「世間」とは何か 阿部謹也 著 講談社現代新書  講談社

1995720日第一刷発行 1998730日第八刷発行

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目 次

はじめに

序章「世間」とは何か

「世間」という言葉/理屈を超えたもの/世間の掟/なぜらいてうは除名されたのか/世間を騒がせたことを謝罪する/世間がなくなってしまったら/借金と宝くじ/坊ちゃんと赤シャツ/非言語系の知/知識人の責任

第一章「世間」はどのように捉えられてきたのか

1-歌に詠まれた「世間」
「うつせみ」と「世間」-「万葉集」/むなしき世間/歌人たちの生き方/世間と闘う/憶良の「世間」千代に八千代に/宮廷という世の中-「源氏物語」
2-仏教は「世間」をどう捉えたか
仏教の「世間」/説話の伝える思想-「今昔物語」/「世の人」の口を借りる-「大鏡」/

第二章 隠者兼好の「世間」

1-「顕」と「冥」がつくりなす世の中
山林に居を構える-「方丈記」/慈円の思想-「愚管抄」/「冥」の世界/怨霊の出現/
2-神判と起請文
神判の意味/明神探湯/自然界とは/神判のゆくえ/
3-近代人兼好
現世と後生/醒めた個人の意識/かたくななる人/聖法師と俗世/よき人とよからぬ人/「顕」と「冥」に対する姿勢/吉凶の占い/隠者という立場/兼好と漱石/

第三章 真宗教団における「世間」・・・・・親鶯とその弟子達

1-親鴬の「世間」を見る眼
「非僧非俗」の立場/末法思想/徹底的な否定の思想/
2-初期真宗教団の革新性
真宗と民俗/親鸞と民衆信仰/講という組織/門徒のの集団/「徒然草」再説/「かりにも無常を観ずる事なかれ」

第四章「色」と「金」の世の中・・・・西鶴への視座

1-西鶴の時代
貨幣経済の発達/古典の解放
2-恋に生きる女達
恋の手管/恋にしぬ女/おまんの情熱/人妻の恋/おさんと茂右衛門/「性」のもつ大きな意味/「無常」ということ/
3-「金」と世の中
いかにして金をためるか/二間間口の借家に住んで千貫の金を待つ/金の恐ろしさ/疎外された人々への眼
4-「色」と「金」で世をみる
「憂き世」から「浮き世」へ/「好色」の意味/社会体制への反逆/肌を求めて煩悩をはらす/「好色」と「神」と「個人」/男色の場合/若衆の壮絶な最期/小姓の仇討/衆道の純粋さ?/神と呪術/「大晦日世はさだめなき世のさだめかな」
5-「艶隠者」西鶴
 「隠れて住む」ということ/隠居の最後/身分と仕事と仏教

.五章 なぜ漱石は読み継がれてきたのか・・・・明治以降の「世間」と「個人」

1-「社会」の誕生
「社会」という概念/個人の尊厳/
2-「世間」の内と外-藤村の「破戒」
差別的な世間/二つの言葉の区別/
3-「世間」の対象化「猫」と「坊っちやん」
漱石と「世間」/博士号へのこだわり/「世間」知らずの意味/義捐金を取られる/西鶴から漱石へ/単純素朴な青年/坊ちゃんに身をよせて「世間」をやっつける/
4-「世間」と付き合うということ-「それから」と「門」
他人の細君/世の中に中(あた)る/愛の目覚め/二人の微妙なズレ/「世間」に背を向ける視点/

第六章 荷風と光晴のヨーロッパ

1-荷風の個人主義
フランスへの旅/荷風のフランス/巴里の寂寥/わがままな暮らし/「気質としての厭世」/時代への洞察力/「墨東綺談」/
2-光晴の歌った「寂しさ」
西洋的なものへの憧れ/ベルギーの田園で/「こがね虫」/再びヨーロッパへ/パリでの生活/フォンテンブローの冬の森で/「洗面器のなかの音のさびしさを」「鮫」と「おっとせい」/文学者の絶望/光晴と荷風/寂しさはどこから来るのか

主要引用・参考文献

おわりに

本文より抜き書き

 「世聞」という言葉-家庭の中で親が子供に「日本の社会では……」と話すことはそう多くはないだろう。しかし「そんなことでは世間には通用しないよ」などということはしばしばあるだろう。
 「渡る世間に鬼はなし」とか「世間の口に戸はたてられぬ」などの諺を知らない人もいない。
 日常会話の中では、「世間」という言葉は今でも十分に生きているのである。それどころか私達は世間という枠組の中て生きているのであって、誰もが世間を常に意識しながら生きているのである。
 いわば世間は日本人の生活の枠組となっているにもかかわらず、その世間を分析した人がいないという状況なのである。

はじめにより抜き書き

 ヨーロッパの場合には中世以来諸学の根底に共通の哲学と神学がある。いわば共通の世界観があり、それを前提として諸学の形式が決まってきたのである。わが国においては事情はまったく異なっている。わが国においては著者の哲学にも世界観にも共通の基盤がないにもかかわらず、明治以降共通の世界観を基にして生まれた西欧流の学問の形式が用いられているのである。
 このような状況を意識する中で、本書のテーマである「世間」の問題に突き当たった。明治以前においてすでに一般の人々の間では社会を見る見方に特徴があり、社会を自己から切り離して対象化して捉える視点は稀だったように思われる。その例が世間という言葉に示されている。本書で扱うように、世間という言葉は「世の中」とほぼ同義で用いられているが、その実態はかなり狭いもので、社会と等置できるものではない。自分が関わりをもつ人々の関係の世界と、今後関わりをもつ可能性がある人々の関係の世界に過ぎないのである。自分が見たことも聞いたこともない人々のことはまったく入っていないのである。世間や世の中という場合、必ず何らかの形で自己の評価や感慨が吐露されていたのである。
 このような状況は、明治以降西欧の学問が輸人され、特定の分野では大きな変化が生じた。一般の人々の世の中を見る方法には大きな変化はなかったので、世間という万葉以来の言葉が、今日まで用いられ続けている。しかし西欧の学問や技術を輸入しようとした政府や開明的な人々は、世間という言葉を捨てて社会という言葉をつくった。そのとき古来の世間という意識に基づく社会認識を形のうえでは放棄し、西欧的な形式を選んだのである。
 しかしそれは西欧の形式の根底にある哲学や世界観をもたず、形のうえだけの模倣であったから容易に輸入できたが、その形式は一般の人々の意識から程遠いものであった。
 わが国の社会科学者は、学問の叙述に当たっては西欧的な形式を用いながら、日常生活の次元では古来の世間の意識で暮らしてきた。したがって叙述の中に自己を示すことができなかったのである。わが国の学問にはこのような問題があると私は考えている。もちろん学会もひとつの世間であるからこのような問題提起がただちに受け容れられるとは私も思ってはいない。ただ、かつて学会に多少の関係をもった人間として、考えてきたことを述べておく必要があるという個人的な事情から本書を書いたまでである。

おわりにより抜き書き 

 世間の問題は、私達自身を分析する試みである。だから一部の人にとっては見たくないものを見せられるものとなるだろうし、心弾むものではないかもしれない。実際私はこれまで何回かこの話の要旨を講演したり、報告したりする機会があったが、学者が集まっている集会では理解をうることすら困難であった。思うに学会というところは、強固な世間の牙城なのであろう。他の新書や選書からも話があったが、講談社現代新書で出版することにしたのは、読者層が学者に限られていないと思ったからである。
 この書では、以上のような状況を明らかにし、私達の一人一人が自分が属している世間を明確に自覚し得るための素材を提供しようとしたに過ぎない。世間をわたってゆくための知恵は枚挙に暇がない。しかし大切なことは世間が一人一人で異なってはいるものの、日本人の全体がその中にいるということであり、その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできないということである。昔も今も世間の問題に気づいた人は自己を世間からできるだけ切り離してすり抜けようとしてきた。かつては兼好のように隠者となってすり抜けようとしたのである。しかし現代ではそうはいかない。世間の問題を皆で考えるしかない状況になっているのである。そこで考えなければならないのは世間のあり方の中での個人の位置である。私は日本の社会から世間がまったくなくなってしまうとは考えていない。しかしその中での個人についてはもう少し闊達なありようを考えなければならないと思っている。
 本書は二年ほど前に計画をたてながら、公務が極めて多忙で、机に向かう時間がなかった。一週間に一日の時間がとれればよい方であった。そのような中でこの書物を一応完結しえたのは何よりも堀沢加奈さんのおかげである。堀沢さんは私が朝日新聞に書いた記事を見て、この書物の執筆を依頼してきた。堀沢さんは必要な文献と関係する論文などを集めてくれた。本来なら著者と編集者というよりは共著者とすべき仕事ぶりであった。堀沢さんが編集者でなかったらこの書物はできなかったであろう。もう一つの偶然の事情もあった。今年の一月に私は胃潰癌で東京医科歯科大学病院に入院した。二十五日間の入院であったが、その間数十年ぶりでゆっくりものを考える時間を持つことができた。私としては長い間暖めてきたテーマであるが、まったく新しい分野であるために多くの箇所で間違いを犯していると思う。ご叱正をお願いしたい。
1995227日-