)めせ」とは、圧迫せず、自然の本性に従って統治すること。「さきくましませ」とは栄え進めといふこと。退嬰は絶対に不可、さりとて侵略も不可。自然、真純の発展・繁栄でなくてはならぬ。この皇祖の御神勅は、聖上の御上に惟神(かむながら)に表現されている。臣民は、一意、恭敬、遵奉せねばならぬ。
 天神、特に神祇、中心・至高・最尊の伊勢神宮を始め、日本には沢山の神祇があるが、それは建国に関係ある神々や、歴朝の聖天子、あるいは、忠臣名士、郷党の開発者を奉祀したるもので、神祇は生ける国民道義の典型であり、一は国体の根となり、他には日本精神の照鑑者、激励者となるものである。
 天皇陛下を現神(あらひとがみ)と申し奉るは、生ける神、皇祖、皇大神の御延長におはします故なり。
要するに、神国と神統、神祇、神族、建国の大詔。これ我が国体の根幹であり、それが自然に発達し、また、教学の培養によって根を張り、巨幹となったのである。そして、この根幹の成長とともに、枝葉も繁茂したことはいうまでもない。
第2項 国体の精華
 天壌無窮(てんじょうむきゅう=天地の存在する限り、長く繁栄し続けること)の神勅が、神(かん)ながら、神のまにまに、皇統、一系連綿として、金甌無欠(きんおうむけつ=少しの傷もない黄金のかめのように、完全で欠点のないこと。また、国家が一度も外国のあなどりや侵略を受けたことがないことのたとえ)の皇国が実現された。これが国体の本相であり、神髄である。そして、この中心より自然に発揮せられたものは、一方に敬神崇祖の大義となり、一方には忠愛義勇の日本魂(やまとだましい)となり、この両者が合して皇道となり、我が国民道徳の実質となっているのである。
 天神地紙(てんじんちぎ)八百万(やおよろず)の神、全国10万の神社は、建国以前の神もあり、自然力の神格化もあり、翻へって、偉人の威力を自然化したものもあるが、最高の伊勢神宮に奉斎せる皇祖は申すも畏(かしこ)く、その他、造化・修理の神々、聖天子、忠臣、名士、地方の開発者を祀りたるもので、神明であると同時に、また、日本民族(やまとみんぞく)の祖先である。ゆえに、敬神即崇祖、崇祖即敬神となるのである。報本反始(ほうほんはんし=天地の神や祖先の霊をまつり、それらの恩功にむくいること)の大義は、ここに基いている。この意味における神祇、この趣旨に基づく信念は、他の国、他の民族においては、全く見ることの出来ないもので、日本国と日本民族特有のものである。すなわち、神祇は国民精神、国家道義の典型であり、指導者であり、国の鎮め、すなわち鎮守であり、国の霊(みたま)であり、地の霊(みたま)であり、民族の代表的精魂である。
 この敬神崇祖の観念を、君主・国家に手向ければ、直ちに、尊皇愛国となり、またこれが、建国の事情と相伴う勇武の民族特性と化合すれば、忠勇一致の結晶たる日本魂の中枢となる。
 国体の中心たる心木より咲き出でたる精華(せいか)は、無窮の皇統である。そして、その左枝には、神祇の奉祀・敬神、崇祖の妙華を開き、右枝には、忠勇の大和魂たる美華を咲かしめている。皇統、敬神、忠愛、この三つが、一体、不離不可分、三即一なるところに、国体の本質が、光彩陸離として顕現し、精華が爛漫たるのである。
第3項 国体の美果
 国体の根幹と精華は上述のごとくであるが、しからば、この名木、この美花は、いかなる果實が結ばれるかというに、それには、去年すなわち過去のものと、現在結實しつつある今年のものと、將来結實するもの、すなわち、是非共結實せねばならぬ理想的未来のものとがある。
 今、まず過去のものを例示すれば、世界人類に歴史あって以来、幾千年、その間、国家の興亡は干にもあまるが、一系の統治干年に及ぶものはない。支那の周の代が長くて八百年、しかも東四流転の難があった。印度山地の一小邦と、さきに亡びたエチオピア等は、長く続いたというが、真の一系ではないらしい。日本は、神代(かみよ)を除いても、神武天皇建国以来、すでに二千六百年近くなっている。
 また、他国にも聖君・賢主があり、英明・善政の当事者もあったが、日本のように列聖、相次ぐものはない。もちろん、日本でも、権臣が、政(まつり)ごとを、ほしいままにしたこともあったが、それは一時の変態に過ぎぬ。したがって、受けた迷惑は、他国のそれに比して十の一にも足らぬ、
 また、一系の皇統、連綿として、革命の乱がない。戦争はあつたが、それは権臣同士の争いで、今の政党の政権争奪か、それ以下のもので、二千六百年の間に、戦争は、大小数百あったが、その損害は、露国や仏国の一回の革命乱よりも少ないくらいである。したがって、その反比例に、国利民福の至大であったことは、いうまでもない。
 つぎに、現在の實はどうかというに、世界嫉視の風雲渦中にあって、強国随一の発言権を確保し、さしあたり、東洋の平和を、堅実に、樹立する順序となっている。
 つぎは、世界の平和、人類の福祉増進であるが、これは、未来のもので、とほうもない大きなものだが、急には、成就せぬかも知れぬ。しかし、幾回でも、幾年かかっても、是非、やらねばならぬ。いかなる事があっても、隠忍自重、結局、有終の美果を収めるべきである。
第4項 国体の恢宏(かいこう=ひろめる。ひろまる。)
 祈年祭(きねんさい)の祝詞にあるごとく、海路(うなち)のつづく限り、陸路(くがち)のつづく限り、平らげく、安らげく、聞食(きこしめ)(聞こし召す=①「聞く」の尊敬語。②「飲む」「食う」「行う」「治める」の尊敬語。この場合は、「治めよ」か)とのる(告る=のる=言う、告げる)の、本旨を体し、平和の手段、妥当の方法をもって、全世界の平和・安全につくさねばならぬ。されば、明治維新前や、特に、徳川時代のごとく、保守的、消極的、鎖国的に、わが国体を取り扱ってはならぬ。この宏謨、この真義、この日本精神、王道に超越せる、大皇道を、世界人類全般に拡大し、強化して、普及せしむるのが、現下ならびに将来永遠の不断連続的座標でなくてはならぬ。
 この、光輝ある皇道の真諦を曲解し、偏狭なる考えを持ち、他を蔑視し、ひとりよがりに力むことは、愚昧至極であると同時に、また、国家国民の損害を招くものであるから、大いに反省、警戒すべきである。
 ただし、この拡大を、政治的に高調すれば、他より見れば、あるいは、手前味噌となり、あるいは、侵略主義と誤らるる恐れがないとも限らぬから、精神的丈化的方面より、一視同仁、共存共栄の見地より、邁進すべきである。万一、この大道に抵抗せんとする者ある時は、祖先伝来の正義の剣をもって、反省、自覚せしむべきものである。
第5項 皇道日本の全貌
日本は神国なり。かみながら(惟神=かむながら)神の開き給ひし国。そして、神の嫡嗣が皇神(すめがみ)とし、現神(あらひとがみ)として、治知(しろし)めす国なり。臣民もまた、神の末孫(みすえ)にして、惟神、神の教勅(おしえ)を守りて、上(かみ)に事(つか)へ、己れを修め、産を治す。これ即ち、神教(みおしえ)を真軸として、君臣上下一体の華實(かじつ)を顕彰するものなり。
更に又、大は皇国(みくに)の魂(みたま)として、小は郷党の守として、国中の到るところに神祇(じんぎ)(しず)まりまして、夜の守り、日の守りに、守り幸(さちは)へ給う。これこそ世界に類例なき、日本特有の大則(みのり=御法=①法律・法令の尊敬語。②仏法や、仏事・経文などの尊敬語)にして、神国の神国たる唯一厳証なり。
神国日本の根本信仰は、神道なり。上下の執り行うべき道は、皇道なり、臣道なり。しかして、その実際的標識は、三種の神宝(かんたから)にして、簡明率直、他の衆賢、諸聖が工作せる幾千の経典、聖書等の浩瀚(こうかん=その本を構成する総ページ数が多い)なるに比すべくもあらず。鏡は明、璽(じ=三種の神器の一つ。八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)は仁、剣(つるぎ)は勇なり、断なり。しかして、この三器三徳の渾然一体たる動力を、大和魂といい、神道、皇道、臣道の三道、融然帰一するものを、敬神崇祖という。しかもまた、敬神は崇祖を基根とし、崇祖は敬神に究竟(くっきょう=もと、「終極・至極(シゴク)」の意)す。すなわち、敬神崇祖は、畢竟、同質一体の二語なり。見よ、神祇は、多く祖なり。しかして、祖また常に神化す。報本反始の大義よつて以て起る。
伊勢神宮は皇祖(また天祖ともいう)天照皇大神(てんしょうこうたいじん)を奉斎す。すなわち、皇室のご先祖、すなわち、建国の元首にして、また、我が国民の大祖におはします。しかれば、紳宮を崇敬するは、敬紳たると同時に崇組なり。その他、各地神社に奉祀する神祇は、建国に関係ある神々や、歴朝の聖天子、忠臣、名士、または、国民生活上や文化上に貢献せる偉人を始め、郷村の鎮守神、産土神または氏神は、多くその土地の開発者にして、地の祖たると共に、また、住民の祖先たるを通例とす。したがって、全国一切の神祇は、建国、開拓、済世、治民、興業、教導の聖徳者たると共に、国民全体、または、一地方もしくは一氏族の祖先なれば、敬神崇祖の同元一体たるは明らかなり。
 日本よりもし神祇を取り去れば、その結果は如何。聖君、忠臣、偉人の生ける教訓は、何によって、これを体得すべきか。聖君を祀らずんば、皇基厚徳を偲び、これ対する報効の念は、自然に希薄となるに至らん。また、忠臣・偉人を祀らずんば、誰れか先賢古哲に倣いて、忠誠をつくすものあらんや。ゆえに、神祇を無視すれば、忠愛奉公の大義、自ずから亀裂し、敬神崇祖の信誠(まこと)なければ、日本精神の根幹、自ずから朽ちて、皇道・臣道、共にその威力を失墜せん。
 神祇は、ことごとく国家の柱石にして、皇上もまたこれを尊重し給う。国民が、国家の柱石たる先進を崇敬するは、忠君愛国の端的なり。ゆえに、敬神崇祖の念なきものは、非日本民族なり。皇統と国土、そして、その支柱たる臣民。その国中の代表的優秀者たる神明、すなわち、皇統と神祇と臣民、この三者は、三即一、一体不可分のものなり。この三者の一体一本なるを国体の神髄とす。それが、敬神崇祖とあらわれ、忠君愛国と発したるを、国体の精華といふ。この根幹・華実、相全きを、神国日本の全貌とす。
 日本国民としては、宣教師でも僧侶でも、伊勢神宮を崇敬せねばならぬ。また、町村民としては、いかなる宗教信者といえども、その産土神を尊重せねばならぬ。
 信教は自由なる故、如何なる宗教を信じるも、治安を害せざる限り、差し支えなし。ゆえに、神祇は親として尊び、宗教は夫婦のごとく、妻は夫を、夫は妻を、互いに信頼するごとくすべし。さすれば、敬神と信教と矛盾・衝突することなく、渾然融和、思想の統制、ここにおいて確立すべし。
 第6項 建国事情と国民の信念
 全体、一国民の習俗・性格より思想・信念にいたるまで、地勢・気候の影響を受くることのあるは事実である。また、交通・国際間の習性が、互いに相影響することも確かである。また、宗教や偉人の力によって変化することも少なくない。が、それ等以上に、どうしても変らぬ特質といふものがあって、かえって自然の勢力を制し、外来の思想を自主的に同化せしむるのである。
 こういう特性がよいか悪いかは問題ではない。とにかく、古来の史実において、この特性を失うたもの、もしくは、自主的に他を同化し得ずして、かえって他のために同化され吸牧されたもの、すなわち、外来の思想に対し、自主的同化反応力を有せなかつたものは、大抵、滅亡し、もしくは、現に滅亡しつつある民族である。吾人は、外来思想を資料として、白己発展のために善処すべきを認めるのは勿論であるが、己れを挙げて、他に投ずるということは、はなはだ不賛成であって、むしろ、この特性を修練して、益々、発揮すべきを高調するものである。
 人種の根源は、一つであるか、はたまた、多であるかは、あえて問うを要せぬ。とにかく、現時の各国民は、各自に多少の特質を持っているのは疑いない。しからば、かかる特性は、いかにして発生したかというに、吾人の研究するところによれば、すべて一国民の特性、思想・信念の本質・精髄というものは、一に建国の事情に伴うものであるということに決着するのである。
 日本国民の特性・信念、すなわち、日本精神は、我が建国の事情と一致して発達したものである。支那や、欧米諸国は、日本と建国事情が異なつて居る。しかして、此の建国の情勢が変革なく永続すれば、それだけ、その国民性は一貫して発達するものである。また、仮に、民族は同一であっても、建国事情が変更すれば、その国民性が動揺し、ついには支離滅裂するものである。その例証は、日本と、支那や、印度、エジプト等を比較して見ても、自ら明かである。
 建国の事情というものは、かくのごとく、民族信念の上にも、また、その消長においても、至大の権威を有するものである。そこで国民は、建国の情勢をつまびらかにし、よってもって、自己の信念の、由来・本質を自覚し、益々、その円満なる発達を図るべく、修練せねばならぬ。特性の発揮ということは、排他でもなく、頑迷でもなく、自主自存上の必要である。他と同化して、共存共栄を企図するものである。
 日本の建国事情は、天孫の降臨ということを発端とするのが妥当であらう。この降臨というのは、今日の有り様より推例すれば、探検隊とか、遠征隊というような意味も含まれておる。しかして、武人あり、文官あり、参謀あり、工人その他実業的のものも加わっておった。そして、秩然たる組織があり、その総主が皇孫で、他は皆、臣下部属として、既に、先天的君臣の分が定まっておったのである。
 全体、探検とか、遠征とかいうことは、二つの特性を発揮せしむるものである。否、それを企てるようなものは、本来二つの特性を有し、それが、探検の実行によって、益々発展して、実際的となるのである。
 二つの特性とは、一つは、死を恐れざる勇気。すでに、死を恐れぬくらいである、他の執着・我欲等は、一向、顧みぬ。そこで、自然、廉潔である。無私無我である。
 また、一つは、同情一体、下(しも)は上(かみ)のためにつくし、上は下をいたわる。すなわち、生死を共にするという観念。これは、従者の方よりすれば忠となり、主人よりすれば仁愛となるのである。この忠と勇とが、日本民族の特性、大和魂の本質である。
 ゆえに、日本の国民性即ち日本魂とは、忠勇が中心であり、国民道徳は忠が首位であり、本位である。
 けだし、我が国は、皇統、先ず出でて、臣民は、その支族として分派・発達し、君民同祖、一国すなわち一家。義は君臣、情は父子との大詔のごとく、君主にして、また、大御親(おおみおや)におはします。忠孝貞一致とか、一本ともいうが、孝の大切なるは云うまでもないけれど、日本では忠そのものは、すなわち孝貞である。忠孝貞一本というのは、君に忠なれば、その忠が親に対しては大孝になる。忠すなわち孝貞という意味である。そこで一旦、緩急あれば、義勇、公に奉じて、忠につくさねばならぬ。これすなわち大孝貞となるのである。
 支那のごときは、土着的農民的建国で、家が本になり、人民が先づあって、その中の強者や、他の部落の勇者が侵入して、王者になったので、君と民とは仇敵瀾係といってもよい。しかし、善政をしけば、誰れが王にならうと、人民が利益幸福であれば苦情はいわぬ。そこが土着的建国だから、実利本位になるのである。したがって、また、徳あれば王、徳なければ賊といい、禅譲放伐も差し支えなく、更に、君に仕えて三度諌めて聞かれざれば、これを去る。親に仕へて三たび諌めて聞かざれば、泣いてこれに従うといって、君臣の関係は役人として禄を受けている間のこと、忠もそれでよい。しかるに、孝は形式的には徹底している。これも、支那建国の事情から自然に来たる、孝本位の国民道徳である。支那でも忠孝一致をいい、忠臣もあるが、日本のそれとは違い、孝の方が第一位で、忠の方が第二位になっている。形式だけでも、孝の方は日本よりは大形に見えるのである。
 また、欧州は、いわゆる遊牧の民であつたのが、大移転植民的に建国したのである。米国は欧州よりの植民建国である。毛織物、牛乳、皮靴、碧眼は、青草の原に住み、朱髭は天幕生活の結果で、いづれも遊牧民の遺鉢を伝えている。この移転・植民をなすものは、老幼をば伴うこと少なく、若い男女同士の行動であるから、ついに、自由結婚が行われ、夫婦の愛が、社会道徳の首位となり、忠とか孝とかは、次の次である。したがって、自利本位という性格・風習が、自然に馴致されるのは、出稼ぎ植民の通理である。
 かく建国の事情に依り、日本は、忠は即孝貞であり、民族性は忠勇である。支那は孝が第一位、忠が第二位、民族性は実益主義。欧米は夫婦の愛が第一位、忠孝は次、民族性は自利主義になっておる。
 忠も孝も夫婦愛も、皆、大切である。良し悪しと上下の差別をつけるのは、間違いの基である。かく国の成り立ちが違えば、したがって、国民精神も、国民道徳の順位・軽重も、異なることを、我等は認識せねばならぬ。そしてまた、この特性や、道徳の順序を変更するのは、亡国の端緒であるから、これはいよいよ、磨き立て、ますます発揮するのが、我等日本民族、唯一の進路であり使命である。
第7項 統合家族制
 敬神すなわち崇祖、祖先を尊重するという事と、同時に起って来る問題は、いわゆる家名を重んずるということである。家名を重んじ、一家を連綿と永続させるには、勢い家族といふものが必要である。既に家族があれば、これを統制する所の家長または戸主、それからまた、その家族が、段々繁盛して分家などすれば、一族の長、族長とか氏長とかいうようなものを生ずるに至るのが、自然の成り行きである。
 全体、国家を組立てる上において、個人を単位とし、それを本位としているのもある。欧米諸国が、すなわち、個人本位の国家組織である。したがって、家名というようなことは、あまりお構いなしであるから、子供も親の家名を継がねばならぬという考えもなく、成年に達し親の厄介にならぬで済むようになれば、家とか家名等には一切関係なしに、どしどし自分勝手に行動している。それで家族という間柄は、親が子を教育する責任のある期間だけといってもよい位である。
 ひるがえって、東洋では、支那でも日本でも、国家の単位は一家であって、個人というものを強く認めていなかった。もっとも、我が国では、明治維新以来、大分、個人ということに重きを置き、今日では、個人制度と家族制度を合揉したような有り様になっているけれども、本位は、やはり家族制度で、戸主があって、その家族に対して、支配権と、扶養の責任を持ち、また、国家に対しては。家族を代表して、義務と権利とをもっている。
 この家族制度と個人主義とはどちらがよいかと云うに、それはもとより種々の理窟はあるが、日本としては古来家族制度が主になって居る。それには大なる理由があって、此の家族制度を破壊することは出来ぬ。なぜなれば、家族制度を破壊すれば、ついには、一国即一家たる国体に、亀裂を生ずることになるからである。
 また、ひとしく家族制度といっても、それには二様あって、単純なる家族制度、すなわち、単に一家一族を重んじると云うだけに止まるもの、たとえば、支那・印度のごとき単独的の家族制度と、我が国のごとく、一家を重んじると同時に、その家系を拡張して、日本全体が一家族となる統合的家族主義とがある。そこで、日本では、一小家族制度を破壊すれば、その極は、大家族の地盤を覆し、国家から見れば、国体の基礎を危うくすることになるのである。単独家族主義であれば、個人制と一利一害であるが、日本のごとく統合家族主義であれば、国家そのものと一体であり、休戚(きゅうせき=喜びと悲しみ)を伴にするのであるから、害はなく、利益の多大なるは云うまでもない。
 家族主義といっても。昔のごとく、親の職業を子が必ずしも継がねばならぬというのではない。勿論、遺伝・習慣もあるから、世襲的職業の方が便利ではあるが、人には各自に特長があり、又時代の趨向もあるから、おのおの天職を見いだして、それに努力すべきが当然であるが、いづれにしても、家名の大切ということを忘れてはならぬのである。
 正史から見ても、御皇室の御事は、申すまでもなく、公家・武家においても、昔から一生懸命に、主家・宗家の名誉とか、永続とか言うことに苦心し、ために、身命を投げ打つものも、沢山あった。また、自家の家名についても、一方ならぬ心配をなし、いかなる犠牲を払っても、その永続を希望し、それがため種々の悲劇も行われている。これは、崇祖観念、忠愛思想から発途(はっと)し、そして家名を重んじることによって、ひるがえって、また、忠愛思想が醇化され、強化されたのである。
 放蕩児ができれば、祖先にすまぬ。士(さむらい)であれば主君にすまぬとて、勘当したり、手打ちにしたりする。
 夫婦仲はよくても、子供ができねば、祖先にすまぬ、家名が絶えるとして、涙を揮って離縁することもあった。これはよいことではないが、家名中心上、やむを得ぬ点もある。
自分が失敗して、家名を汚せば、自殺することもあった。
家名を汚してはならぬ。
祖先に対してすまぬ。
家名を立てねばならぬ。
 この三つの観念といふものは、実に立派なものである。これが、我が国民性の特徴である。家名奪重の意味は、支那民族にも固有であるが、しかし、我が国のとは深浅・広狭の差別がある。
 家名を汚してはならぬという丈字の中には、直ちに、其の反面に、悪いことをしてはならぬ、不忠不孝不貞をしてはならぬということがこもって居る。
 祖先に対してすまぬという中には、非常なる反省力と忍耐力と保有力とがこもって居る。
 家名を立てねばならぬという中には、子孫の教養はもとより、自己の注意・保健より、隣里・郷党に対する平和観念等が、自然に具有せられている。
 以上を全部帰納すれば、結局、皇室中心主義、忠愛躬行(きゅうこう=自身が実際に行ってみせる)ということになる。これがすなわち、大家族主義、統合家族制度の本質であつて、支那のはこれまで深く入れぬから単独制ということになる。
 家庭の平和は、人生のすべての中においてもっとも温かく、そして美しく、また、楽しきものである。家庭の不和は沙漠を行くが如く地獄生活である。家門の繁栄、家庭の平和、これが地上の天国、直面の極樂浄土である。ドイツのカイゼルは、日本の強きは家名血統を重んずるにありと言っている。
 ただ今日は、時代も異なり、世相は複雑になり、昔の如く誰れも彼れも一家庭に同居して、ともに働き、互いに扶け、共に楽しむということは出来ぬ場合も少なくない上に、個人主義の生活にも、またそれぞれ長所があるから、国体に影響なき範囲において、我利にあらざる個人主義、即ち自己を利すると同時に国家社会をも益する主義をも加味して、相互善良の同化を遂げ、採長補短・犠牲奉公の誠をもって、有終の美を全うすべきである。

第2章 日本民族の使命

第1項 皇道の世界宣布
 万世一系金甌無欠の皇統は、実に世界無比の国体である。忠孝貞一本・義侠高潔な犠牲心は、人類至高の道義である。世界の平和、人類福祉の増進を目標とする皇道は、宇宙唯一・真純の最上原理である。更に我が国は、古今東西の思想を集注し、一切文化の蓄溜池であり、中心地である。たとえば印度思想、仏教の真髄は、今日印度に於いては、容易にこれを尋ね求むべくもあらざるが、日本には、その一切を具有し居れり。漢学のごときも、また同一であって、支那においては既に消滅せる幾多の材料や事実が、日本には現存して居るのである。東洋思想を知らむとすれば、日本を研究するの他なく、これに加ふるに、欧米の思想文化も、また、鬱然として、日本に繁茂し、世界のすべては、日本の手に収められている。したがって、日本を知るは世界を知るの捷径(しょうけい=近道・手っ取り早い方法)である。
 しかして、日本民族は、すでに大方収集しつくしたる、これら東西古今の思想文化をもって、日本固有の皇道的大主義の溶鉱炉に入れて、あるいは消化、あるいは同化、吹き直し、鋳直して、新清・明朗・純真なる時代的普遍的のものに更生・陶冶して、ひるがえって、これを世界各国民族に逆輸出し、寄贈して、共に其の滋味を満喫し、共存共栄、もって、人類全体の光彩を発揮せしむるのが、吾人の天籟の一大使命である。
 日本は地理的に見ても、世界の中心として、交通の便宜、四通八達という位置に立っている。そして、四方海あるから、東西南北いづれの方面からでも交渉ができる。そしてまた一方には、世界の公園とも称すべき美地である上に、いたる所に地霊として神社あり、全国一帯が自然の公園組織となっている。観光国としての価値だけでも相当なものである。かく国体上の無比、思想上の中枢、地理的中心、観光的絶勝。その上に、近来は、欧米の物質文化を、全面的に取り入れ、各種工業の発達、美術その他の誇るべきもの少からず。こういう工合に何もかも揃った国柄は、これを他に求めようとしても絶無といってよからう。
 しかしながら、自己の優秀を顧みて、独り自ら悦に入るとか、他に誇るということは、むしろ、擯斥(ひんせき=受け入れがたいものとして しりぞけること)すべきである。問題は、いかにして、この恩恵を、世界人類に分かつべきかにある。それには、神武天皇の大詔たる「六合を兼ねて、もって、都を開き、八紘(はっこう=八方の意、世界全体)をおおいて、宇となす」の一大理想を奉戴・実現し、我等民族が、世界に誇り得る皇道の旗の基に、世界全人類を、指導・同化せねばならぬ。これまた、わが民族、天賦の一大使命である。
(注:「八紘一宇〔= 全世界は本来一つであるということ。第二次世界大戦中の日本が外地への侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた〕」
(以下略)

結論

皇道文化の創建
 本書の目的は、空前の重大事局に際して、全国民の士気を策励(さくれい=むちうち励ます。きびしく励ますこと)し、その善処を指導すると共に、国体の本義を明らかにし、もって、思想の統制を図り、外来の文化を醇化(純化)して、皇道文化を創建し、これを、世界に宣布するにある。
 古今、我が国に輸入せられたる各種の外来思想は、それ等の国々すなわち支那、印度、欧米の民族性や歴史に由来する点において、その本国においては、当然のものとしても、特殊の国体を有する我が国においては、それが、我が国情に適するや否やを、精密・厳正に批判・検討せねばならぬ。
 欧米の思想は、詮ずるところ、個人主義が中心であり、現実観が主である。また、基督教のごときは、超国家的である。元来人間は、現実的存在であると同時に、永遠に関連ある歴史的存在である。そしてまた、一面、個人的であるがごとく、他方には、同胞一体でなくてはならぬ。個人主義は、政治・経済等の方面においては、自由主義と化し、ついに利己主義に陥る。その結果は、階級的対立・闘争より、赤化・共産にまで進展するのである。それは欧米の現実に示されつつあるごとく、個人主義は、国家生活、社会生活の中に、幾多の問題と動揺を惹起し、今や個人主義のためにファッショを始め、その他幾多の、是正運動が現われるにいたった。
 次に、支那思想たる儒教は、実践的価値あり。孝悌(こうてい=親に孝行で、兄や目上の人に対して柔順なこと)本位の家族主義は執るべきも、忠孝貞一本の我が国家道徳とは、大なる径庭(へだたり。違い。差異。)があり、易姓革命、禅譲放伐は、我が国において、絶対に許されざるところである。また、道教・老荘の思想は、独善主義にして、生気と共栄の公理に背くものである。しかし、日本化せる儒教や道教は、我が国民道徳に寄与する所が少くなかった。
 仏教は、印度民族性と、気候・地理の関係より発展せる、瞑想的、非国史的、超国家的のものであつたが、日本に入りては、我が国民精神と同化し、現実的、具体的となり、国本の培養に貢献する所もあった。
 明治維新以後、欧米の文化は、滔々として流入し、我が国運の隆昌に資する所が大であったが、その個人主義・自由主義は、我が国民生活の各方面にわたって、種々の弊害を醸し、思想の動揺を見るにいたった。
 今や、我が国の使命は、神聖無比なる国体を基礎とし、世界唯一・至上の皇道を座標として、まず、欧米個人主義のもたらせる欠陥を是正し、その行き詰まりを打開すると共に、東西・新旧、一切の文化思想を取捨し、純化して、自主的に、新しき日本文化を創造し、もって、内は、思想の統制を確立し、政治・経済、教育・宗教より社会問題にいたるまで、総ての中心と進路を明かにし、外は、世界文化の進展に貢献し、人類の福祉増進を図り、皇国真姿の顕現、皇道実義の宣揚を遂行せねばならぬ。
 日本は、かつて、支那や印度の文化を摂取して、能くこれを自主的に消化し、更に独自の新しき発展を遂げ得たのである。これは、我が国体の広遠にして、国民精神の剛健なるによったためである。この歴史的・自主的功業を。吾人が現代に於ける民族使命として継承し、国家の大本として万世不易なる国体と、古今に一貫し、中外に施してもとらざる皇道とを、恢拡(恢宏。①ひろく大きい。②ひろめる。ひろまる)発展せして、世界人類平和の確立に貢献し、いよいよ天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。
支那事変の核心
 夷をもって夷を征するというのは、支那戦国以来伝統の外交戦略であつたが、それが世界大戦以来、一方には国際関係もあり、また、一面には国内紛争に対する蒋介石の瞞化の狡策もあり、15年にわたる抗日訓練は、実に凄まじいものがあって、排日より抗日、抗日より侮日と化し、ついには容共まで進むの現状となった。
 皇国の国是は云うまでもなく、東洋丈化の共通せる同種同文の、日満支三国の真摯なる提携、緊密なる握手により、東洋安定の枢軸を確立し、更に進んで世界平和に助力せんとするにある、日支提携なくしては、支那の国家建設も統一もあり得ない。排日は断じて支那の国家国民を幸福ならしむるものでないばかりか、かえって彼等を破滅せしむるものであることは、火を見るよりもなを明かである。然るに、支那の抗日は、その由て来る所遠く、かつ深く、我が隠忍の結果は、予期に反して、益々事態を悪化せしめ、皇国の真意と実力とを解せず、内外の悪気流に惑わされ、眩惑の極、暴戻(ぼうれい=乱暴で、むやみに人民をいじめる)(みだ)りに、事端(じたん=「事件などの発端」の意)を構えるにいたった。
 今回の事変においても、我が不拡大、局地解決の方針は、支那の不誠意によって顧みられず、北支事変は、ついに支那事変となり、支那の排日分子に対して、全面的・積極的に膺懲(ようちょう=敵に大打撃を与え、二度と戦争が出来ないように こらしめること)を加えざるべからざるの止むなきに至った。これは実に、日本の安全とか権益擁護とかいうためのみではなく、正義人道のためであり、東洋永遠の平和確立のためである。かくして、支那の排日分子を徹底的に撃滅し・容共赤化をその根底より剿絶(そうぜつ=すばやく一撃のもとに滅ぼし、ねだやしにする)して、健全分子に活路を与え、もって、永久的の握手と平和を達成すべき、歴史的大事業として直面するまでに進展したのである。
 (かしこ)くも、本年94日、帝国議会に下し給いし、御詔勅を拝するに、
帝国と中華民国との提携協力により、東亜の安定を確保し、以て、共栄の実を挙げるは、これ朕が夙夜(しゅくや=朝から夜まで)軫念(しんねん=こころくばり)おかざる所なり。
中華民国、深く帝国の真意を解せず、みだりに事を構え、ついに今次の事変を見るに至る。朕、これを遺憾とす。
今や朕が軍人は、百難を排してその忠勇を致しつつあり。これ、一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立しょうとするに外ならず。
 と、詔(のたまは)せられ給ひしごとく、御叡慮の宏大なるは申し上げ奉るも畏(かしこ)き極みである。皇国の国是は、始終一定不変であって、支那が真に反省の実を挙げるまでは、いかなる困難に遭遇するとも、相助け、相節し、官民協力一致、これを克服して、国難の打開に、勇往邁進しなければならぬ。
 時局を御軫念(しんねん=①【軫懐】シンカイに同じ。心に深く心配する。②《日本語での特別な意味》天子がきめ細かく心配されること)遊ばされつつある満洲国皇帝陛下におかせられては、昭和121028日、日本天皇陛下に対し、左記要旨の御親電を発せられた。
北支事変に関し、深く陛下の叡慮をわづらはす。朕、當に満州全国民を統率し、貴国と完全に協力し、もって、両国精神一体の信義を発揚すべし。この酷暑にあたり、敬んで、陛下の聖躬安泰を祝す。
満洲の現状に鑑みよ
 今次の事変に対し、支那が世界各国に愁訴するところによれば、今回の支那事変勃発は、満州事件に引続き、日本の領土的野心より来れるものにして、日本の暴戻は、人道上許すべからざるものありと、盛んに捏造、宣伝し、蒋介石政策を謳歌していることは、実に、笑止千万といはねばならぬ。
 満州国成立当時においては、列国の承認が要るとか、あるいは、満州国は独立国ではないとか、種々な論議が行われていたが、それは単に空理空論であって、事実は、立派なる満州国なるものが成立していて、その国家の将来は、実に伸び伸びとして、進運隆々たるものがある。現満州国民は、皆、その施政に満足し、平和に、安全に、ことごとくその堵(と=かき。かこい)に安んじている。(「堵に安んずる〔= 人民が安心して暮らす〕」)
 不安と暴戻の弾圧下に萎縮して、一日の愉安を許されなかった張学良時代と比較すれば、天地雲泥の相違であって、苛斂誅求の専制政治下より、秩序整然、寛厚大度の王道政治下に転更せられ、国民はベン抃舞鼓腹(べんぶこふく)の泰平を享楽している。
 我が日本は、滞洲国の独立のために、幾多皇軍の犠牲と巨多の国費を投じたるゆえんは、満洲国民のためのみならず、善隣輔車の伝統的国是を実践して、畏くも明治天皇の大御心に添ひ奉らんがための、誠意赤心の発露にほかならぬ。【赤心=せきしん:〔主君などに対する〕いつわりのない心。まごこ】
 今次、聖戦の所因(ゆいん)、また、ここにありて、支那民衆を塗炭(とたん=泥にまみれ、火に焼かれる意。戦争・重税・天災などによる、人民の生活苦)の苦しみより救出し、東亜永遠の平和を確保せんとする、我が赤誠の顯現に他ならないのである。
 過れる抗日容共政策に引きいられんとする支那民衆は、宜しく満洲国の現状に鑑み、翻然反省すべきである。
躍進日本の建設
 かくのごとき未曾有なる歴史的・民族的・大事業を達成するには、今後、幾多の困難や、突発事変に遭遇すること多々あるべく、これを、単に政府や軍部のみの責務として傍観視すべきでないことは、今更、いうまでもなく、国家総動員、全国民の全勢力を総合して、尊厳なる国体の下に、皇道精神を振作(しんさく=〔人の勢い・気持ちなどを〕ふるいおこさせること。刺激を与えて盛んな状態にさせること)して、尽忠報国の至誠を竭(つく)し、九千万同胞、心を一にし、もって、国家の最高目的の達成に向かって、驀進(ばくしん)せねばならぬ。
 剣を執る者はもとより、鍬を取る者も、算盤を取る者も、筆を執る者も、ハンドルを握る者も、官民ひとしく、双肩に負わせられたる使命であり、責務である。その持ち場、異なりとしても、国家的戦闘の一員として、よく耐え、よく忍び、よく働き、いかに長期にわたり、いかなる重大事に遭遇するとも、少しも屈撓(くっとう=①物がたわむ。②おそれてひるむ。)することなく、いよいよその持久力を旺盛にし、もって、皇国の大使命遂行に精進し、発展的躍進日本を建設せなければならぬのである。
 歴史ありて三千年、我等の祖先が、幾多難局の克服に成功したることは、過去の歴史において実証するところであって、現在の国民精神と国力とは、いかなる難局をも突破し得る実力と勇猛心を持っている。しかし、勝て益々兜の緒を締めねばならぬ、寸毫の油断があつてはならぬ。戦時経済の心構え、資源の愛護・探求、節約と有無互通、産業報国、労資協力、隣保互助、いかなる困苦欠乏にも耐え凌ぎ、精神的融化奉仕、いづれの方面にも、その全能力を発揮し、もって、御聖勅に御示し給ひしごとく-
 朕は、帝国臣民が、今日の時局に鑑み、忠誠、公に奉じ、和協、心を一にし、翼襄(よくじょう:参考=襄=たすける(たすく)。間に割りこみ、わきから仕事をたすける。また、たすけてやりとげさせる。「賛襄(サンジョウ)」)、もって、所期の目的を達成せむことを望む
 との大御心(おおみごころ)を奉戴して、官民一体、軍民一致、億兆心を一にして、皇運の扶翼、国威の宣揚に邁進せねばならぬのである。
国家総動員と国民の覚悟
 我が皇国が、隣邦、支那と唇歯(しんし)の誼(ぎ)を厚うするは、我が国不動の国是なり。しかるに、南京政府は、己が政権を強化せんために、国際上許すべからざる排日抗日をもって政策となし、十五ケ年に亘り打倒日本を、軍隊及び学校に於ける教育精榊の根幹たらしめ、無智の国民に対し、反日的行動を煽動せるのみならす、近来は、しきりに事を構えて、我に挑戦し来たり。暴戻、その極に達し、さらに、容共侮日の行動に出でたるをもって、我国は、自衛上、断乎、膺懲の義軍を起すの止むなきに至れり。然るに、万一、欧米列強中、我が国の真意を解せずして、支那に荷担するものありとせば、我等は敢然としてこれを排除しなければならぬ。もしまた、世界を挙げて、理不尽なる干渉をなし来らば、我等は、国家総動員の下に国を挙げて国難に殉ずるの一大決意をもって、最後の一人となるまで、相扶け、相節し箏、焦土となるも屈することなく、正義・聖戦のために戦ひ、有終の美をなさねばならぬ。
 これ、さきに政府が、国家総動員の必要を説き、今次また、国民総動員一大運動を起こせしゆえんにして、我が國風會が、ここに又本書を刊行する所以である。

付 編

1、国民精神総動員 実施要綱 昭和12824日 閣議決定

1、趣 旨
挙国一致、堅忍不抜の精神をもって、現下の時局に対処すると共に、今後持続すべき時艱(じかん=時の艱難・かんなん=目的を大成し、また、更なる発展を遂げるまでに経験する、言葉に言い尽くせない苦労)を克服して、いよいよ皇運を扶翼し奉るため、官民一体となりて、一大国民運動を起さんとす
2、名 称
「国民精神総動員」
3、運動の目標
「挙国一致」「尽忠報国」の精神を鞏(かと)うし、事態がいかに展開し、いかに長期にわたるも、「堅忍持久」あらゆる困難を打開して、所期の目的を貫徹すべき国民の決意を固め、これが為、必要なる国民の実践の徹底を期するものとす
実践事項は、右の目標に基づき、日本精神の発揚による挙国一致の体現、ならびに、非常時財政経済に対する挙国的協力の実行を主として、これを定め、事態の推移、ならびに、地方の実情等を考慮して、適当に按配するものとす
4、実施機関
(1)本運動は、情報委員会、内務省および文部省を計画主務庁とし、各省総掛かりにて、これが実施にあたることし
(2)本運動の趣旨達成を図るため、中央に、有力なる外郭団体の結成を図ること
(3)道府県においては、地方長官を中心とし、官民合同の地方実行委員会を組織すること
(4)市町村においては、市町村長中心となり、各種団体等を総合的に総動員し、更に、部落町内または職場を単位として、その実行にあたること
5、実施方法
(1)内閣及び各省は、それぞれその所管の事務および施設に関連して実行すること
(2)広く内閣および各省関係団体に対し、それぞれ、その事業に関連して適当なる協力を求むること
(3)道府県においては、地方実行委員会と協力して、具体的実施計画を樹立・実施すること
(4)市町村においては、総合的に、かつ、部落または町内毎に、実施計画を樹立して、その実行に努め、各家庭にいたるまで浸透するよう、努めること
(5)諸会社、銀行、工場、商店等においては、それぞれ実施計画を樹立し、かつ、実行するよう、協力を求めること
(6)各種言論機関に対しては、その協力を求めること
(7)ラジオの利用を図ること
(8)文芸、音楽、演芸、映画等関係者の協力を求めること

2、国民精神総動員実践事項

運動目標  日本精紳の発揚
運動目標  社会風潮の一新
(1)堅忽持久の精神の涵養
実践細目
1.不動の精神の鍛錬
2.必勝の信念の堅持
3.対敵心構えの訓練 (例えば、流言に迷わぬこと、国家機密を守ること、防空訓練)
(2)困苦欠乏に堪える心身の鍛錬
実践細目
1.勤倹力行
2.生活の刷薪
3.享楽の節制
(3)小我を捨て、大我に就くの精神の体現
(4)各人の職分恪循(恪=かく:{動詞・形容詞}つつしむ。堅苦しい気持ちを保つ。心にかどめをつける。きまじめなさま。{名詞}つつしみ。心のかどめ。手がたい根性。)(循=じゅん: {動詞}したがう(したがふ)。たよりとなるものに寄り添う。{形容詞},旧来のことにしたがうだけで、独自の行いをしないさま。
運動目標 銃後の後援の強化持続
(1)出動將兵への感謝および銃後後援の普及徹底
実践細目
1.派遣軍人家族慰問、家業幇助
2.殉国者慰霊、家族慰問、家族幇助
3.銃後後援・献金献品
 (2)隣保相扶の発揚
(3)勤労奉仕
実践細目
1.奉仕事業の促進
2.共同労作による生産力の維持
運動目標 非常時経済政策への協力
1)勤労報国
(2)労資協力
(3)利益壟断(ろうだん=利益などをひとりじめにすること)の抑制と暴利抑制
(4)国債応募勧奨
(5)冗費節約・貯蓄奨励
(6)国際収支の改善
実践細目
1.国産品使用
2.輸入品使用制限
3.国産代用品の使用
(7)金の使用節約
運動目標 資源の愛護
実践細目
1.消費の抑制
2.代用品の使用
3.廃品の蒐集提供
4.発明・創造
5.資源の蓄積
6.国防資源の献納

3.時局に処する国民の覚悟   内閣総理大臣 公爵 近衛丈麿

 ここに、国民精神総動員を開始するに當りまして、私の所信を披瀝して、この歴史的なる国民運動に対し、諸君の御協力を願ひたいと思うのであります。
 我々の不拡大方針が、支那政府の不誠意によりまして、顧みられず、北支事変が、ついに支那事変となり、支那の排日分子に対して、ここに全面的かつ積極的なる膺懲を必要とするに至りましたることは、諸君巳に御承知の通りであります。
 申すまでもなく、我々の真意は、東洋文化を共通するところの日満支三国の提携をもって、東洋安定の枢軸といたしまして、これ通じて、世界平和の確立に、自主的に、参与するといふところにあることは、今も昔も、変わりはないのであります。
 東洋の平和あって、初めて、東洋国家の真の幸福があるのであります。同じく、東洋の二大隣国として、日支提携といふ基礎の上に立つにあらざれば、支那の国家建設は不可能なのであります。従って、排日を前提とするがごとき支那の国家主義は、断じて、支那の国家を幸福ならしむるものではないと信ずるのであります。
 しかるに、支那政府の抗日的訓練は、そのよって来るところ遠く、かつ深きものがありまして、我が方の隠忍の結果は、かえって彼の侮日となり、抗日の激するところ、今や、国を挙げて、赤化勢力の奴隷たらんとする現状に立ち至ったのであります。これがために、15年間の抗日教育の下に成長しましたところの、支那の若き青年は、自ら進んで墓穴を掘りつつあり、また、国民党の排日教育に毒せられない、素朴なる父老兄弟は、この日支相打つの矛盾にはさまれて、今や身を置くに所なき有様であるのであります。
 ことここに至りましては、ただに日本の安全の見地からのみならす、広くは正義人道のため、特に、東洋百年の大計のために、一大鉄槌を加えまして、直ちに、抗日勢力の、よってもって立つところの根源を破壊し、徹底的実物教育によって、その戦意を喪失せしめ、しかる後において、支那の健全分子に活路を与えまして、これと手を握って、俯仰天地に恥じざる、東洋平和の恒久的組織を確立するの必要に迫られてきたのであります。このことたる、我々が、今日これを解決せざれば、我々の子孫が、更に大なる困難の下に、いづれの日にか解決を必要とするものであります。果たしてしからば、この日本国民の歴史的大事業を、我等の時代において、解決するということは、むしろ、今日生を受けたる、我等同時代国民の、光栄であり、我々は、喜んで、この任務を遂行すべきであると思うのであります。
 もしも、かくのごとき歴史的大事業が、何らの困難なしできると思うならば、これは、思う方が無理であろうと存じます。今後、あるいはいろいろの方面から、国難が起こって来ることも、覚悟しなければなりません。我々に肝要なことは、いかなる国難が起こってきても、必ず、これに打ち勝ち、いかに長期にわたっても、半途にして屈せず、有終の美を成し遂げずんば、断じて止まぬという固い決意が必要であります。申すまでもなく、これは決して、一政府、一軍隊の力によってできることではないのであります。全国民の、全勢力を総合・蓄積し、国家の最高目的の前に、これを動員し、これを傾倒して、始めて可能であると信じるのであります。実に、銃剣を取る者も、鋤、鍬、算盤を取るものも、同じく、国家的戦闘の一単位として、単にその持ち場が異なっているに過ぎないのである。もし、ここに自分が一人おらなかったならば、国家の全勢力は、それだけ欠陥が生じてくる。もしまた、自分が一時間だけ余計に働いたならば、国家の持久力は、それだけ増すことになる。かくのごとき自覚をもって、全国民が、国家総動員の内に織り込まれてくるならば、我々に課せられましたる時代的使命を、遂行し、発展的日本のために、一新紀元を作ることは、決して困難でないと信じるのであります。
 私は、少なくとも、二つの方面から、かく信じて疑わぬ理由を持っているのであります。
 その一つは、我が日本の歴史は極めて古いが、国家の生命力は、青年のように旺盛であるということとであります。このことは今日の日本を公平に観察するものの内外一致せる認識であると思ひます。
 顧みるに、我々の祖先は、過去において幾多の大困難に遭遇し、よくこれを克服いたしまして、今日のごとき、国家的遺産を、我々の手に残したのであります。日本の発展せんとするところ、そこに必ずや、大なり小なりの摩擦があることは、免れません。今次の事変のごときもまた、日本が偉大ならんとするために、必然的に遭遇したる国際的摩擦の一過程であります。果たしてしからば、これは当然、我々の手によってこれを解決し、後に来たる我々の子孫のために、遺産として、贈るべきものであると思うのであります。
 第二には、独り日本の主観的立場からばかりでなく、世界歴史の全体から見まして、日本は今、全世界における進歩的国家としての、主要なる役割を働いているという確信であります。今日の世界は、独り東洋においてのみならず、ヨーロッパにおきましてもまた、不安がみなぎっているのであります。かかる世界不安の根本原因は、究極するところ、実質的なる国際正義が、いまだ十分実現せられていないところにあるのであります。日本の行動は、あるいは、ためにするものの皮相的認識により、いかようにも曲解せられることもありましょう。しかし、日本の行動の本質は、世界歴史の本流において、真の国際正義を主張せんとするものであります。かかる意味において、我々の主張は、日本以外の、他の進歩的な国民によりても、共鳴せらるるもの決して少なくないと信ずるものであります。
 かくのごとき確信の下に、我々全国民が、己れを空(むな)しうして、国家の最高目的の前に、打って一丸となれば、前途、なんの恐るべきものもないのであります。国家の一大事の前に、国内の凡ゆる階層が協力一致して、義勇奉公の誠をつくすということは、我が日本、本来の姿であります。現に、去る9日終了いたしました第72回議会において、膨大なる予算が、両院とも全会一致をもって、一瞬の間に協賛されましたる一事をもっていたしましても、歴然たる事実であります。かくのごときは、日本以外の国家におきましては、容易に理解しがたきところでありまして、特に、日本内部の分裂を見越して、排日強行の一理由としてきました所の支那政府のごときに対しては、以外なる精神的打撃を与えたことと思うのであります。もとより、私といたしましては、かかる国民諸君の、協力誠意に対しましては、感謝の念にたえぬものがあるのであります。しかして、かくのごとき協力の、よってくるところ、ついに、我が日本国体の、尊厳無比なる歴史的組織に淵源することを思うとき、私は、日本臣民たるの恩寵を、今更のごとく、痛切に自覚せざるをえないのであります。
 『国家は、雑然たる利益団体にあらずして、一つの文化的使命を有するところの共同的目的体であり、国民は、己れの利益を追求する唯物的存在にあらずして、民族国家の組織を通じて、人類に寄与せんとするところの精神的存在である。』
 かくのごときは、西欧の唯物的文化にあきたらざる人びとの間に、澎湃として、最近、わき起こっているところの、新しき要求であります。しかるにこの要求は、万世一系の皇室を中心とする、我が日本の国家組織におきましては、先天的に具現せられているのであります。我々の、国家に対する自覚の深まるところ、そこに、国家総動員は、強制をまたずして、自ら成るのであります。
 ご承知のごとく、天皇陛下におかせられましては、北支事変の発生するや、直ちに、葉山より御還幸遊ばされされまして、日夜、軍国のことに、御精励遊ばされておるのであります。私は、拝謁を賜るたびごとに、御精励の御模様を拝しまして、恐懼感激に堪へざる次第であります。本月四日、開院式の勅語におきまして、
 朕は、帝国臣民が、今日の時局に鑑み、忠誠公に奉じ、和協心を一にし、贊襄、もって、所期の目的を、達成せんことを望む
 と仰せられましたことは、既に、ご承知の通りであります。この大御心にそい奉るべく、我が同胞軍隊は、戦場にあつて赫々たる忠勇を致して居るのであります。この大御心に副ひ奉るべく、銃後の経営に、全力を尽くすことは、我々一般国民の義務であると信じます。
 思うに、世界は、今や一大転換の期に際會致しているのであります。この秋に當り、東洋の道徳を経とし、西洋の文明を緯とし、両者を総合調和して、新しき世界に貢献することは、実に我が国に課せられたる重大使命であります。大なる将来を持つ日本国家の行進は、すでに始まっているのであります。希くば、官民一致、国家の目的をもつて、我々個人の目的とし、この大業の遂行に協力せられんことを希望してやまない次第であります。

4、社会風潮一新 生活改善 十則  文部省

1、時艱の克服、一致団結
この度の事変は、その由つてくるところが遠いので、これがどんなに移り変わる、容易に見通しはつきません。国民たるものは、堅忍不抜の精神をもって、今後に来るべき、いかなる艱難に対しても、和衷協同、力強い団結により、これを克服して、所期の目的を貫徹せねばなりません。
2、不動の精紳 因苦に堪へよ
 我が国民性は、熱し易くさめ易いと云はれますが、決してさうではありません。遠くは元冠の役といひ、近くは日清日露の戦役といひ、満州事変といひ、如何なる艱難をも克服し来たつた事は、国史の示す所であります。此の度の事変に當っても、一時的興奮にからるることなく、帝国の大使命たる東亜の平和実現のため、不動の精神をもって、よく困苦に耐へ、各自の持ち場を守りませう。
3、協力一致 銃後の固め
 支那各地に出動せる忠勇なる皇軍將兵諸士は、粉骨砕身、あらゆる辛苦をものともせず、死を決して陸に、海に、空に、皇軍の威力を発揮していることに対しましては、全国民の深く感謝して居ることでありますから、これ等出動將兵諸士への慰問を忘れてはなりません。これ等出動將兵諸士は、家に在つては一番の働き者であつたから、出動した後に残つた家族が困るやうなことがあつてはなりません。最寄の者は、互に助け合つて、後顧の憂なからしめるやうに致したいものであります。斯く助け合う共同労作は、生産力の維持といふ、意味深いことにもなるのであります。
4、働け 身のため 国のため
 忠勇なる皇軍将兵諸士は、水火を物ともせず、尽忠報国の誠をささげておりますが、我等、内にある国民たるものは、明治天皇の御製
国をおもふ みちにふたつはなかりけり 軍(いくさ)の場(には)に たつも たたたぬも
の大御心を奉戴し、各自の職分を通じて、働き働き、根限り働いて、国家のために尽くすは勿論、この際進んで、国家のため必要な仕事について、御奉公の誠を致したいものであります。
5、備へよ 常にあらゆる力
 近代の戦争は、武力だけの戦でなく、国のあらゆる力の戦であります。従って、総の国民が、戦地に在るの心構えを以て、常に備へておらねばなりません。それにはまづ、各人の健康が第一であります。また、家庭における防空訓練のごときも、他人まかせでは、いざ鎌倉といふ時に、役に立ちません。また、予算生活の如きも、常に収入の幾分かを余し、之を蓄積して不時に備へ、なお進んで国債等に鷹募するやうに致したいものであります。
6、陋習(ろうしゅう)の打破、形よりは精神
 我が国の冠婚葬祭、宴会、贈答などは、とかく虚礼虚飾に流れ、形式に走っていることが多く、また、時聞励行なども伝統の久しき容易に改善し得ないで今日に至りました。此の時局に際してこそ国民心を合せ、これ等の陋習を打破し、それ等の精紳を重んずるやうに致したいものであります。
7、工夫して物を活かせ
 我が国の資源は割合に乏しいのにかかわらず、一般に資源の愛護に留意せず、また、物の活用に対する工夫努力が十分とは申されません。されば、此の際お互に資源の愛護、代用品の使用等を工夫して資源の活用に努めたいものであります。特に毛織物、綿織物、金属類、ゴム、紙類等の消費を抑制し、是等の廃物利用には十分の工夫をこらしたいものであります。
8、舶来品より国産品
 我が国民には、外国より来たものを舶来品として算重するの風が残っていますが、今日では国産品にかえって優良なものが多いし、よしんば多少悪くとも益々国産品を愛用して其の生産を盛んならしめ、ひいては海外輪出を進展せしめ、以て国運の隆昌を図りたいものであります。
9、無駄を省いて国力を培(つちか)
 我々の生活には、無駄が多く、ために、自然と生活費がかさみ、貯蓄の余裕が少ないのであります。しかるに、一家の経済は結局国家経済の基でありますから、このさい大いに覚醒して、生活の方法を改善・整備し、できるだけ無駄を省き、冗費を去り、よって生じた余裕を貯蓄して、大いに国力を培いたいものであります。
10、戦に勝つても奢りに敗けるな
 ローマは戦では勝ったが、奢侈贅沢で亡んだといわれています。これは往々にしてありがちのことでありますが、国民は戦勝に酔うて、奢侈に陥るようなことがあってはなりません。よしんば、いかなる苦難にあっても、最後の勝利を期し、我が国民に与えられたこの度の歴史的大事業を、我々の時代において解決するの覚悟をもって、日々の業務を果たさねばなりません。

5、家庭と非常時経済の協力   文部省

家庭では、こうして非常時財政経済に協力しましょう

主人は
1.洋服、帽子、シヤツ、スウエータ-等の毛織物、靴の新調はなるべく見合わせることにしましょう
2.白金製や、金側時計、金鎖、金製のカフス釦、金製のネクタイピン、金縁眼鏡、金ペン等は買わないようにしましょう。
主婦は
1.モスリン、セルはステープルフアイバー製品や生糸、ステーブルフアイパー混織のものを使用しませう。
2.毛糸の編み物はなるべく止めましょう。
3.襟巻、洋服、外套類の新調はなるべく見合はせることにしませう。
4.浴衣其の他綿織物の衣服はなるべぐ新調を見合はせることにしませう。
5.手拭其の他の綿製品を大切に使ひませう。
6.金箔、金糸を使用した織物は買はないやうにしませう。
7.金製の指環、頸飾、腕輪、帯止めを買はないやうにしませう。
8.舶来化粧品は使はないことにしませう。
子供は
1.洋服はステープルフアイバーの製品または其の混織のものを使用しまぜう。
2.革製の窟やランドセルの新調はできるだけ差し控えましょう。
3.金属製、ゴム製の玩具はなるべく使はないやうにしませう。

食器その他食事用品
1.錫、ニッケル、鉄、銅、真鍮製の食器、茶器はなるべく買はないで瀬戸物などで間に合はせませう。
2.舶来の食器類の買い入れはやめませう。
食料品
.舶来の缶詰、瓶詰、菓子は買はないやうにしませう。
2.舶来の酒類、煙草、紅茶、コーヒーはのまないやうにしませう。
燃料
1.炊事用の石炭、瓦斯、石油、電気等の使用を節約しませう。

家屋
1.家屋の新築、改築、増築はできるだけ見合わせませう。
2.屋根、庇、樋等に銅を使はないやうにしませう。
家具・装飾品
1.革、毛織物張りおよび鉄製の椅子の新調はなるべく差し控えませう。
2.金屏風、その他金使用の装飾品、鉄・銅の飾り物を買うのを控えませう。
3.毛織物のカーテン、絨毯等の新調はなるべく控えませう。
暖房
1.石油、瓦斯、石炭、電気等は無駄にしないやうに心懸けませう。
2.鉄、銅製のストーブ等の新調はなるべく控へませう。

貯蓄

1.郵便局で売り出す国債を買うことに努めましょう。(現金が必要な時は、郵便局でいつでも買上げます)
2.割増金附貯蓄債券を買ふことにしませう。
3.銀行預金、郵便貯金、信用組合貯金をすることに心がけましょう。
4.簡易保険、郵便年金、生命保険に入るやうに心がけましょう。

その他

1.スポーツ用具も輸入品は止めませう。
2.用事の外は自動車を使用することを遜けませう。
3.紙類はできるだけ無駄に使用しないやうに心懸けませう。
4.不用の古洋服、古着、古シヤツならびに古自転車、古釘、古缶、古トタン、古コルク、不用の鍋釜、古雑誌、古新聞、反古紙、ボロは捨てないで売り払いませう。
5.煙草、菓子の銀紙、化粧品や歯磨きのチューブ、輪ゴムなどは捨てずに集めて置いて売りませう。
5.此の際、溜つている不用品はみんな売りませう。

◎消費節約の目標は輪入の減少

◎貯蓄の目標は国力の充実


国家総動員の実態  陸軍省「つはもの」編集部 原 嘉章

恐るべき近代戦争の特質
  平和の雲間を破る紫電一せん! 噴火山頂とも知らず呑気な昼寝を続けていた世界の各国は、見る見る動乱の荒らしに巻き込まれてしまう。そしてこの動乱は、勝たう! 勝たねばならぬ目的のために、お互いの各国の最後の血の一滴が燃えつきるまで、惨禍の限りをつくして行はれる。無論、もとの平和にかへつた時は、今日の地図は完全に役立たぬまでにぬりかへられてしまふであらう。恐るべきは、これからの戦争である。だが、さうなつた時、いかにジタバタしても始まらない。
 僕も、あなたも、ザァマス言葉の奥さんも、ペンを捨て、白粉をたたきつけて、祖国を護るそれぞれの部署につかなければならない。民族精神は最高度まで爆発する。国にあるものは、一本の草、一握りの土まで、人も、ものも資源という資源の一切を挙げて、戦争の勝利を獲得しなくてはやまないのだ。
-称して国家総動員-この計画は、欧州大戦が我々に教へてくれた尊い教訓である。見給へ!世界の各国は、今や血まなこになつて、自分の国情に応じた、挙国的な動員をいつでも実施できるように怠りないではないか。
陸軍に整備局 海軍に軍務局
 勿論、我国でもこの計画を忘れる筈はない。今からザツト10年前、内閣の資源局では、国民が泰平の夢高らかなのをよそに、一朝有事の際の動員計画に着手、その際、連絡統一を図るため、主として物的資源の調査と、その資源の助長、運用、統制といつたやうな事柄を、苦心、統括してきたのである。
 この資源局を胴体として、あたかも伸びた両翼のやうな密接な関係の下に、これが運用に肝胆を砕いているものに、陸軍省では整備局、海軍省では軍務局といふものが国民保全の大きなロープをなしているのである。
 しからば、国民の安全弁である国家総動員計画の正体はどんなものか。といふと、来るべき戦争は、昔のやうに鉄砲の打ち合いだけで解決がつくといふ肝胆なものでない。
 つまり、その国がもつているあらゆる力が、武力を中心として、渾然一体となつて初めてそれが戦力となつて現れてくるのである。それだから、国内にあるものは、人間の一切と産業の全部と財政金融のことごとく、それに、その源をなす国民精神といつた総てのものが、国防の大目的に向かって集中大動員されなければならない。
 それだけに、国家総動員計画は、すこぶる範囲の広い大がかりなものであるが、その二つ三つをかいつまんで説明することにする。
基幹をなすは精神動員
 先づ、根本をなす精神動員だ。戦争には、先づどうしても勝たなければならないといふ国民の燃えるやうな意志がいる。「負けてもいいサ」といふ生ぬるい量見で戦争に勝つたためしがない。手近い例が、世界大戦の時のドイツである。ヨーロッパの各国を向こうに廻して、若獅子のように荒れ狂いながら、どうしてあんなみじめ負け方をしたか。それは、物資が欠乏してくると共に、人心が極度に疲れてくる。その隙に恐るべき赤化思想が入りこみ、鉄壁のやうに固かったドイツ魂をグニャグニャにしてしまつたからだ。
 この危機は、我が国にも同様、あてはめることができる。どんな苦境に立つても国民は「日本は正義人道に立脚しているのだ。目ざすところは東洋の平和。皇道の世界宣布にある」この根本的な伝統精神を胸にもやして消さないやうに、この灯が衰える時は、それこそ祖国の重大危機を意味するものであることを忘れてはならない。
次は人員動員
 日露戦争では、我等の同胞はなんと百万人以上も動員されたが、どうして欧州大戦ではケタが違ってきている。ドイツでは、戦場に送られた兵員約四百万、後方兵員が約五百万も動員されているのだ。およそ16から50までの男子は、国家の危機に身を挺したわけである。
 我国で、今後、仮に六百万人の人を召集すると、内地人ロの約一割、男子の二割-大体、社会に出て働いている人の半分までが銃をとり、弾丸を運んで、近代戦の第一線に飛躍しなければならない。さうなると、おびただしい軍需品は誰がつくるか、軍需工業動員法-そんな法律に文句をいはせるまでもなく、進んで勤労に従事しなければならないのは勿論である。
 要するに足腰たたぬ病人をのぞいて、すべての人が戦線に立つ-この言葉を具体的に解きぼぐして見れば-通信、銀行、会社、警備、そんな仕事は奥さんでもお嬢さんでも老人でも、それぞれにやれる仕事を喜んで活発に遂行しなければならない。勿論、失業者に適当な職業を与えるため職業紹介機関などはグンと拡大されるのであるが-旅ゆかば、電車の車掌さんが、大官の奥さんだつたり、郵便局にゆけばブルジョアーの娘さんが、甲斐甲斐しくスタンプをおしてくれる。かうして長期の戦争にも、一糸乱れない統制で戦争を遂行するのだ。
産業動員と資源の開発
 戦争に鉄砲の弾丸が、火薬が、そして食料が必要なことは、今更てふてふするまでもない。ところが、複雑した軍需品の原料で自分の国で産しないものがある、足りないもの、ないものは、ないものは今更仕方ないじゃないか-戦争ばかりはそれですませる訳にはいかない。平常から、一旦緩急を予想して、ミッシリ研究、準備をしておくことが、とりもなおさず産業動員計画である。
 生産の国内増加を計り、代用品を発見する事も重要であり、その配合方法の円滑を図ることも考へなければならない。勿論、「売り惜しみ」や「買い占め」等をなして、漁夫ならぬ戦争の利を占めんとする奸商に、ズドンと一発、暴利取締令の巨砲をブッ放してやるのも、産業動員の一科目である。
 最後に、資源動員がある。国防資源になくてならない鉄、石炭、石油、羊毛、棉花-どれをみても、我が国にありあまっているといふやうなものは一つもない。しかし、いざ戦争となれば、これらの品は、平生の数十倍も必要になつてくる。これに対する準備と同時に、資源の開発、代用品の研究といふ大きな眼目は、この計画でなされるのである。軍が、東北の綿羊普及に力こぶを入れたり、最近は砂鉄の製鉄化を企てるといふのも、皆、一朝有事をおもんばかつてのことである。
 この外、交通動員、金融動員等を初め警備、情報宣伝、国民教化、国民保健等各種の広範なる動員計画も既にチヤンとなされている。-あとは国民の覚悟一つだ!
 聖戦戦勝栄冠は、国家総動員計画による国防の完璧で、断固、獲得せねばならぬ勝利への道、国家総動員計画を、我等は生命にかけてもまもらねばならぬ。

国家総動員付編

国民防空必携  国風会副会長 江藤哲二 述

1、防空の意味
 防空なくして国防なし、万事を措いて先づ防空へ! とは、世界を挙げて叫ばれている現状である。近代の戦争は空襲が、敵の死命を制するまでの威力を有するにいたり、空襲において投下せる爆裂弾、毒ガス弾、焼夷弾等の惨害はは、実に劇烈なるものがある。しかして、これが防御の設備と、国民の空襲に関する知識の有無と防御訓練の如何とは、その損害を受ける程度の上に、大なる関係を有することは、欧州大戦の際における、ドイツのツェッペリン飛行船が、パリやロンドンを襲撃した場合の事実に徴しても、また、今次の支那事変においても、国防の将来は空中戦にありということは、極めて明確である。
 ことにまた、戦略上より見て、空襲の行われるのは、いずれも敵国の政治、教育、経済、産業等の中心地たる主要都市が目標となることは、今更言うまでもなく、したがって、我が国における六大都市を始め重要都市は、当然、空襲を覚悟し、あらかじめ、防空の訓練と防御設備とを怠ってはならぬ。
 皇都東京は、今まで、防護団を編成して、連合の防空演習を挙行し、主として防護団員の訓練に努めていたが、今次更に、家庭防火群の編成を見るに致り、家庭の者も防護團に加はり、全市民が一丸となつて、徹底的な国民防空に従事することとなり、その防護戦もいよいよ本格的に心強いものになつたことは、まことに欣快に堪へない次第である。
 しかし、防空に任ずる者は、軍人が戦場において敵と砲火を交えると同じく、一死奉公、水火をも辞せざる勇猛心がなければ、いかに訓練が行き届いても、この犠牲奉公の精神に欠けけていたなれば、いざといふ時、腰抜けとなり、なんらの働きもできぬのである。
 かく、組織だけはできても、一般家庭が、現下の戦時状態において、空襲に対する覚悟と、防空に関するる知識と訓練とが、どれだけ精到せられ居るや甚だ寒心に堪へざるものがある。
 防空、防空と口にいかに叫べども、敵機、退散も、墜落もせぬのである。言いやすく行い難きは、実に防空である。
 我等は、今後の国防は防空にあることを思ひ、銃後にある、国民一丸となつて、防空に当たり、いかなる空襲ありとも、屈することなく、よくこれを撃滅、有終の美を全し、皇道を宇内に宣布して、正義世界の平和を完成し、もって、我が民族数千年来伝統の一大死命を遂行しなければならぬ。 
2、警報
警報には、空襲警報と防護警報との二つがある。
敵機の空襲を予期して、防空、防護の準備と用意を警告せらるるものを警戒警報といい、いよいよ敵機の襲来を警告せらるるものを空襲警報と云ふ。
 しかして、警報告知の方法は、敵機が襲来すれば、「サイレン」や「汽笛」を10回鳴らし、また、電灯が三回以上消へたり、ついたりする。或は、半鐘を四返づつ打鳴らし、花火を打ち上げ、一方、ラヂオで知らせ、伝令を駆け廻らせて、敵機の襲来を一般に告げしむる等のこともある。また、夜間突然敵機襲来し、空襲警報の間に合わぬ時、発電所などの電源を断ち、送電を中止し統一管制を行うことともある。
敵機が逃ぐれば、サイレンや、汽笛が一分間鳴る。また、打上花火、ラヂオ、伝令等で知らせる。
防護警報は空襲があつて、ある場所に毒ガスが落ちた時、付近の防御団員が、太鼓や拍子木でこれを知らせることになつて居る。
焼夷弾が落とされ、火災が起こった場合には、バケツや金盥等を叩いて防火群に知らせる。
防護解除の警報は前と同じで、一般に安心して空襲以前の状態に返り、夜なれば燈火管制より警戒管制の猷態に戻ると云ふことになつて居る。
3、防護の応急手段
 警報を聞いたならば、昼でも夜でも、各家庭ではあらかじめ定めてある、各防火群の防火担任者は、直ちに角先に出て、何か自分の家に落ちるかどうか、見張らねばならぬ。勿論、実践に際しては、防毒面の準備が必要である。この防火群が投下される焼夷弾の第一線に立って、防火にあたるのであるから、群内一丸となって真剣防火に努めれば、家毎に消防がついているようなもので、焼夷弾も、大震災と戦うつもりでおれば、たいして驚くにたらぬことになる。
なおこの際、老幼者だけは、計画通りの場所に避難させ、速やかに防火防毒の準備を整えねばならぬ。
 夜は灯火管制を行い、燈火、火焔、マッチ、煙草の火にいたるまで、あらゆる火を制限・隠蔽して、敵機に対し、爆撃目標を隠蔽し、その攻撃力を減殺せしめることに努め、また、毒ガスが撒毒せられた時は、家にいるものは、直ちに毒ガスの侵入を防ぐべく、防毒施設を構じて、後、仕事を続ける。外にあるものは、防毒面・防毒衣等を用いて、毒ガスを吸い込まぬ工夫をする。そして、毒ガス撒毒の中においても、防火防毒に努めねばならぬ。
 つぎに、焼夷弾を落とされたり、火災の起こった時は、落ち着いて、早く、応急の処置を執り、消化に努め、また、避難所へ避ける時は、先ず、火の始末をなしおき、すべては、防空司令部、警官や防御団員、群長等の指図に従い、冷静、事に当たり、もっとも敏速に行動しなければならぬ。
4、防空の三綱目
 防空は、第一に敵機の襲来に際し、襲撃の目標を認めあたわざるやうにせねばならぬ。それは即ち、灯火管制である。第二に焼夷弾を投下され、火災が起つた場合は、家庭の防火群と防御団が互に協力して、防火に努力せねばならぬ。そしてまた、各自に注意して自分の家から、出火等のことなきやうに.心がけるべきである。第三には毒瓦斯を撒かれたならば、防毒面、防襟衣、ゴム長靴、ゴム手袋等を用ひ、全身を防護し、然る後、防毒作業に努めねばならぬ。
左に其の予備知識の一端として、爆弾、焼夷弾、毒瓦斯弾等の種類と其の効力を述べて見る。
(略)
 毒ガスは、前述ごとき性能と作用を有するが故に、東京全市を無防毒・無設備にこれを放任しておくとせば、全市民を致死状態となすには、ホスゲンまたはイベリット64トンを飛行機12台をもって搭載・運搬し、投下・撒毒すればよいことになり、ことに、イベリットのごとき持久性の毒ガスを空中より雨下・撒毒するとせば、7台の爆撃飛行機があれば充分であると言われている。しかも、何の色も香もなくもなく、いつの間にか室内に侵入し、被害を蒙ると云ふのだから危険至極のものには相違ない。
 しかし、ガス弾は、火薬弾のごとく、瞬間的にその威力を発揮するもので無く、防護の準備と訓練が十分でき、「生あるものは必ず死す」との、固き信念の下に、生死を超越し、我れ死して、護国の柱とならんの大勇猛心を以て事に當れば、そう心配するには及ばない。然し、防備無き虞には、猛威を振ふことは言うまでもなく、非常の決意をもって、挙国一致、国土の防衛に精進し、この一大国難を克服し、もって、肇国以来数千年、我等の祖先が護り来たりし、この、皇国(すめぐに)を、とこしえに光輝あらしめればならぬのである。
9、燈火管制
消灯、即ち消火にて、光りを全然消滅せしむること。
隠蔽、即ち外部に対して、光りを完全に隠すこと。
滅光、即ち減燈、減燭その他の手段によりて、光りの量を減少すること。この減少規定は、屋内電灯坪あたり、10燭光、即ち210燭、315燭、4畳半20燭、630燭、840燭、1050燭の割合で、一つの電灯は50燭光を超えてはならぬことになっている。
遮光、燈火、その他光りを発すべきものに、覆いを施し、特定方向の外に、光りの向かうのを遮ること。
 灯火管制には、警戒管制と非常管制、統一管制とがある。警戒警報が発令され、敵の飛行機が来そうな恐れのある時に行われるのが、灯火管制である。非常管制は、敵機が襲来し、非常警報があつた時に行う方法である。統一管制は、敵機が不意に襲来し、非常警報の間に合わざる時に行う方法である。
 なお、灯火管制中には、隙間から外部に光線が漏れないようにすることは勿論だが、これがため、室内を真っ暗にし、商工業・家庭内の所用総てを放棄することは、産業上に悪影響をおよぼすものにて、真の灯火管制の趣旨を理解せざるやり方で、室内は常に仕事をするため、必要の方向に明るさを残し、外部に光の漏れざるよう、ガラス窓等を隠蔽材料をもって覆い、光りを隠蔽しなければならぬ。
 この隠蔽すべき材料としては、一位が金属板、木、板、黒帆木綿、馬糞紙、両面ゴム引クロース等で、二位が両面黒塗りの新聞紙、両面黒塗りハトロン等で、黒ガス毛繻子等は、けだし三位に位するもので、この中で一番経済的なやり方は、黒塗新聞紙四、五枚を用ふることである。
 警戒管制、敵機の襲来に際し、遠方から目的都市を発見されざるよう、屋外灯は、交通取締り上、やむを得ざるものは、これを減光・遮光し、他は全部消灯せねばならぬ。
 屋内灯は、硝子戸や、硝子窓等の家においては、燭光を減じ、硝子窓、硝子戸等の部分に黒幕(火の外部に漏れざるもの)を張り、又は新聞紙を五枚重ね外側と内側にあたる紙面の各片面を黒く塗り、これを膜のかわりに使用してもよく、また、雨戸のある家は、燭光を滅じ、早く雨戸を閉め、戸の隙間や、欄間の隙間から、灯火の漏れないように設備をなすこと。
なお、風呂場、カマド等の焚き口からの火焔や、煙突から出る火焔等は、焔光が外部に漏れざるよう隠蔽し、またはこれを消火すること。
なお、店先の燈火(陳列棚、照明燈、陳列窓、装飾燈、吊下燈)等は全部之れを消灯すること。
非常管制、敵機の襲来が判明し、空襲警報が発せらるると同時に、最も迅速に、行わねばならぬ。
 この際、屋外の消灯は勿論、屋内燈に在つても、防護室および非常管制中に於て、点灯の必要有る燈火以外は全部消燈し、前記必要なる部分の燈火といえども、これを完全に隠蔽して絶対に燈火が室外に漏洩せざるよう注意せねばならぬ。
 このほか、自動車、自転車、手車、荷牛車・馬車、提灯、懐中電灯等の特殊燈火も、一切、これを消灯せねばならぬことは勿論、炭火、マツチ、ライター、煙草等一切光りを発するものを、隠蔽された室内以外おいて、使用してはならぬことになっている。
 燈火管制は、各家庭の管理者、これを行い、日没時(燈火を必要とす時)より日出時(燈火の必要とせざるに至れる時)迄、警報に応じて燈火管制を行い、寝る時あるいは外出の際は非常管制の処置を取り、就寝、又は外出すること。なお、外出の際は、道路、鉄道線路等に充分気をつけ、不慮の災難等に遭遇せざるよう注意すること。なお、燈火管制中に於ては夜間なるべく外出を見合すこと。
11、防護団の組織と任務分担
1.防毒班-衛生団関係員、在郷軍人、青年団員等で組織し、全体の指揮、気象観測、防御警報の発令、防毒資料の整備及び補給、風旗、警報器、予備消毒剤および器具を備う。班の下に警報係、消毒係を置く。
2.防火班-警戒係、通報係、消防係を置く。瓦斯監視哨を配置し、風旗、警報器を設備す。
3.救護班-女子を班員に加う。場所は、病院、学校、寺院、教会等を適当とす。救急係、収用係、治療係を置き、瓦斯監視哨等を設ける。必要諸具、薬剤を備える。
4.警護班-担当区域を巡視し、流言飛語等や、小盗人、空き巣狙い等その他の警戒保護に任ず。
5.警報班-音響警報、電灯点滅警報の二あり。各種の方法をもって、区民に空襲に関することを急速に知らしむ。
6.避難所管理班-区内の老幼婦女子せしめ、避難所への出入りを指揮する等、配給班と協力して区民や外来者の安全を図る。
7.交通整理班-区民が逃げ場を失い、右往左往に混雑するのを救い、また車等の交通を整理する等。
8.工作班-土木建築、電気、水道、瓦斯、通信等の技巧者を主として、それらの破損を修繕し、また急速に施設する等を担任す。
9.配給班-食料品、衣服類、その他日用必要品を備え、配給の迅速円滑を図るべきものとす。
以上の9班によりて組み立てられたるものを、防護団といふのである。
12、家庭防火群の組織と任務分担
1、家庭
火災なかんづく焼夷弾に対しては、一層初期防火を緊要とするをもって、各家庭は火災の突発に際し、迅速敏活に防火の処置を遂行い得るごとく、平素において、各人毎に任務を定め置くと共に、防火上必要なる器具を準備し置くものとす。
A.任務分担
各家庭は、常時家庭にある者の内1名を防火担任者と定め、かつ家族数に応じ概ね左の要領により任務分担を定め置くものとす。
イ、平素在宅する者1名の場合(通常防火担任者)
速かに通報すると共に防火に従事すること。
ロ、平素在宅する者2名以上の場合。
1名(通常防火担任者)は速かに通報に當り、他は悉く防火に從事すること。
ハ、前各号の通報は、警報設備によるを最良とするも、これが設備なきにおいては「火事」または「焼夷弾」と連呼しつつ、ブリキ缶、金盥、バケツ等を乱打して群内に通報すると共に、できうれば、消防署、警察署、最寄防護団員に対しても通報すること。
ニ、各家庭に在りては、自家または近隣に火災発生したる場合、老幼者、病人等避難を要する者あるときは、通報と同時に、速やかに安全地帯に避難せしむること。
ホ、全戸不在または老幼者、病人等のみ在宅するときは、あらかじめ隣家に通報し置くこと
空襲警報発令ありたるときは、防火担任者は直ちに戸外に出て、敵機の投下する焼夷弾、爆弾等、自家に落下如何の監視に當るものとす。
B、器具
イ、各家庭は、平素において、左の器具の内一種以上を用意し置くものとす。
1.水槽(容量大なるもの。例、風呂桶、4斗樽、盥等)およびバケツ(雑巾用にして八立(四升余)入り位を適当とす)
2.消火器(なるべく「ポンプ」式たること)
以上の外、水道用ホース(なるべく装着用金具つき、長さ10㍍程度のもの)を設備せば、水道通水時は、防火上至便なり。
ロ、防空下令ありたるときは、右の外、バケツ、盥、その他、家庭用器具にして多量の水を貯水し得るものあらば、努めて満水し、防火土砂と共に、各戸の戸外および各階適当の箇所に準備し置くものとす。
なお、少くとも防火担任者ならび防火に任する者に対しては、防毒「マスク」を準備するを要す。
2、家庭防火群
防火は、いわゆる向こう3軒両隣、相協力することにより、一層実効を収め得るものなるをもって、焼夷弾等落下あるいは火災突発に際しては、その群内各家庭の防火担任者は、直ちに現場に急行、防火に協力し、残余の家族は、各自家の警戒、その他の任務に当たるものとす。
なお、特設防護団または自衛消防の設備なき高層建築物、大邸宅、工場、アパート等の特殊建築物にして、多数人員を収用する建物にありては、特別家庭防火群を組織するものとす。
A.群には群長一名を置き、群内の直接指導ならびに統制連絡に當らしむるものとす。
群長の選定ならびに任期は、群内において協議の上、適宜、決定す。
群長は、群の組織編成略図を「規定の様式により」作成し、その写しを町家庭防火団長に提出するものとす。
特別家庭防火群は、概ね前項に準じ、組織編成の上、その責任者において『規定の様式』により、特別家庭群防火組織一覧表を作成し、その写しを町家庭防火団長に提出すること。
B.器具および設備
1 水槽二個以上
群内に多量の水を貯水し得べき水槽または適当なる容器二個以上を用意し置く(防空下令時に使用するものとす)
2 ポンプ式消火器
屋根裏等の火災に備えるため、できうれば適当数の「ポンプ」式消火器を備える。ただし、群内家庭に設備しあるにおいては、特に備ふるの要なきものとす。
3 警報設備
群内に警報ベルを設くるときは、通報上極めて便利なり。
特別家庭防火群にありては、その建築物の特性に応じたる防火施設をなすこと。

今回の事変に対し、各新聞祇の犠牲的努力と、共に特派員諸賢が第一線九死の間に出入し、極めて機敏の行動を以て、神巧的迅速の報道をもたらし、全国民の待望を十二分に満足せしめつつある偉大なる功績は、九千万同胞のひとしく感激措く能はざる所にして、本書の編集もまた記者諸賢に負う所少なからず、脱稿に際し謹みて敬意を表すと云爾(しかいう=云・い はん 爾・のみ)

国を現すために使う「支那」の呼称は、戦前より廃語となっている。

支那国号の呼称に関する件  1930年( 昭和5)年1031日 閣議決定 
支那に於ては 清朝覆滅共和制樹立と共に 従前の国号 清国を中華民国と改称し 爾来幾度か政治組織の変転ありたるも 右中華民国の国号は一定不動の儘今日に及ひ 我方に於ても 大正2年10月6日在支帝国公使より 共和制新政府に対する承認通告の公文中「中華民国を承認する」旨を明かにしたるか 一方政府は 同年6月 閣議を経て 邦文公文書に用ふへき同国国号に関し 条約又は国書等 将来中華民国の名称を用ふることを要するものは別とし 帝国政府部内並帝国と 第三国との間に於ける通常の文書には 今後総て 従来の清国に代ふるに支那を以てすることを決定し 前記新政府承認の官報告示文には 支那共和国を承認したる旨を記載せるか 爾後に於ける慣行は 条約国書等前期閣議決定中特例を設けたるもの付ても 実際上支那国又は支那共和国の呼称を用ふるを例とし来れり
然るに 右 支那なる呼称は 当初より同国側の好まさりし所にして 殊に最近 同国官民の之に対し不満を表示するもの多きを加へたる観あり 其の理由の当否は暫く措き 我方として 右様 支那側感情を無視して 従来の用例を墨守するの必要なきのみならす 近来 本邦民間の用例を見るも 中華民国の呼称を使用するもの頓に増加しつつある状況なるに顧み 目下の処 支那政府より本件改称方に付 何等申出来れる次第にはあらさるも 此際 我方より進て従来の用例を変更すること 時宜に適するものと認めらる
就ては 今後 支那国を表示するに付ては 条約国書等既に前記大正2年6月 閣議を以て中華民国の呼称を使用すへきことを定められたるものに於ては勿論 其他国内又は第三国との間に用ふる邦語公文書に於ても 一律 中華民国の呼称を用ふることを常則と致度
右閣議決定を請ふ

文合第357號 1946(昭和21)年6月6日 外 務 次 官(官印)

  内閣書記官長   殿

   支那の呼稱を避けることに關する件

 本件に關し 外務省總務局長から 6月6日附で 都下の主な新聞雜誌社長に對し 念のため 寫のやうに申送つた。 右參考のため御送りする次第であるが、機會があつたら御關係の向へも同樣御傳へを得たい。
本信送付先 各省次官、内閣書記官長、法制局長官、統計局長、内閣審議室、各都道府縣、終戰聯絡地方事務局長
 中華民國の國名として 支那といふ文字を使ふことは 過去に於ては 普通行はれて居たのであるが 其の後 之を改められ 中國等の語が使はれてゐる處 支那といふ文字は 中華民國として 極度に嫌ふものであり, 現に 終戰後 同國代表者が 公式非公式に 此の字の使用をやめて貰ひ度い との要求があつたので 今後は 理屈を拔きにして 先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え 念のため 貴意を得る次第です
 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
 中華民國、中國、民國。
  中華民國人、中國人、民國人、華人。 
  日華、米華、中蘇、英華 
 などのいづれを用ひるも差支なく 唯 歷史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない 例へば東支那海とか 日支事變とか 云ふことは やむを得ぬと考へます 
 ちなみに 現在の滿洲は 滿洲であり 滿洲國でないことも 念のため申添へます
  昭和21年6月7日

「国家総動員」に至るまでの関連年表  (参考書:歴史学研究会編「日本史年表」 岩波書店刊1966年第1刷 1980年第16刷)その他

1868(慶応4)年

115日 新政府、王政復古を各国に通告
125日 英米仏蘭普伊、局外中立を布告
3月13日 太政官布告 祭政一致
此度 王政復古 神武創業の始に被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度に御回復 被遊候に付て、先は第一、神祇官御再興 御造立の上、追追 諸祭奠も可被為興儀、被仰出候 、依て此旨 五畿七道諸国に布告し、往古に立帰り、諸家執奏配下之儀は被止、普く天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部に至迄、向後 右神祇官附属に被仰渡間、官位を初、諸事万端、同官へ願立候様 可相心得候事
但尚 追追 諸社御取調、并 諸祭奠の儀も可被仰出候得共、差向急務の儀有之候者は、可訴出候事
3月17日 神祇事務局より諸社へ達
今般 王政復古、旧弊御一洗 被為在候に付、諸国大小の神社に於て、僧形にて 別当或は社僧抔と相唱へ候輩は、復飾(僧侶・尼僧が僧籍を離れて、もとの俗人にもどること。)被仰出候、若し 復飾の儀無余儀 差支有之分は、可申出候、仍 此段 可相心得候事 、但 別当社僧の輩 復飾の上は、是迄の僧位僧官返上勿論に候、官位の儀は追て御沙汰可 被為在候間、当今の処、衣服は淨衣にて勤仕可致候事、右の通相心得、致復飾候面面は、当局へ届出可申者也
328日 神仏混淆を禁止(廃仏毀釈運動起こる)
神祇官事務局達慶応四年三月二十八日
一、中古以来、某権現或は牛頭天王之類、其外仏語を以神号に相称候神社不少候、何れも其神社之由緒委細に書付、早早可申出候事、但 勅祭之神社 御宸翰勅額等有之候向は、是又可伺出、其上にて、御沙汰可有之候、其余之社は、裁判、鎮台、領主、支配頭等へ可申出候事
一、仏像を以 神体と致候神社は、以来 相改可申候事、附、本地抔と唱へ、仏像を社前に掛、或は鰐口、梵鐘、仏具等之類差置候分は、早々 取除き可申事、右之通被 仰出候事
太政官布告 慶応四年四月十日
諸国大小之神社中、仏像を以て神体と致し、又は本地抔と唱へ、仏像を社前に掛、或は鰐口、梵鐘、仏具等差置候分は、早早取除相改可申旨、過日被仰出候、然る処、旧来、社人僧侶不相善、氷炭之如く候に付、今日に至り、社人共俄に威権を得、陽に御趣意と称し、実は私憤を斉し候様之所業出来候ては、御政道の妨を生し候而巳ならす、紛擾を引起可申は必然に候、左様相成候ては、実に不相済儀に付、厚く令顧慮、緩急宜を考へ、穏に取扱は勿論、僧侶共に至り候ても、生業の道を可失、益国家之御用相立候様、精々可心掛候、且神社中に有之候仏像仏具取除候分たりとも、一々取計向伺出、御指図可受候、若以来心得違致し、粗暴の振舞等有之は、屹度曲事可被仰出候事、
但 勅祭之神社、御震翰、勅額等有之向は、伺出候上、御沙汰可有之、其余の社は、裁判所、鎮台、領主、地頭等へ、委細可申出事、

1868(明治元)年

98日 明治と改元
1211日 対馬藩家老、新政府成立布告のため朝鮮に出発(朝鮮受理せず)
1215日 榎本武揚ら蝦夷地平定、五稜郭を本営とする(翌年、518日降伏)
1228日 英米仏蘭伊独、局外中立解除を布告

1869(明治2)年

219日 蝦夷地総裁榎本武揚、蝦夷地七重村近傍をプロシア人ゲルトネルに99年間貸与(19707月普仏戦争始まる。同年1210日ゲルトネルより七重村地所を回収。1971118日ドイツ帝国成立)
81日 英公使パークス、樺太放棄を勧告
815日 蝦夷地を北海道と改称

1870(明治3)年

313日 樺太開拓使設置
1017日 沢外務卿、英仏公使に横浜駐屯両国軍隊の撤兵を要求(明治4528日再度要求、拒絶される)

1871(明治4)年

513日 福島種臣をロシアに派遣、樺太境界を協議。
729日 全権伊達宗城。日清通商条規を調印する。
71 太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」
一戸籍区に一つ、その地域の代表的な神社を郷社とし、他の神社は郷社に附属する。但し、村社の氏子は従来通りその神社の氏子とする。昔からの数ヶ村に亘る氏子数数千戸を持つ神社は自然と郷社とする。官社、府藩県社でも氏子が数万戸ある神社は郷社とし、新たな神社を設けない。
87日 樺太開拓使を北海道開拓使に合併
819日 太政官布告第322号「大小神社氏子取調」を発布
一 郷社は凡戸籍一区に一社を定額とす
仮令は二十ヶ村にて千戸許ある一郷に社五ヶ所あり一所各三ヶ村を氏子場とす
  此五社の中式内か或は従前の社格あるかまたは自然信仰の帰する所か凡て最首となるべき社以て郷社と定むべし
氏子調は同法令によって郷社とされた神社の氏子となることを義務付けるもので、宗教政策の側面と同時に、戸籍や身分証明の側面を持つ。明治6年(1873年)529日、太政官布告第一八〇号にてわずか2年で廃止。出生児は全て戸長に届け出、その証書を当該の神社(郷社)へ持参する。すると神社は守礼(氏子札)を接受し、これが氏子の証明書となる。一般老若者もまた同様の手順で、在郷の神社の氏子として登録された。また、神社は他にも氏子籍(壬申戸籍)を作成する義務を負った。
117日 琉球人54名、台湾に漂着し殺害される。

1872(明治5)年

818日 花房外務太上大丞を朝鮮に派遣
914日 琉球正使尚健参朝、国王尚泰を琉球藩王として華族とする

1873(明治6)年

14日 神武天皇即位日・天長節を祝日とし、五節句を廃止。(37日天長節を紀元節と改称)
817日 閣議、西郷隆盛の朝鮮派遣決定。(1024日天皇、岩倉具視の奏議により、朝鮮遣使を無期延期とする)

1874(明治7)年

26日 閣議、琉球島民の殺害を理由に台湾征討を決定(44日西郷従道を都督に任命。522日 台湾上陸)
63日 北海道屯田兵制度を設ける。
731日 英米仏蘭4国への下関賠償金、全額支払い完了(1864年長州藩と英米仏蘭4国の戦闘。いわゆる馬関戦争・下関事件)
81日 台湾征討問題につき参議大久保利通を清国に派遣
1031日 清国と台湾問題の条款調印
123日 台湾征討軍、撤兵を開始

1875(明治8)年

127日 英仏公使、横浜駐屯軍引き上げを通告
57日 ロシアと千島・樺太交換条約調印
529日 琉球藩に清国への使節派遣・冊封などの廃止を命令
920日 江華島事件(日本が朝鮮の江華島を砲撃し、開国を迫った事件。)

1876(明治9)年

226日 日朝修好条規に調印
824日 日朝修好条規附録、貿易規則調印

1877(明治10)年

130日 朝鮮と釜山居留地借り入れ約書を調印
215日 西南戦争始まる。(924日、終わる)

1878(明治11)年

125日 参謀本部条例を制定、参謀本部を置く

1879(明治12)年

331日 内務大書記官松田道之、2個中隊を派遣して首里城を接収
44日 琉球藩を廃止し沖縄県を置く(520日清国より抗議)
810日 天皇、米前大統領グラントと会見、琉球問題につき意見交換

1880(明治13)年

417日 京城に日本公使館を置く
818日 駐清宍戸公使、清国と琉球問題の交渉を開始
1021日 清国に琉球分割提議(清国受諾せず)

1881(明治14)年

314日 憲兵条例公布

1882(明治15)年

14日 軍人勅諭を発布
723日 朝鮮京城で反日暴動、日本公使館襲撃される
85日 戒厳令定める
830日 朝鮮と済物浦条約を調印

1883(明治16)年

1128日 鹿鳴館開館式

1884(明治17)年

77日 華族令を公布
124日 朝鮮に甲申事変起こる。竹添公使軍隊を率いて参加。甲申事変=開化派(独立党)の金玉均・朴泳孝らが、朝鮮の独立と政治改革をめざし、日本の援助で王宮を占領したが、二日後に清の武力干渉によって失敗。

1885(明治18)年

19日 全権公使井上馨、甲申事変に関し日韓前後約定に調印する(賠償11万円など)
418日 全権大使伊藤博文、清国と天津条約調印(朝鮮からの同時撤兵、将来派兵の際の相互通告など規定)
924日 違刑罪即決例を制定(警察署長に即決処分権を与える)
1222日 太政官制度を廃止し内閣制度を置く

1886(明治19)年

126日 北海道庁を置き、函館・札幌・根室の3県を廃止
128日 ハワイと渡航条約を調印する
813日 清国の水兵等、長崎で乱暴を働く

1887(明治20)年

314日 海防の勅語を発し手許金30万円を下賜
1225日 保安条例を公布

1888(明治21)年

58日 枢密院開院式
514日 師団司令部条例・陸軍参謀本部条例・海軍参謀本部条例

1889(明治22)年

211日 大日本帝国憲法・衆議院議員選挙法・貴族院令など公布。皇室典範を定める。
331日 佐渡・生野鉱山を皇室財産に編入する

1890(明治23)年

118日 富山市に米騒動起こる。
6月2日  福島県若松町に米騒動 20日 富山県伏木に米騒動 
6月下旬から7月初旬、佐渡相川で米騒動。鉱夫800余人参加し軍隊出動

1891(明治23)年

127日 朝鮮政府に対し、防穀令施行の損害、147千円を要求

1893(明治26)年

39日 朝鮮政府、防穀令による日本の損害は4万余円と通告。大石公使拒絶
54日 大石公使、韓国王に謁し防穀令事件の最終回答を要求
519日 防穀令問題で妥協成立。賠償金11万円決定
522日 戦時大本営条例公布

1894(明治27)年

51日 全羅南道に暴動、東学党の乱
62日 閣議、朝鮮に1混成旅団派兵を決定
63日 韓国政府、東学党鎮圧のため清国に援兵を請う
67日 日清両国、相互に朝鮮出兵を通告
616日 清国に東学党征伐、韓国内政の共同改革を提議(21日、拒絶)
630日 ロシア、日清紛争への調停、干渉失敗。7月次いで英米も失敗。
73日 大鳥公使、韓国に内政改革案提示
716日 日英新通商航海条約に調印(治外法権撤廃、1899年施行。以後各国と改正条約に調印)
723日 日本軍、韓国王宮を占領
725日 豊島沖で清国軍艦を攻撃
81日 清国に宣戦布告。日清戦争始まる
820日 日韓暫定合同条款調印(京仁・京釜鉄道、敷設権獲得)
826日 日韓攻守同盟調印

1895(明治28)年

17日 李氏朝鮮の憲法=洪範14条を宣言。(自主独立国であることを内外に宣言して近代化改革を基礎としたが、日本側案をもとにしたもの)
417日 下関条約調印。日本が台湾・遼東半島を割譲さす
423日 三国干渉。29日御前会議、三国干渉受け入れ決定
525日 台湾島民反乱、独立共和国を宣言
67日 日本軍、台北占領
68日 ロシアと新通商航海条約
86日 台湾に軍政実施
108日 日本軍隊及び壮士、大院君を擁してクーデター。閔妃を殺害。
118日 遼東半島還付条約に調印(報賞金3千万両)
1228日 台湾北部の島民蜂起

1896(明治29)年

16日 混成第7旅団、台湾討伐に出発
211日 韓国で親露クーデター、親日派政権打倒
329日 朝鮮政府、米人モールスと京仁鉄道敷設約定に調印。日本政府抗議
331日 台湾総督府条例公布(軍政を民政に移す)
51日 日本・ロシア議定書調印(ソウル)。朝鮮に両国軍隊駐留権を認める。
62日 清国漢口にフランス・ロシア租界
69日 朝鮮問題に関して山形・ロバノフ協定調印(朝鮮における両国平等の権利を承認
721日 日清通商航海条約調印

1897(明治30)年

58日 渋沢栄一ら、米人モールスとの間に京仁鉄道敷設権譲渡契約調印

1898(明治31)年

211日 清国、揚子江沿岸不割譲声明
36日 ドイツ、清国膠州湾租借
327日 ロシア、清国大連・旅順租借
425日 朝鮮に関する日露協商成立(西・ローゼン協定)
57日 清国、日清戦争賠償金支払い完了
69日 英国、清国九竜半島租借
71日 英国、清国威海衛租借
98日 京釜鉄道史敷設の日韓条約調印

1899(明治32)年

5月 清国、義和団事件起こる
729日 国際紛争平和的処理条約・戦争放棄に関する諸条約調印(第1回ハーグ平和会議終了)
1116日 仏、清国広州湾租借
1226日 米の清国に対する門戸開放提義に対し、列国の承認を条件として同意。

1900(明治33)年

615日 臨時閣議、清国の義和団鎮圧のため陸軍派兵を決定
621日 清国、列強に宣戦
824日 厦門へ陸戦隊上陸
815日 連合軍、北京占領
1111日 清国、満州に関する露清協定
1230日 清国、北清事変に対する講和条件を受諾

1901(明治34)年

320日 清国に、ロシアの満州に関する要求を拒否するよう勧告

1902(明治35)年

1月   シベリア鉄道完成
130日 日英同盟協約、ロンドンで調印
48日  露清満州撤兵協約調印
614日 義和団事件賠償金分配議定書調印。日本の受領額3,479万海関両。
108日 ロシア、満州第一期撤兵実行

1903(明治36)年

48日 ロシア、満州第二期撤兵不履行
812日 粟野駐露公使、日露協商基礎事項をロシア政府に提示
106日 小村・ローゼン間で日露交渉を開始

1904(明治37)年

24日 御前会議、対露交渉打ち切り、開戦を決定
26日 ロシア政府に交渉断絶を通告
28日 日本海軍が仁川沖及び旅順口のロシア艦隊を攻撃。
210日 日本、ロシアへ宣戦布告
212日 清国、日露戦争に中立を宣言
518日 朝鮮、ロシアとの協約協定を全部破棄
822日 日韓協約(第1次)調印(財政・外交顧問を置き、実権を日本が掌握)

1905(明治38)年

122日 ロシア、ペテルブルグでの血の日曜日事件、第1次ロシア革命勃発
48日 閣議、韓国保護権確立を決定
61日 駐米高平公使、米大統領に日露講和の友誼的斡旋を希望
69日 米大統領ルーズベルト、日露講和を勧告(10日に日本、12日ロシア、承諾)
77日 日本軍、樺太上陸(30日軍政実施)
95日 ポーツマス講和条約調印。(日本の韓国保護承認、南樺太・遼東(関東州)租借地・東清鉄道南満州支線などを獲得)
1012日 遼陽に関東総督府を置く(1906.5 旅順へ移転)
1117日 第2次日韓協約調印。(外交権を日本が掌握。韓国の保護国化)
1220日 韓国統監府を設置。伊藤博文に初代統監を任命
1222日 満州に関する日清条約調印

1906(明治39)年

21日 韓国統監府開庁式
29日 駐韓日本憲兵の行政警察・司法警察掌握の勅令公布
26月 朝鮮、忠清・全羅道で反日反乱
3月  米英、満州の門戸開放を日本政府に要求する
67日 日本、南満州鉄道会社設立の勅令公布11月創立、1907.4.1開業

1907(明治40)年

1月 アメリカ移民問題に関し日米交渉開始
314日 米国、大統領令により日本人労働者を閉め出し
315日 樺太庁管制公布(41日軍政廃止)
610日 日仏協約・仏領インドシナに関する日仏宣言調印
613日 ロシアと満州の鉄道接続について協定を結ぶ
73日 伊藤統監、韓国皇帝に第2回ハーグ国際平和会議密使派遣(独立を訴える)の責任を追及(719日韓国皇帝譲位)
724日 第3次日韓協約(韓国内政全般を統監の指導下に置く)
730日 第1回日露協約調印。
81日 京城で韓国軍隊解散式。一部の軍隊は反抗して日本軍と交戦、以後翌年にかけて反日反乱は全土に拡大(義兵運動)
1116日 米大使、日本人労働者移民の渡航制限を要請(以後、1908.2.18まで7回の覚え書き交換で日本側の自主規制を約束。日米紳士協約)

1908(明治41)年

829日 清国、欽定憲法大綱を公布
929日 警察犯処罰令公布
111日 香港に日貨排斥運動おこる
1130日 太平洋方面に関する日米交換公文(高平・ルート協定)

1909(明治42)年

76日 閣議、韓国併合の方針を決定
712日 韓国の司法・監獄事務を掌握
91日 韓国全羅道民族運動の討伐開始
94日 間島に関する日清協約調印
124日 韓国一進会、日韓合邦上奏書提出
1218日 米、満州鉄道中立化案提議

1910(明治43)年

121日 日露両国、満州鉄道中立化案を拒否するとアメリカに回答
74日 第2回日露協約調印(秘密協定で満州を両国の特別利益地域に分割)
822日 韓国併合に関する日韓条約調印
829日 韓国併合に関する宣言発表。朝鮮総督府設置
912日 朝鮮駐剳憲兵条例公布
113日 帝国在郷軍人会発開式

1911(明治44)年

221日 日米通商航海条約改正調印(711日実施。関税自主権を回復。以後各国と同様の改正条約を結ぶ
417日 朝鮮土地収用令公布
713日 第3回日英同盟協約調印
824日 朝鮮教育令公布
1010日 清国武昌の新軍蜂起(辛亥革命)
1116日 清朝袁世凱内閣成る
1117日 閣議、辛亥革命に対し、清朝援助の方針を決定

1912(明治45)年

11日 中華民国成立宣言(南京)。孫文、臨時大統領就任
127日 中国革命政府、大倉組と300万円借款成立。米英抗議
129日 川島浪速、蒙古喀唎泌王と蒙古独立に関する契約を結ぶ(政府の反対で中止)
212日 宣統帝退位、清朝廃止
213日 孫文、袁世凱と交渉し、南北分裂状態であった中国を臨時政府によって統一させるため臨時大統領辞任
310日 袁世凱、臨時大総統就任
311日 中華民国臨時約法公布

1912(大正元)年

730日 明治天皇没(59歳)
1017日 大倉組の対華借款100万円成立

1913(大正2)年

712日 中国第2次革命挙兵(7月末失敗し、8月孫文日本に亡命)
91日 南京で北軍の日本人殺害事件おこる(917日、日本政府抗議)
106日 中国と満蒙5鉄道に関する協定調印
106日 日英露など13カ国、中華民国を承認
1010日 袁世凱、正式大総統就任(北京)
115日 露華条約、外モンゴルの自治国化

1914(大正3)年

728日 オーストリア、セルビアに宣戦布告。第1次世界大戦勃発
7月  中華民国、孫文、中華革命党結成
89日 英国外相グレー、ロンドン駐在日本大使、日本による膠州湾の利権占有を了承
823日 日本、ドイツに宣戦
1019日 ドイツ領南洋諸島を占領
117日 日本軍、青島を占領(19日、軍政施行)
1223日 対華21か条要求提出を駐華公使に訓令

1915(大正4)年

17日 中国、山東省より日本軍の撤退を要求
118日 中国に対華21箇条の要求を提出。
2月   中国、21か条反対学生運動
325日 中国政府、排日取締りを告示。中国各地で日貨排斥激烈
59日 中国の袁世凱政府「21箇条要求」容認を声明
513日 中国、漢口で排日暴動勃発
1019日 日本、英仏露のロンドン宣言に加入し戦後の権益について秘密協定
1028日 日英露3国、袁世凱に帝制延期を勧告
1110日 大正天皇即位式

1916(大正5)年

37日 閣議、袁世凱排撃・民間有志の南方援助黙認の方針を決定
4月 宗社党(清朝の皇族である良弼・愛新覚羅溥偉・鉄良らが宗廟社稷の護持を謳って君主立憲維持会を結成、俗に宗社党と呼称した。)、日本軍の支持を受け、満蒙独立を計画(527日 三村予備中尉、張作霖爆殺を企て失敗。8月 宗社党軍解散)
66日 袁世凱没、中華民国には中国全土を完全に統治する「統一政府」が存在しない状態が生まれた(1916 - 1928年)。そのため、軍閥が群雄割拠する軍閥時代となり、同時に大日本帝国やフランス共和国やアメリカ合衆国などの列強諸国による中国の半植民地化も進行した。
73日 日露協約調印(中国が第三国の支配に置かれるのを防ぐため秘密協定で協力を規定)
7月 蒙古パブチャップ軍、宗社党援助のため南下東進(814日 満鉄沿線の郭家店に到着。92日 日本政府の方針変更により撤退)
813日 駐屯日本軍、中国遼寧省鄭家屯で奉天28師と衝突。一時鄭家屯を占領

1917(大正6)年

1月 日本の駆逐艦が地中海に派遣され、ヨーロッパ戦線に参加
213日、イギリス、山東省のドイツ権益および赤道以北におけるドイツ領太平洋諸島に関する日本の要求を講和会議で支持すると約束
315日 ロシア、ニコライ2世、退位宣言に署名。ロマノフ王朝倒れる。
44日 2月革命後のロシア仮政府を承認
720日 閣議、中国段祺瑞内閣を財政援助し、南方派は援助しない方針を決定。
910日 孫文、大元帥となり広東に軍政府樹立。中国南北政府対峙
112日 中国に関しアメリカと公文を交換(石井・ランシング協定。中国における機会均等・門戸開放、日本の特殊的地位の承認。1923.4.14 廃棄)
117日 ソビエト政権樹立(ロシア10月革命)

1918(大正7)年

112日 在留日本人保護を名目にウラジォストックに軍艦派遣
54日 孫文、大元帥を辞任して日本に向かう
516日 日中陸軍共同防敵軍事協定調印(日本軍の駐兵等を秘密協約)
75日 広東軍政府成立宣言
78日 米、チェコ軍救援のため日本にシベリア共同出兵を提議
82日 シベリア出兵宣言
83日 富山県に米騒動勃発。以後1332県に波及。
111日 米、シベリア出兵権等につき抗議
119日 ドイツ皇帝退位、共和国宣言。11日休戦条約調印。第1次大戦終わる

1919(大正8)年

27日 小学校令・中学校令改正(とくに国民道徳の養成を強調)
31日 京城はじめ朝鮮各地に独立運動、約6ヶ月続く(万歳事件)
412日 関東庁官制・関東軍司令部条例公布(関東都督府廃止。民生は関東長官、兵権は関東軍司令官に分離)
430日 パリ講和会議、山東省のドイツ利権に関する日本の要求を承認
54日 中国、五・四運動(学生反日運動、全国に拡大)
57日 講和会議、赤道以北南洋諸島の統治、日本に委任を決定
517日 内田外相、山東還付を声明
618日 4国借款団に関し満蒙除外を要求
628日 ヴェルサイユ講和条約調印。中国は山東問題で調印拒否
719日 満州寛城子で日中両軍衝突
725日 ソビエト、カラハン宣言。帝政ロシアの中国における利権放棄
1217日 中国に排日取締りを要求

1920(大正9)年

313日 ソビエトのパルチザン、ニコライフエスクの日本軍を武装解除する(525日 日本軍人・居留民を殺害。尼港事件)
73日 樺太占領に関し声明
715日 シベリア派遣軍と極東共和国との停戦協定成立
102日 在琿春領事館、朝鮮人らの襲撃を受け焼失(間島事件)
1115日 国際連盟第1回総会
1217日 国際連盟、赤道以北の南洋群島に対する日本の委任統治を正式決定

1921(大正10)年

128日 日中軍事協定廃止の公文交換
47日 中国、広東政府成立。
715日 中国共産党創立大会開催
1213日 ワシントン会議で日英米仏4カ国協約調印。日英同盟廃棄

1922(大正11)年

26日 ワシントン会議で海軍軍備制限に関する条約、中国に関する9カ国条約、中国の関税に関する条約を調印)
331日 南洋庁官制公布
514日 張作霖、東三省の独立を宣言
624日、政府、シベリア派遣軍撤退を声明
1025 沿海州派遣軍撤退完了
1217日 青島派遣軍撤退完了
1230日 第1回全連邦ソヴェト大会。ソヴェト社会主義共和国連邦樹立を宣言

1923(大正12)年

221日 孫文、広東に帰り大総統となる(第3次広東政府)。
310日 中国、21箇条条約廃棄・旅順・大連回収を要求。日本は拒否、排日運動拡大。
414日 石井・ランシング協定(中国における機会均等・門戸開放、日本の特殊的地位の承認)廃棄
91日 関東大震災
92日 京浜地区に戒厳令施行。朝鮮人暴動の流言広がり、市民自警団を組織、朝鮮人虐殺始まる。
11月10日 国民精神作興に関する詔書発布
国民精神作興の詔書(大正121110)
 朕惟ふに、国家興隆の本は国民精神の剛健に在り。之を涵養し、之を振作して、以て、国本を固くせさるへからす。是を以て先帝、意を教育に留めさせられ、国体に基き、淵源に遡り、皇祖皇宗の遺訓を掲けて、其の大綱を昭示したまひ。
 後又、臣民に詔して、忠実勤倹を勧め、信義の訓を申ねて、荒怠の誡を垂れたまへり。
 是れ皆、道徳を尊重して、国民精神を涵養振作する所以の洪謨に非さるなし。
 爾来、趨向一定して効果大に著れ、以て国家の興隆を致せり。朕即位以來、夙夜兢兢として常に紹述を思ひしに、俄に災変に遭ひて憂悚交々至れり。
 輓近、学術益々開け、人智日に進む。然れとも、浮華放縦の習漸く萌し、軽佻詭激の風も亦生す。
 今に及ひて、時弊を革めすむは、或は前緒を失墜せむことを恐る。況や、今次の災禍甚大にして、文化の紹復、国力の振興は、皆国民の精神に待つをや、是れ実に上下協戮振作更張の時なり。振作更張の道
は、他なし。

 先帝の聖訓に恪遵して、其の実効を挙くるに在るのみ。
 宜く教育の淵源を祟ひて、智徳の並進を努め、綱紀を粛正し、風俗を匡励し、浮華放縦を斥けて、質実剛健に趨き、軽佻詭激を矯めて醇厚中正に帰し、人倫を明にして親和を致し、公徳を守りて秩序を保ち、責任を重し節制を尚ひ、忠孝義勇の美を揚け、博愛共存の誼を篤くし、入りては恭倹勤敏業に服し、産を治め出てては一己の利害に偏せすして力を公益世務に竭し、
 以て、国家の興隆と民族の安栄、社会の福祉とを図るへし。
 朕は臣民の協翼に頼りて、彌々国本を固くし、以て、大業を恢弘せむことを冀ふ。爾臣民、其れ、之を勉めよ。

1924(大正13)年

12030日 中国国民党第1回全国代表大会(広州)。第1次国共合作成立
526日 米国、排日移民法成立

1925(大正14)年

120日 日ソ基本条約調印(国交回復)
312日 孫文没
319日 治安維持法議会通過(422日公布)
41日 中学・師範・高専に軍事訓練実施
515日 北樺太派遣軍撤退完了
530日 上海で英警官隊、中国人デモ隊射殺(530事件)
61日 中国上海での530事件弾圧のため日英米仏陸戦隊上陸
71日 広東国民政府成立
1122日 郭松齢軍、張作霖に反対、挙兵
1215日 白川義則関東軍司令官、満鉄沿線の戦闘停止を警告し、郭松齢軍の進撃を阻止

1926(大正15)年

529日 岡田文相、学生の社会科学研究・批判の絶対禁止を通達
77日 蒋介石、国民革命軍総司令に就任。27日 北伐宣言
1225日 大正天皇没(47歳)、摂政裕仁親王践祚。昭和と改元

1927(昭和2)年

14日 漢口民衆、英租界を回収
121日 弊原外相、イギリスの上海共同出兵提議を拒否
221日 武漢国民政府樹立
3月   国民革命軍、南京占領。列国領事館に侵入(南京事件)
324日 上海臨時市政政府成立
46日 張作霖、共産党弾圧。ソ連大使館捜索
412日 蒋介石、上海で反共クーデター、上海総工会を武装解除
418日 台湾銀行取り付け、金融恐慌勃発
420日 南京政府成立
528日 第1次山東出兵(98日撤退)
96日 武漢・南京両政府合体
9月   毛沢東ら井崗山に根拠地を置く
103日 蒋介石入京(115日田中首相と会談)
1112日 山本満鉄社長、張作霖より満蒙5鉄道建設の諒解を取り付ける。

1928(昭和3)年

123日 日ソ漁業条約調印
22日 南京政府第2次北伐決定
219日 鈴木内相、議会中心主義否認を声明
220日 第16回総選挙(最初の普選。政友217、民政216、無産各派8、実業同志会4、革新3、中立その他18
315日 共産党員、全国的大検挙。検挙1600余中起訴484
419日 第2次山東出兵
53日 日本軍、済南で国民革命軍と衝突(済南事件)
518日 張作霖に満州への引き上げを勧告、同時に満州治安維持につき、中国南北政府に通告。
64日 関東軍河本参謀ら、列車爆破により、奉天引き上げ途上の張作霖を爆殺
69日 国民革命軍、北京入城。北伐完了
73日 内務省に特別高等警察課設置。4日に憲兵隊に思想係設置
77日 中国政府、不平等条約改廃に関する対外宣言
719日 林奉天領事、張学良に東三省の青天白日旗掲揚反対を通告。国民政府、日華通商条約破棄を通告
113日 アメリカ、国民政府承認声明
1110日 天皇、即位式を挙行
1229日 張学良、国民政府に合流

1929(昭和4)年

35日 元労農党代議士山本宣治暗殺
328日 済南事件協定調印(520日撤兵)
63日 中国国民政府を正式承認
71日 張作霖爆殺事件の責任者処分を発表。河本大佐停職。
1024日 アメリカ、株式市場暴落。世界恐慌に拡大
113日 朝鮮光州の学生、植民地的差別に反対して反日運動に決起
1228日 国民政府、1930年より自動的に治外法権を撤廃の旨宣言

1930(昭和5)年

422日 ロンドン海軍軍縮会議で日英米3国調印。ついで政府の回訓をめぐり統帥権干犯問題起こる
530日 間島で朝鮮人の反日武装暴動起こる(間島530事件)
63日 国産品愛用運動の開始を政府通達
1012日 第2次間島事件
1026日 台湾に反日暴動起こり軍隊で鎮圧(霧社事件
1114日 浜口首相、東京駅で狙撃され重傷
1215日 都下15新聞社、政府の言論圧迫に対し共同宣言
12月  蒋介石、第1次討共戦開始

1931(昭和6)年

122日 満鉄、張学良と満蒙鉄道交渉開始
3月  桜会・大川周明ら、軍部クーデターによる宇垣内閣樹立を企画、発覚(3月事件
41日 重要産業統制法公布
7月 蒋介石、第3次討共戦開始
84日 南陸相、軍司令官・師団長に満蒙問題の積極的解決を訓示、問題化。
918日 柳条溝(「柳条湖」が正しい地名。「柳条溝」は誤伝)の満鉄線路爆破事件を口実に、関東軍、軍事行動を開始(満州事変)
921日 在朝鮮日本軍、満州へ越境出動
924日 政府、不拡大方針を声明
1018日 桜会急進派・大川周明ら、軍部内閣樹立のクーデター企画、発覚。(10月事件または錦旗革命事件
1028日 国際連盟理事会、満州撤兵勧告案を131で可決(反対は日本)
11月 蒋介石、下野
1210日 国際連盟理事会、満州に調査団派遣決定

1932(昭和7)年

1月 蒋・汪合作政権なる
17日 米、スチムソン=ドクトリン発表。日本の満州での行動不承認
128日 第1次上海事変おこる
29日 前蔵相井上準之助、血盟団員に射殺される。
220日 上海総攻撃
229日 リットン調査団来日
31日 満州国建国宣言
35日 団琢磨、血盟団員に射殺される
4月~5月 国際連盟調査団、満州事変につき実地調査
55日 上海日中停戦協定調印
515日 陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺。(515事件)
629日 警視庁に特別高等警察部設置。各府県にも特高課を置く
95日 内務省、国民更生運動を開始
国民更生運動概況-国民更生運動調査資料(内務省社会局社会部-昭和9331日発行)
第一編国民更生運動概況
 第一章国民更生運動の登端
 大戦後の恐慌に端を発した国民経済生活の不安定は、近年世界的不況の余波を蒙りてその度を高め、昭和6~7年の交に及びて益々甚しく、殊に農山漁村の疲弊中小商工業の萎靡(萎縮)は其極に達せるの観有り、他面満洲事変を契機として国際関係は重大化し、ここに我国は未曾有の難局に直面するに至れり。
 政府は此の難局の打開を図るべく
,先づ応急的匡救(キョウキュウ=人があやまちをしないように引きとめて正しくする。)諸施設の實施を決定したるも、国民経営生活の不安定は単に一時的の経済現象に因由するものにあらず、其の禍因は之を深く生産並に消費に関する組織及計画の根柢に求めざるを得す。
 加之、近時社会全般に亘り個人主義的風潮横溢し、社会連帯の観念に欠け、公共奉仕の精神乏しく、延いては民族的意識も薄らぎつつあるやの憂無しとせず。
 然も自主自立の意気は衰へ、他力に侍む傾向の著しきをや。要之、かかる実情を明にし国民の自覚自醒を促し、禍因の芟除(サンジョ)に努めしむるに非れば、国家が如何なる匡救施設を行ふも其効無きものといはざるを得ざるなり。
 此の秋に當り、既に国民の一部に於て所謂自力更生の叫を學ぐるものあり自主的風潮の萌芽を認めたるを以て、政府は即之を育成して大に気運の促進を図り、部分的運動を統制ある全国的運動たらしむると共に、更に具体的更生計画の樹立を援助する目的を以て、ここに昭和
795日を期し、次の如き要綱の下に、国民更生運動を提唱実施するに至れり。
第二章国民更生運動の実施
 本運動に就ては、中央に委員会を設けざるも、次の如き計画要綱を定め、827日、之を各地方長官に通達すると共に、内務次官並に社会局長官は次の如き通牒を発して、該計画要綱に基き、夫々地方の実情に応じ適切有効なる計画を樹立すべき旨を促したり。
 而して95日、内務大臣は「時局に鑑み国民の自覚奮起を望む」なる題下に全国的にラヂオ放送を行ひ、国民更生運動の本旨を宣明したり。
国民更生運動計画要綱
国民更生運動の趣旨
我国は今や未曾有の難局に直面せり。財界の不況は釜々深刻となり、商工業は萎縮沈滞し、農山漁村の疲弊困憊更に甚しく、国際関係亦彌々重大を加へつつあり。
 すなわち、時局匡救の根本封策を樹立し、民心の安定を図るの緊要なるは言をまたずと雖も、殊に之が応急的諸施設を講するは正に焦眉の急務なりと謂はさるへからす。
 依て政府は各種匡救施設を行はんとす此の秋に方り、国民亦内外の情勢と国難の実相とを真に理解して自奮自働、以て生活全般の一新を画すると共に公共奉仕の精榊を発揮し愛国的熱情と信念とを以て挙国一致曠古の難局打開に協力満進せさるへからす。
 之れ即ち本運動を計画実施せんとする所以にして其の要目ならびに方法を定むること概ね次の如し
第一、国民更生運動の要目
一、建国の大義に則り挙国一致国難打開に協力邁進せしむること
現下我国は内外共に未曾有の難局に直面せり。此の国難に際しては国民は能く其の難局の実相を認識すると共に、我建国の大義に立脚し、一致協力難局の打開に向つて邁進せさるへからす
二、自力更生の気風を振作すること
凡そ民心にして消極退嬰に傾き、徒に他力に依頼せんとする弊風瀰漫する時は、国家凡百の救濟保護の施設も其の実効を挙くること難し。すなわち、時局匡救の第一義は国民をして積極敢爲の精紳と新興の鋭気とを以て自力に依る生活の確立向上を図らしむるに在り
三、経済の組織化計画化を図り之が実行を期せしむること
自力更生の方途は経済の組織化計画化を基調として生産消費の両方面に亘り共同の組織を整備し、計画ある経済を確立し国民経済の全般に亘りて根本的工夫改善を加へ、地方財政に於ても、亦、之が趣旨に鑑み其の合理化を計り、以て公私両方面に於ける経済的更新を期するの要、緊切なりと謂はさるへからす
四、国民各自をして其の分に応じ、社会公共に奉仕せしむること
社会生活は、社会連帯の本義に基き、相互扶助共存共栄の実を挙くへきは論をまたすと難、往々一己の利害に膠着して、之が本義を没却するものなしとせす。然れとも、自力更生は国民全般の協力提携をまつに非されは、其の実効を求め難きものなるを以て、此の際、国民たるの各自、其の財力資性職業に応じ、社会公共に奉仕するの覚悟なかるへからす
第二、国民更生運動の方法
一、新聞、雑誌等と連絡を図り其の協力を求むること
二、教化団体、実業団体(農会、商工会議所、水産会、山林会等)男女青年団、在郷軍人会、婦人団体等民間団体との連絡を図ると共に学者、教育者、実業家、宗教家共他の篤志者の協力を求むること
三、各種冊子の頒布、映画の作製利用、懇談会、座談会、講演会、講習会等の開催を爲すこと
四、学校、寺院、教会、劇場、活動写真館其他の場所に於て、多衆集合の機会を利用し、国民更生運動に関する趣旨の徹底を図ること
通牒
内務次官社会局長官各地方長官殿
国民更生運動に関する件
過般地方長官会議の際訓示相成候標記の件に関し、今回別紙要綱決定せられ95日を期し全国一斉に本運動を開始することと相成候処、
右は中央地方相協力して各般の応急匡救施設を講し、此の未曾有の難局打開に邁進すへきは勿論なるも、直に能く時局匡救の目的を達成する爲めには、国民をして自奮自励、徒に他に依頼するの弊風を去り、積極敢爲の精紳と新興の鋭氣とを以て自力に依る更生を図るしむるの他なきものと認めらるるを以て、
本運動は我国現下の實情に鑑み最も緊切なる要務と存せられ候に付ては、
左記各項御了知の上、該計画要綱に基き、夫々地方の實情に応じて適切有効なる計画を樹て、之が實効を収むる上に於て万遺憾なきを期せられ度
一、本運動の趣旨は、急速且つ敏活に之が徹底を期せらるへきこと
二、本運動の實施に當りては既設の教化団体、農会漁業組合其他各種産業団体、男女青年団、在郷軍人会、婦入団体等の民間団体及近く設置せらるへき地方経濟更生委員会又は市町村長を中心とする経濟更生委員会等との連絡提携を図り其の自発的活動を促し、本運動の趣旨の徹底に努むること
三、本運動は国民の自主的更生を目標とするものなるを以て国民更生に関する講演會を開催し其の趣旨を徹底せしむるの外、政府の時局匡救施設と相まって特に前記諸団体を中心として懇談會、座談會等を開き、自力更生に関し各府県叉は各市町村各部落或は各種組合等に適切なる各般の具体的申合せ又は實際的計画を樹立せしめ、之が實行を期せしむること
右申合せを爲し又は計画を樹立するに當りては特に左の諸点に留意すること
    申合せ又は計画の内容は當該地方の實情に適慮したるものたること
    申合せ又は計画は之が實行實現に重きを置くこと
    申合せ又は計画は當該地方住民叉は組合員等の自主的更生の意気に依り之を定め、且つ實行せしむる様指導誘掖を爲すこと
尚右具体的申合せ又は實際的計画の事例としては、
産業上必要なる事項、例へは農家経営の綜合的改善、作業の共同化、物資の共同購入、生産品の共同販資等に関する計画、負債の整理に関する計画、
地方団体又は組合等の財政を確立する計画、
社交儀礼に於ける弊風打破其の他消費の合理化に関する申合せ等
當該地方に適切なる事項に付定めしむること
915日 満州国を承認。日満議定書調印

1933(昭和8)年

11日 日中両軍、山海関で衝突
24日 長野県下で赤化教員検挙開始(65208人)
217日 閣議、連盟勧告案反対、熱河討伐を決定
223日 関東軍、熱河作戦開始
224日 国際連盟、日本軍の満州撤退勧告案を421で採択。松岡代表退場
327日 日本、国際連盟を脱退。詔書発布
http://juugonennsensou.seesaa.net/article/227764224.html
『国際聯盟脱退ノ詔書』(昭和
8327:原文)
朕惟フニ曩ニ世界ノ平和克復シテ国際聯盟ノ成立スルヤ皇考之ヲ懌ヒテ帝国ノ参加ヲ命シタマヒ朕亦遺緒ヲ継承シテ苟モ懈ラス前後十有三年其ノ協力ニ終始セリ
今次満洲国ノ新興ニ当リ帝国ハ其ノ独立ヲ尊重シ健全ナル発達ヲ促スヲ以テ東亜ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ヲ背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ
然リト雖国際平和ノ確立ハ朕常ニ之ヲ冀求シテ止マス是ヲ以テ平和各般ノ企図ハ向後亦協力シテ渝ルナシ今ヤ聯盟ト手ヲ分チ帝国ノ所信ニ是レ従フト雖固ヨリ東亜ニ偏シテ友邦ノ誼ヲ疎カニスルモノニアラス愈信ヲ国際ニ厚クシ大義ヲ宇内ニ顕揚スルハ夙夜朕カ念トスル所ナリ
方今列国ハ稀有ノ政変ニ際会シ帝国亦非常ノ時艱ニ遭遇ス是レ正ニ挙国振張ノ秋ナリ爾臣民克ク朕カ意ヲ体シ文武互ニ其ノ職分ニ恪循シ衆庶各其ノ業務ニ淬励シ嚮フ所正ヲ履ミ行フ所中ヲ執リ協戮邁往以テ此ノ世局ニ処シ進ミテ皇祖考ノ聖猷ヲ翼成シ普ク人類ノ福祉ニ貢献セムコトヲ期セヨ
<読みくだし文>
朕(ちん)、惟(おも)うに、曩(さき)に世界の平和、克復(こくふく)して、国際聯盟の成立するや、皇考(こうこう)、これを懌(えら)びて帝国の参加を命じたまい、朕、また遺緒(いしょ)を継承して、いやしくも懈(おこた)らず、前後十有三年、その協力に終始せり。
今次、満洲国の新興に当り、帝国はその独立を尊重し、健全なる発達を促すをもって、東亜の禍根を除き、世界の平和を保つの基なりと為す。しかるに不幸にして、聯盟の所見、これを背馳(はいち)するものあり。朕、すなわち政府をして慎重審議、遂に聯盟を離脱するの措置を採(と)らしむるに至れり。
然(しか)りといえども、国際平和の確立は、朕、常にこれを冀求(ききゅう)してやまず、これをもって平和各般の企図は、向後また協力して渝(かわ)るなし。今や聯盟と手を分ち、帝国の所信にこれ従うといえども、もとより東亜に偏して友邦の誼(よしみ)を疎(おろそ)かにするものにあらず。いよいよ信を国際に厚くし、大義を宇内(うだい)に顕揚(けんよう)するは、夙夜(しゅくや)朕が念とする所なり。
今まさに、列国は、稀有(けう)の政変に際会し、帝国また非常の時艱(じかん)に遭遇す。これ正に挙国振張の秋(とき)なり。爾(なんじ)臣民、よく朕が意を体し、文武、互いに、その職分に恪循(かくじゅん)し、衆庶(しゅうしょ)、おのおのその業務に淬励(さいれい)し、嚮(むか)う所、正を履(ふ)み、行ふ所、中を執(と)り、協戮(きょうりく)、邁往(まいおう)もってこの世局に処し、進みて皇祖考(こうそこう)の聖猷(せいゆう)を翼成(よくせい)し、普(あまね)く人類の福祉に貢献せむことを期せよ。
<現代語訳>
 余がかえりみるに、先般、世界が戦争を克服して平和を回復し、国際連盟が成立するとともに、父帝(大正帝)は、加盟を選択され、大日本帝国の参加をお命じになり、余もまた父帝の遺業を継承して、いやしくも怠ることなく、かれこれ十三年間、連盟への協力に終始してきた。
 今回、満洲国を新たに興したことにつき、帝国は、その独立を尊重し、健全なる発達を促すことで、東アジア域の災いの種を除き、世界の平和を保つ基礎となした。ところが、不幸にして、連盟の(満州国に関するリットン調査団による)所見には、道理にそむくものがある。余はそこで、政府に慎重に審議させ、遂に連盟を離脱するという措置をとらせることになった
 そうではあるけれども、国際平和の確立は、余が常に求め願ってやまないものであるし、離脱したからといって、平和のための各分野での(国際連盟の)企図には、今後も協力して変わる事はない。今や連盟と手を切り、自帝国の意思に従うことになったけれども、もとより東アジア域に偏って、他国との友邦のよしみを、おろそかにするつもりはない。(それどころか)いよいよ国際的に信頼を厚くし、大義を世界じゅうに明らかに掲げることは、早朝から深夜まで(寝ても覚めても)余の念願とする所である。
 今まさに、列国は、稀有(けう)の政変に遭遇し、帝国もまた非常なる時代の難関にぶつかっている。これはまさに国を挙げて国威を拡張する時である。汝臣民、よく余の意を体し、文官・武官・官吏たちは、互いにその職務に精勤し、庶民は、おのおのその業務に勉め励んで、判断は正義をもとに、行動は中道をゆき、多くの心と力をあわせて邁進することによって、この時代に対処し、積極的に祖父帝(明治帝)の大いなる御遺志の成就を助け、普遍的な人類福祉への貢献を期せよ。
41日 満州国、非承認国に対し門戸閉鎖
410日 日本軍、長城を越えて侵入開始
510日 鳩山文相、京大教授滝川幸辰の休職を要求
526日 滝川教授休職発令、宮本法学部長ら38人辞表提出(滝川事件)
531日 塘沽停戦協定成立(長城以南に非武装地帯設定。87日日本軍長城線に撤収)
617日 大阪市で交通巡査と兵士の衝突(ゴーストップ事件)
711日 天野辰夫らと大日本生産党員のクーデター計画発覚(神兵隊事件)
720日 政府、満州移民計画大綱を発表
89日 第1回関東地方防空大演習
915日 閣議、思想取締り具体案を決定
1021日 関東軍、満州経済統制計画を発表
129日 陸海軍省、軍部批判は軍民離間の行動と声明
1223日 松岡洋右、政党解消連盟を結成

1934(昭和9)年

28日 中島久万吉商相、足利尊氏賛美の論文を追求され辞職
31日 満州国帝政実施(皇帝溥儀)
328日 石油業法公布(71日施行、業者に貯油を義務づける)
43日 二重橋前で全国小学校教員精神作興大会
417日 外務省、天羽情報局長談話で列国の対中国共同援助に反対
425日 司法省、思想検事を置く
61日 文部省に思想局設置
101日 陸軍省「国防の本義とその強化の提唱」(陸軍パンフレット)を配布。広義国防を主張。
1113日 満州国、石油専売法公布。米・英・オランダ抗議。
1113日 外務省、南洋諸島に於ける日本の統治権不変を声明
1120日 陸軍青年将校のクーデター計画摘発(士官学校事件
125日 少年血盟団の西園寺公望暗殺計画発覚
1229日 政府、ワシントン海軍軍縮条約廃棄を通告

1935(昭和10)年

110日 国際連盟、日本の南洋委任統治継続を承認
218日 菊池武夫、貴族院で美濃部達吉の天皇機関説を攻撃
34日 岡田首相、貴族院で天皇機関説反対を声明
323日 衆議院、国体明徴決議案可決
官報 号外 昭和10324日 第67回帝国議会衆議院議事速記録第30 昭和10323日(土曜日)
○青木雷三郎君 議事日程変更の緊急動議を提出致します。即ち、此際鈴木喜三郎君外59名提出、国体に関する決議案を議題と為し、其審議を進められんことを望みます。
〇議長(濱田國松君) 青木君の動議に御異議ありませぬか
(「異議なし」と呼ぶ者あり)
〇議長(濱田國松君) 御異議なしと認めます。政府は此日程変更に同意せられました。よって、日程は変更せられました。本決議案は、印刷配付の暇がありませぬ。よって之を朗読致させます
(書記官朗読) 国体に関する決議
国体の本義を明徴にし、人心の帰趨を一にするは、刻下最大の要務なり。政府は崇高無比なる我が国体と相容れざる言説に封し、直に断乎たる措置を取るべし
右決議す
○議長(濱田國松君) 国体に関する決議案を議題と致します。提出者の趣旨弁明を許します。
(鈴木喜三郎君登壇)
〇鈴木喜三郎君 私は同志一同を代表致しまして、国体に関する決議案を提出し、其の趣旨に付き説明を致したいと思ひます。
決議案は只今書記官が朗読された通りでありますので、改めて朗読は致しませぬ。
そもそも我が国体の本義は、炳として日月の如くであります。謹て之を按ずるに、皇祖肇国の始に於て、紳勅を下し給ひ「是れ吾が子孫の王たるべきの地なり」と宣はせ、且つ「天壌と與に窮りなかるべし」と示させられてある。此神勅は我が建国の大精紳であり、永遠の大理想であります。
即ち、此に依て、我国の優越なる特殊性を明示し、万世一系の天皇が統治権の主体にして、絶封の地位にあらせらるることを宣布せられたのであります。此、萬世不磨の根本原理が、明治維新の宏謨に現はれ、五か条の御誓又を下して、我国立憲政治の基礎を立てられたのであります。而して、此五事御誓文が拡充せられて、立憲政体の御詔書となり、国会開設の勅諭となり、遂に、憲法発布の勅語となり、また同時に帝国憲法の上諭となり、明かに「国家統治の大権は、朕が之を租宗に承けて、之を子孫に伝ふる所なり」と宣示し給ひ、?乎として我が憲法を欽定したまふたのであります(拍手)
我が国体の本義は、此の如く建国の始より確立不動にして、此間毫末も紛淆の余地はないのであります。
即ち、天皇ありて国家あり。国家ありて天皇あるのではありさませぬ。而も是れ一体不可分の関係に於かせられてあります。故に君民一如、君国一体の金甌無欠の国体は、三千年の伝統となり、恆久不変に確保せらるるのであります。実に我国の立憲政治は、此基礎の上に置かれてあることは、敢て言を用ゆる迄もなきところであります(拍手)
然るに測らずも、今議会に於て、此明々白々たる国体に関する論議が行はれつつあることは、私の最も懌ばざるところである。
併し、既に政治上の問題となりたる以上は、此に其帰趨を正さねばなりませぬ。而して政府は、天皇機関説に対し、之を否定しながら、躊躇逡巡、之に対する措置を爲さざるは、国家の爲め誠に遺憾に堪へぬ次第であります。
政府は最も厳粛なる態度を以て、直ちに適当の措置を取られねばなりませぬ。是れ誠に皇猷恢弘に奉效せし国民精紳を涵養し、以て憲政有終の美を?さんとする趣旨に外ならぬのでありまして、ここに本決議案を提出する所以であります。何卒満場の諸君、御賛成あらんことを希望致します(拍手)
〇議長(濱田國訟君) 此際政府より発言を求められて居ります。之を許可致します。…内閣総理大臣岡田啓介君
(国務大臣岡田啓介君登壇)
〇国務大臣(岡田啓介君) 此際、政府の考へて居ります所を申述べて置きたいと思ひます。本決議案の趣旨に付きましては、政府は慎重考慮の上、善処致したいと考へます(拍手)
〇議長(濱田國松君) 採決致します。本案に賛成の諸君の起立を求めます。
(総員起立)
〇護長(濱田國松君) 起立総員 (拍手) よって本案は満場一致可決されました(拍手)
46日 満州国皇帝、来日。真崎教育総監、国体明徴を全陸軍に訓示
49日 美濃部達吉著「憲法撮要」など発禁。文部省、国体明徴を訓令
610日 国民政府、河北省からの国民党機関・直系軍隊の撤退を承認
83日 政府、国体明徴に関する声明発表1015日第2次声明)
恭しく惟みるに、
我が國體は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、
萬世一系の天皇國を統治し給ひ、
寶祚の隆は天地と倶に窮なし。
されば憲法發布の御上諭に『國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ』と宣ひ、憲法第一條には『大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と明示し給ふ。
即ち大日本帝國統治の大權は
儼として天皇に存すること明かなり。
若し夫れ統治權が天皇に存せずして
天皇は之を行使する爲の機關なりと爲すが如きは、
是れ全く萬邦無比なる我が國體の本義を愆るものなり。
近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。
政府は愈々國體の明徴に力を效し、其の精華を發揚せんことを期す。乃ち茲に意の在る所を述べて廣く各方面の協力を希望す。
「国体明徴に関する政府声明」193583 日(第1次国体明徴声明)
81日 中国共産党、抗日救国宣言(八一宣言)
812日 陸軍省軍務局長永田鉄山、陸軍省内で皇道派の相沢中佐に刺殺される
918日 美濃部達吉、貴族院議員を辞任し、起訴猶予となる
107日 広田外相、排日停止・満州国承認・赤化防止の日中提携3原則を中国に提議
1015日 政府、国体明徴に関する第2次声明発表
曩に政府は國體の本義に關し所信を披瀝し、以て國民の嚮ふ所を明にし、愈々その精華を發揚せんことを期したり。
抑々我國に於ける統治權の主體が天皇にましますことは我國體の本義にして、
帝國臣民の絶對不動の信念なり。
帝國憲法の上諭竝條章の精神、亦此處に存するものと拝察す。
然るに漫りに外國の事例・學説を援いて我國體に擬し、
統治權の主體は天皇にましまさずして國家なりとし、天皇は國家の機關なりとなすが如き、
所謂天皇機關説は、
神聖なる我が國體に悖り、其の本義を愆るの甚しきものにして嚴に之を芟除せざるべからず。
政教其他百般の事項總て萬邦無比なる我國體の本義を基とし、其眞髄を顯揚するを要す。
政府は右の信念に基き、此處に重ねて意のあるところを闡明し、
以て國體觀念を愈々明徴ならしめ、其實績を收むる爲全幅の力を效さんことを期す。
「国体明徴に関する政府声明」19351015 日(第2次国体明徴声明)
1125日 日本軍の支持により、河北非武装地域に翼東防共自治委員会成立
128日 大本教、第2次不敬事件で教主ら検挙(19363月結社禁止)。満州に細菌兵器研究所設立

1936(昭和11)年

113日 河北駐屯軍司令官に「北支処理要綱」を指示(華北5省に日本の指導下の「自治」を企画)
115日 ロンドン軍縮会議から脱退を通告
226日 皇道派青年将校、クーデターを企て、下士官兵1400をひきい斎藤内大臣、高橋蔵相らを殺害(226事件)
324日 内務省、メーデー禁止を通達
5月   朝鮮、金日成、間島で祖国光復会創立
528日 思想犯保護観察法・米穀自治管理法・重要産業統制法改正公布
615日 不穏文書臨時取締法公布
87日 5相会議「国策の基準」を決定(大陸・南方への進出と対ソ・対米軍備の充実など)
811日 閣議、「第2次北支処理要綱」決定(華北5省に防共親日満地帯建設)
925日 帝国在郷軍人会令公布(在郷軍人会を軍の公的機関とする)
117日 国会議事堂竣工
1114日 内蒙古軍、関東軍の援助を受け綏遠に進撃(1124日、中国傅作儀軍に大敗
1121日 中国、討共戦に参加した蒋介石系第78師が紅軍により全滅させられる
1125日 日独防共協定調印
12月 中国、西安事変。張学良・楊虎城両将軍、蒋介石を武力で軟禁、共産党と協力しての抗日救国路線への転換を迫る。周恩来も加わり、合意成立。

1937(昭和12)年

210日 中国共産党、国民党3中全会に1項の建議、4項の保障提出(国民政府打倒のための武装暴動方針を全国的に停止する・労農政府を改称して中華民国特区政府とし、紅軍は国民革命軍と改称し、南京の中央政府と軍事委員会の直接指導を受けるなど)
211日 文化勲章制定
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