戦後児童生活史子どもたちの原像を求めて 野本三吉 著 教職課程新書 協同出版

1981年 0237-521100-1364

戦後児童生活史カバー画像

まえがき

 ぼくには、以前から「児童生活史」のようなものをまとめてみたいという夢があった。
 この作業は、ぼく自身を問うような気がしていたし、人間史の中で、子どもという存在をどう親たちが見てきたのかというテーマはとても重大なことに思えてきていた。
 一つの時代や状況の中で、子どもたちは、その時代の波と制約をいやおうなく受けてしまう。いわばその時代の中でつくられるのである。具体的には、その子どもをとりかこむ人間関係(家庭、家族)や、自然環境(地域)によってつくられるわけだが、そのことの重要性について、ぼく自身、まだ十分わかっていないという気がしている。自分自身の生き方や思想の背後に、幼年期から少年期、青年期にいたる環境の中で形成され、血肉化されたものが決定的な重さで流れており、潜在意識の中で発酵した関係の祖型を、ぼく自身、もう一度とらえかえしてみたいという気持ちが、ぼくの中にずっとあったような気がする。その意味では、だれもが一度、この自己形成の背景をたどりかえしてみるという作業をする必要があると思うし、やってみたくなるときがあると思う。
 ぼくの場合、三人の子どもが生まれ、その子どもの成長とかかわりあう中で、ぼく自身の子ども時代とのつながりや断絶のようなものを感ずるという直接的な刺激によって、この「子ども史」への関心は強まった。忙しい仕事の合間に筆をすすめたので、今思うと、もっともっと深く考えてみたいこと、つっこんでみたいという思いがあって少々恥ずかしいのだが、未熟なものだけれど、こうした方向へのぼくの関心を、はじめてまとめたものとして大切にしたいと思っている。
 戦後児童史といっても、そのめまぐるしい変化と、地域によって実に大きな差があるので、なかなかひとくくりにできないのだが、この一年間ほど集中して考えたところから浮き上がってきた、戦後児童史像というのは、一口でいって「子ども集団の崩壊過程」ということであった。
 戦後史の中で、子ども集団はさまざまの側面から分断させられ、子どもたちは孤立化してきているとしかいいようのない変化と状況が拡大してきている。家の構造(DK)、家族構成(一人っ子の増大)、強制された集団(学校、塾、子ども会)、テレビ、自動車の巨大な圧力。そして、こうした状況は、子どもだけでなく、おとな自身の問題でもある。地域のつながり、地域文化といったものは分断され崩壊している。
 戦後児童生活史のなかで見えてきたこうした問題に、これからどうかかわってゆくのかというのが、今ぼくに問われているという気がするのだが、とりあえずぼくはこんなことを考えている。
 一つは、子ども集団の崩壊の起源を考えてゆくと、どうしても「学校の成立」にまでさかのぼらねばならないという気がしてきたこと。つまり、「学校」がつくられ、義務として強制されて子どもが通うようになり、つくられた偽集団にくりこまれたことによって、地域の自然発生的な子ども集団、地域文化が奪われたのではないか。自らの手で、自らの地域の中で子どもを育てるというおとなたち、親たちの教育能力も学校によって奪われたのではないか。こんな気がしてきたのである。そこでぼくは、明治初年にさかのぼり、学校成立史と子ども集団との関係を考えてみたいという気持ちになっている。そこで、今、横浜周辺の親や教師、保母さんなどと小さな集まりを持ち、自前の雑誌『人間になる』(「人間になる」編集委員会)を始め、その中で、その解明をみんなで始めることにした。
 二つめは、ぼくの三人の子どもと近くの子どもたちとのかかわりを、ていねいに観察することで、もう一度、地域の中に、ぼくの生き方もかえしてゆこうと思っている。ぼくの家の周辺の地域を徹底して見つめ直す作業をしてみることで、子どもの生活をとらえ直してみたい。いわば「子ども歳時記」というか「子ども考現学」といったことをやってみたいと思っている。こう考えてくると、どうしても、ぼく自身の生き方や生活のしかたを変えなくてはならなくなり、より地域に密着した方向をとりたいと思うようになっている。自然保護や文化財の問題、地域史や老人とのかかわり、地域産業の問題などがどうしても解かねばならぬものとして出てくる。
 そうした意味で、この本の出版は、ぼくにとっても、再出発のきっかけとなっている。
 末尾になったが編集にあたられた高橋鉄哉さん、米田正芳さんにはこの意味でも感謝している。1981年1月      野本三吉

第一章 子ども原論

(1)原初への渇望

 「子ども」という存在を考えるとき、ぼくは、「人間の原初的存在」または、「人間の原形質」という形でとらえる。
 どのような時代に生まれたのか、どのような状況の中で生まれたのかという要素は「子ども」存在にとっては、決定的な意味を持つと思うのだが、同時に、そうした風土や時代的条件の背後に「人類史」の「個体発生」「系統発生」の原初を秘めつつ誕生してくる、という思いがぼくには強烈なのである。
 母胎内での、いわば受胎からはじまる生育史は、人類史における系統発生と重なるとはよくいわれるが、ともすれば忘れがちな、生物としての「人類」の潜在意識の変遷史がこの時期なのではなかろうか。
 石川純子さんは『けものたちは故郷をめざす』-孕み・出産の記録(個人誌1)-の中で、「陣痛は男の所有にあわせて作られ続けた女が、生身を剥いで<おのれ>になるためでございます。」と書いているが、陣痛から出産にかけて、女は、まぎれもなく、「けもの(哺乳類)」としての自己を確認するのである。そして、母胎から産み出される「子ども」存在をも、両生類としての「生きもの」であると確認しないわけにはいかないのである。透明なへその緒をまきつけながら流れ出す一つの「いのち」は、まぎれもなく、一匹の「生きもの」であり、この「出産」に現出する光景が、人類の原初形態としての「子ども」存在の基本的な位置だと、ぼくには思われるのである。
 しかし、誕生のその瞬間から、子どもは社会的存在として、さまざまな社会的諸関係の中にくみこまれてゆき、生きもの性にのみこだわることはできない。
 けれども、現代のように「自然存在」から遠い地点まで歩みすぎてしまった人間社会を思うとき、「子ども」存在を両生類としてとらえる視点は重要だという気がする。
 したがって「水」や「樹木」「太陽」「火」といったものに対する「子ども」の対応は、人類史における古代人(一般論としてだが)の感覚と重なり、集合無意識の世界として表現されるはずである。
 たとえば、その原初的な色彩感覚については『児童画の秘密』(浅利篤)といった研究成果として報告されている。
 また、ガストン・バシュラールの一連の著作は、こうした人類の原初的感覚と、自然との対応を描いたものである。
 今、ぼくらにとって、原初への渇望は、人類史の行きづまりからの蘇生であり、「自然的存在」として自分自身を再発見する道程でもあるのである。
 こうした認識の上に、おとなたちが、子ども存在をどのような形で見つめ、期待してきたのかという「子ども観」の歴史が問題にされる。こうした点について、特に日本における「児童観」あるいは「子育て」の思想史を考える上では、柳田国男をぬかすことはできない。彼の仕事の中でも、特に『産育習俗語彙』(『子育ての書・3』東洋文庫)にぼくは注目している。
 子どもが出産してから成人するまでの各地の「語彙」を収録したものだが、おとな集団(地域共同体)の「子ども」への思いが、かなり鮮明に示されていると思う。
 大藤ゆきさんは、この柳田の研究の延長上に『児やらい-産育の民俗-』(岩崎美術社)という著作をまとめたが、これは、庶民の間で子育てといえば「児やらい」のことであり、子どもを一人立ちさせるために、後ろから追いたて、つき放つことだったと大藤さんは記している。この著作の前書きで柳田国男自身も次のように記している。
 「ヤラヒは少なくとも後から追い立てまた突き出すことでありまして、ちょうど今日の教育というものの、前に立って引っ張って行こうとするのとは、まるで正反対の方法であったと思われるのであります。」
 これは、人類学の石田英一郎の『桃太郎の母-ある文化史的研究』にみられる「母子神信仰」の比較研究と並んで、子どもを霊界からの「神」存在として見、そこに「神性」を発見していたことと重なってくる。つまり「児やらい」とは、霊的存在である「子ども」を後ろから追い立て、人間界に送りこむとも読める。
 ぼくは、数年前から「古部族研究会」に属し、主に信州「諏訪」史を仲間たちと調べているが、旧石器、縄文、弥生と重層した文化層の中で、さまざまの祭事の中心に「大祝」(おおほうり)という童児が存在していること、また「神使」(おこうさま)という選ぼれた童児が、神として祭りの最高潮の中で殺されているという事実をたしかめることになったのである(『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』永井出版企画)
 ネパールの生神様(クマリ)も、童女であり、古代信仰における共通性を見る思いがする(『ネパールの生神様(クマリ)』平凡社)
 「をなり神」としての女神の存在は、柳田、折口などによって発掘されたが、子ども存在が「神」(生神)として存在し、村落の運命を担っていたという事実は、まだあまり知られていないのではなかろうか。
 子どもは、生きものとして最も原初性を秘めており、その限りでは「神秘」的な存在であり、親は「授かりもの」「育てさせてもらうもの」という「子育て」観を持っていたのではなかろうか。
 しかし、近代化の中で、女から霊力を剥ぎとったと同じように、子ども存在からも原初性、生きもの性を奪ってしまい、自分たちの思いのままに「作るもの」「育てるもの」(「作れるもの」「育てられるもの」)といった世界観をつくりあげてしまったのではなかろうか。
 今、自然存在として、再度子どもを発見し直すことが必要に思われてならない。

 ぼくの家の二人の息子は、三歳と二歳になったばかりだが、目がさめるとすぐに外にとび出してしまう。まだ田んぼの残っているこのあたりには、山や原っぱがあちこちにあって、二人の少年は、竹や木の棒をふりまわしながら、歓声をあげて走りまわるのである。
 たまに家にいて、彼らの後をついてゆくと、田んぼのあぜ道にしゃがみこんで、エビガニとりに熱中したり、大きな石をひっくり返して、その下にいる虫やゲジゲジを、おそるおそるの表情でつぶしたりしている。
 あるときは、大事そうにセミのぬけがらを集めたり、泥に水をかけてこねまわし、顔や服にくっつけながら、オダンゴづくりや小山をつくるのに夢中になったりもしている。
 そんなようすを見ていると、土器や土偶をつくっていた縄文人との重なりを、ぼくはふいに感じてしまうのだ。
 そんな感じは、縁の下や、物置小屋の隅の小さな空間の中に好んでもぐりこんでゆく少年たちの喜々とした姿や、たき火や風呂たきになると走ってきて、一緒になって火をかきまわす少年たちの好奇心に満ちた表情を見ているときにも浮かんでくる。
 それは、穴を掘って動物を捕らえたり、穴居生活をしていたころの思いと重なり、縄文人の野火や焼畑の記憶とも重なるような気がするのである。
 こうした子どもたちの無意識的な遊びの中には、ユングのいう集合無意識の顕在化が見られるような気がしてならない。
 いわば、先祖返り的な本能の発散である。しかも、それは、日本人の原型といわれる農耕文化を越えた狩猟・採集文化とのつながりが濃いように思われてならない。
 かつて奥野健男さんは『文学における原風景』(集英社)の中で、「原っぱ」論を展開したことがあった。
 役所がつくる公園のチビッコ広場のお仕着せの滑り台やブランコ、ジャングルジムとはちがった、非合法、非公認に子どもたちが占拠した秘密の遊び場としての「原っぱ」が、子どもたち(人間たち)の原風景であるというのである。
 「原っぱ」は、魂の故郷のようになつかしくはあるが、同時に不吉で凶々しいものでもある。
 「……とすると"原っぱ"になっている空間は、はるか昔、地母神や祖霊神がまつられていた"聖所"であり、そのまわりに小さな聚落が生まれたのだろう。」と奥野氏は推論する。これは、子どもたちの日常的な生活としての「遊び」を観察する中から発見された一つの見方である。
 子どもたちが、古代感覚を無意識のうちに発散させている例としてこんなこともある。
 ぼくの家の二人の少年は、犬や猫、そしてときには木や花にむかって、何の不思議もなく話しかけていることがある。
 「ねこちゃん、どうしたの。なぜないてんの。」「ふーん。」と、一人で合いづちをうっているので、猫が何といったのか聞いてみると、「おなかすいてんだって。」と、こともなげに答えがかえってくる。
 こうした自然界すべての存在と話しあえる能力というのは、いわば汎神論的世界観を内包しているということであり、呪術や巫女の存在した縄文期の人々と重なるのではあるまいか。
 後藤宏行さんの『生育への発想-お伽的世界の記録』(冨士書院)は、1960年に生まれた「よしひろ」君の○歳から六歳までの成長記録である。その中で後藤さんは、「お伽的世界像」として子どもの認識論、価値観をまとめているが、ぼくにはそれが「汎神的世界像」に見える。同じ系列のものでは、ソビエトの児童文学者コルネイ・チェコフスキーの『二歳から三歳まで』(三一新書)がある。
 こうして見てくると、子ども自身の認識構造や内的世界は、社会人としての「おとな」とは異なったものがあり、それは系統発生としての古代人の感覚と共通するものがあるのではなかろうか、という思いにかられる。
 それは、人間にとっての「原始心性」とよぶべきものである。
 おそらく、童話や児童文学の世界は、こうした世界とかかわりあうことによって「野蛮で美しい」古代感覚を揺すぶるのである。
 こうして、子どもたちは、単におとなたちによってのみ育つのではなく、さまざまな霊気を放つ自然そのもの、山川草木、そして海や石や太陽、火、月などあらゆるものとの対話と交流を通し、また動物や鳥や虫たちとのかかわりを通して育つのである。
 かつては、この種の自然はあふれていた。
 その中で、子どもたちは、あびるほどにそれらの精霊の気配や、名も知らぬ小さな神々の気配を感じ、身にあびて、時に畏怖しながら生きていた。
 しかし、近代化の中で、山川草木は病み衰えてしまっている。土もまたコンクリートで固められ、呼吸することをやめている。
 この中で、子どもたちの古代感覚も、自然感覚も、みな病み衰えてきているとはいえないだろうか。もう一度、生きもののあふれる時代を迎えなければ、原初的存在としての子どもはよみがえらない。
 もう一度、すべての自然と一体化し、呼吸しあうことができなくては、ぼくらの未来もありえない。
 その意味で、ぼくは、二人の少年の日常を追いながら、いわば外界とどのような形で関係し、つながってゆくのかということを、もっと深く、深層文化としての縄文(狩猟、採集)時代の活力や創造力のフィルターを通して見つめ直してみたいと思う。
 どのような視点で「子ども」をとらえるかというテーマは、ぼくらの未来そのものを問うことであり、自らの内に眠っている「古代感覚」「縄文精神」をよみがえさせることだとぼくは考えている。

 誕生と共にさまざまな社会的関係の中にくりこまれる「子ども」にとって、最初の出会いは「母親」であり、それは「授乳」という形ではじまる。それは「触れる」ということでつながりあう世界である。
 人間の心は、身体に最もよく表れており、その身体に触れるということは、とりもなおさず心に触れるということである。
 その意味では、触覚こそ、最も確かな心の触れあいになる。「心に触れる」という表現は「身体に触れる」ということに通ずるのである。そして、授乳にかかわって「かぐ」という感覚も研ぎすまされる。乳のにおい、母のにおいの中で眠るのである。さらには、母の声を聞く、そして母のひとみを見るといった行為。そうした五感のすべてが、授乳を通して、潜在感覚の中に沈みこみ、いわば感覚の原質となってゆくのである。
 しかし、これまた、西洋化するという形での近代化の中で、触覚と臭覚は、どちらかといえば否定されることになった。視覚と聴覚を特に大事にし、さわる、かぐという触覚と臭覚は、虐待されおとしめられてきた。
 電話や映画、テレビ、レコードといった機械や道具に置きかえることのできる感覚は、感覚をより高度化し、巨大化できるので上等の感覚とし、そうした感覚の多様化ができない感覚としての触覚や臭覚は、逆に排除されおとしめられてきたのである。
 しかし、最も根源的で、無意識の世界に沈潜しているこの種の感覚を全体として復権させることは、人間の原型的たる「子ども」存在の原初として大切なことである。
 したがってまた、ぼくら自身の中に眠っているこうした感覚の復権も思考しなければならないのである。
 つづいて、子どもは、周囲のおとなたちとの最初のコミュニケーションとして「泣く」という行為をとる。これは「ことば」に先行する行為である。
 「泣く」というのは「話す」とは全く別な、独自なコミュニケーションである。それは、感情の鮮明な表現であり、「ことば」では代用しにくいものである。
 しかし、このコミュニケーションの最も基本である「泣く」行為は、恥ずかしいもの、みっともないものとして排除されている。
 柳田国男が「人が泣くということは、近年著しく少なくなっている。」(「涕泣史談」)と書いたのは、昭和十年代のことだが、この傾向はますます大きくなっている。
 柳田流にいえば、子どもが泣かなくなったのは、一つには口が達者になったからである。子どもが泣き出すと、親は「泣いていてはわからないじゃないの。ちゃんとわけをお言い。」と怒る。しかし、子どもの方からすれば、ちゃんとわけがいえないから泣くのである。「男が泣くのはみっともない」「おとなが泣くのはみっともない」-こうした表現の背後には、女、子どもは感情にもろく、駄目なものという考えがひそんでいる。
 こうして、子ども時代から「泣く」ことは押さえられる。その結果が、巨大な量で流れる歌謡曲やメロドラマの「涙」である。
 それは、みな、「泣く」のではなく、「泣く」ことを「抑える」ことに共感しているのである。涙をこらえる抑制の方に共感して泣くのである。もっと大らかに、「泣く」ことも「笑う」こともできたはずの人間の原初にもどらなければならないと思うゆえんである。
 ともあれ、こうして、乳幼児期の子どもの対社会的関係と感覚の世界を見てゆくと、次々と新しい発見をしてゆくことになる。
 それは、いかに人間が、生きものとしての原型から遠くまできてしまったかということの証明である。
 こうした、子どもの社会化へのプロセスを追うことは、人間の生育史にとってかかすことのできない作業である。
 その意味では、ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』(岩波文庫)が原典的なものであり、日本では佐野美津男さんの『子どもにとって美は存在するか』(誠信書房)が先駆的な仕事といえる。
 しかし、一個人としての子どもの内面や成長といった側面と同時に、より本質的には、集団の中の子ども存在という視点も重要なテーマである。
 それは、共同体論を媒介にした子ども論であり、集落と子ども、家族における子どもというテーマが現実的なものとなるであろう。
 そうした点から、住居構造や、集落空間、あるいは子どもの生活空間の検討や人間関係、自然との関係を子どもの側から見つめ直してゆく作業を、ぼくらはしてゆかねばならないと思う。
 その意味では、「子ども原論」への思いを抱きつつ、共同体論や家族論を、さらに下降してみたいとぼくは思っている。
 そのために、時間的には戦後史の中での共同体、家族の変遷史と、子ども史を重ねあわせる作業が当面は必要だという気がしている。戦後の民主化改革といわれた「戸籍法」(昭和二二年公布)の果たした意味と、都市空間が「二DK」という生活空間によって塗りつぶされていった戦後状況は、どこかで重なってくるし、両親の共稼ぎ(プロレタリアート)化の中での「保育所」の激増と「鍵っ子」。地域や村落共同体の崩壊と再編成といった背景と、子どもの自殺や、自閉症、登校拒否、肥満児といった現象もつながってくるように思われてならないのである。
 これは、いわば、戦後児童思想史といった接近法の中から、子どもと社会とのかかわりを追求しょうという試みの一つである。
 もう一つは、空間的な意味での「子ども考現学」である。そして、この場合の空間は、日本列島に限ることなく、少なくともアジア全域へと拡大される必要があると思う。
 いわば、戦後史的変化は、巨大な規模で、今、アジア全体(さらにはアフリカ、ラテンアメリカなど)に及んでいるのである。
 日本の戦後史は、アジア史の中に位置づけて見てゆかないかぎり見えてこないのである。その中で、子ども存在は、いわば産業予備軍として、将来の「労働力」としてのみその役割をを負わされて育てられつつある。
 資本主義体制の矛盾、疎外を集中的にあびているのは、その意味で「子ども」であり、アジア的生産様式の崩壊期の子どもたちは、急速に、その原初性、神性、生きもの性を奪われている。こうした状況を、考現学的に記録しつつ、おとな(資本家)たちによって「私的(公的)所有」されつつある子どもたちの、自然発生的拒否行動を、さらに広く深くつなぎあわせなければならないと思う。
 両生類としての「子ども」存在は、明確に次の三つの条件を必要としており、そうした条件をつくり出すことが、ぼくら自身の未来をも約束するのである。
 その第一は、子ども存在とは、生きものとして生命力にあふれ、たくましく、活力にみちているということである。そのためには、貴重な成長期を一日中、教室の固い机にとじこめ、太陽や自然と交流させないということは、巨大な子どもへの抑圧であると思う。
 その第二は、子どもは、おとなたち、老人たちとまじりあって、生産者として働くことが何よりも好きであり、仕事をまねすることで成長する存在だということである。
 そして第三に、たくさんの子どもの仲間たちを必要としており、その仲間集団の中で育ちあい学びあうということなのである。
 これが、子どもの自然性であるとぼくは信じている。戦後史は、いや近代日本の歴史は、学校教育の制度成立と共に、この自然性を踏みにじってきたのではあるまいか。
 今、この巨大な権力とたちむかい、人間の原初性を秘めた「おとな」たちと「子ども」たちが、次代の歴史の扉を押し広げなければならないときにきているように、ぼくには思われてならないのである。
(2)エロス的幼児論序説
(3)子ども原論

第二章 戦争と子ども

(1)戦後児童史への私的接近
1 はじめに
 これからはじめる「戦後児童史」の執筆を、どのような形で展開したらよいかと、正直なところ、だいぶ考えこんでしまった。けれども、まだ、トータルな形で「戦後児童生活史」のようなものに迫りうる十分の力量も資料もそろえきっていないぼくにとっては、ごく私的な関心と問題意識を軸にして、「戦後児童史私論」とでもよぶべき小論をつづってゆくのがいちばんよいのではないかと思うようになり、その地点から発想してゆくことで、逆に腰が座るような気もしてきた。したがって、あくまでもぼくなりの視点と問題意識から出発しており、完成された「戦後児童史」の通史のようなものにはならないと思う。
 その意味では、ぼくにとっては、「戦後児童史」を彫りあげてゆく一つの出発点でもあり、今後、何度か同じテーマと課題にとりくむことになるかとも思う 
2 M先生との再会/3 「ローセキ」と「肥後守」/4 ラジオ放送と子ども向け雑誌/5 子どもの原像を求めて
(2)混血児への視角
1 アメリカ軍兵士の記憶/2 混血児への死角/3 「基地の子」/4 二人の生活史/5 子どもにとって「異人」とはなにか
3)"原爆の子"からの出発
1 194586日/2 『原爆の子』/3 第五福竜丸とストロンチウム/4 ロンゲラップ島の子どもたち/5 原子力時代の子どもたち/

第三章 高度成長と子ども

(1)筑豊の子どもたち
1 炭坑節の記憶/2 筑豊坑夫塚/3 筑豊の子どもたち/4 筑豊-池尻の子どもたち
(2)出稼ぎと子ども
1 出稼ぎ労働者の死/2 出稼ぎの社会的背景/3 父がいない/4 子どもと土地について/
(3)二DKと子ども
1 住居と人間の関係について/2 戦後の住宅史/3 二DKの思想/4 鍵っ子の誕生とその意味/5 学童保育-行き場のない子ども
 (4)「夜」学ぶ子どもたち
1 T君との再会/2 夜間中学の子ども/3 電燈のある教室/4 生活を学びあう

第四章 子どもとからだ

(1)出産の戦後史
1 出産の歴史について/2 出産の戦後史/3 戦後の家族構成の変化/4 いのちを阻むもの
(2)子どもの肉体変遷史
1 親と子の絆/2 むしばまれている子どものからだ/3 子どもと食べもの/4 自然感覚の奪還/
(3)胎内の声を求めて

第五章 集団と子ども

(1)子ども集団の戦後史
1 消えた子ども集団/2 子どもとテレビ/3 子どもと自動車/4 子どもの集団の蘇生
(2)遊びの生育史
1 個人誌の原型/2 原初の行動系/3 遊戯と労働/4 生活と芸術/
(3)民族文化と子ども
1 喜納昌吉との出会い/2 沖縄の戦後史/3 未来へのノスタルジア/4 児童観人類学の視点/

第六章 子どもと自然

(1)動物と子ども
1 タローこども/2 家畜となった動物のゆくえ/3 多様な能力の開花を
(2)風土と子ども

参考にした書物一覧

第1章 子ども原論
『文学における原風景』(奥野健男著・集英社)/『児やらい』(大藤ゆき著・岩崎美術社)/『日本の子ども』(小川太郎著・新評論)/『子どもにとって美は存在するか』(佐野美津男著・誠信書房)/『生育への発想』(後藤宏行著・冨士書院)/『桃太郎の母』(石田英一郎著・講談社)/『柳田国男集』(筑摩書房)/『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(古部族研究会・永井出版企画)/『柳田国男と教育』(庄司和晃著・評論社)/『日本子どもの歴史(全七巻)(久木幸男他編著・第一法規)/『柳田民俗学の子ども観』(庄司和晃著・明治図書)/『母性社会日本の病理』(河合隼雄著・中央公論社)/『わが国における児童観の発達』(石川謙著・青史社)/『昔話の深層』(河合隼雄著・福音館書店)/『二歳から五歳まで』(コルネイ・チュコフスキー著・三一新書)/『児童画の秘密』(浅利篤著・黎明書房)/『子育ての書』(山住正己他編・東洋文庫)/『火の国の女・高群逸枝』(河野信子著・新評論)
第2章 戦争と子ども
『ベニヤの学校』(河内紀著・晶文社)/『名づけてサクラ』(筒井敬介著・緑地社)/『施設の子どもたち』(浅倉恵一他著・ミネルヴァ書房)/『売春』(神崎清著・徳間書店)/『集団養護と子どもたち』(積惟勝著・ミネルヴァ書房)/『原爆の子』(長田新編・岩波書店)/『現代の差別と偏見』(鈴木二郎監修・新泉社)/『ヒロシマ、ひとりからの出発』(高橋昭博著・筑摩書房)/『混血児』(高崎節子著・磯部書房)/『隠された被爆』(前田哲男著・原水爆禁止日本国民会議)/『混血児の母』(沢田美喜著・毎日新聞社)/『原水爆実験』(武谷三男著・岩波新書)/『小さい巨像』(朝日ジャーナル編・朝日新聞社)/『死の灰と闘う科学者』(三宅泰雄著・岩波書店)/『現代の神話(上・下)(B・ダンハム著・岩波新書)/『原子力発電の危険性』(技術と人間編集部編)/『基地の子』(宮原誠一他編・光文社)/『科学は変わる』(高木仁三郎著・東洋経済)
第3章 高度成長と子ども
『追われゆく坑夫たち』(上野英信著・岩波新書)/『生活学』(今和次郎著・ドメス出版)/『地の底の笑い話』(上野英信著・岩波新書)/『筑豊の子どもたち』(土門拳著・築地書館)/『筑豊・池尻の子どもたち』(村上通哉編著・たいまつ社)/『建築学大系Ⅰ住居論』(彰国社)/『筑豊坑夫塚』(林えいだい著・晩聲社)/『出稼ぎ』(野添憲治著・三省堂)/『筑豊』(永末十四雄著・NHKブックス)/『戦後社会の性と家族』(芹沢俊介著・白川書院)/『学級文集・小国』(木村将人著・田畑書店)/『登校拒否』(玉井収介著・教育出版)/『出稼ぎと教育』(嶋祐三著・民衆社)/『おとなは敵だった』(林友三郎著・国土社)/『出稼ぎの経済学』(大川健嗣著・紀伊国屋新書)/『夜間中学』(松崎運之助著・白石書店)/『稲作文化と日本人』(玉城哲著・現代評論社)/『うどん学校』(岩井好子編・盛書房)/『土地と日本人』(司馬遼太郎対談集・中央公論社)/『電灯のある教室』(全夜中教育研究協議会)/『住宅貧乏物語』(早川和男著・岩波新書)/『横浜市夜間中学15年の歩み』(横浜市夜間中学校研究会)
第4章 子どもとからだ
『お産革命』(藤田真一著・朝日新聞社)/『子育ての記Ⅰ・Ⅱ』(野口昭子著・全生)/『現代日本小児保健史』(毛利子来著・ドメス出版)/『両の乳房を目にして』(石川純子著・青磁社)/『家族・戦後日本家族の動向』(福島正夫編・東大出版会)/『風邪の効用』(野口晴哉著・全生)/『日本産育習俗資料集成』(母子愛育会編・第一法規)/『体癖一』(野口晴哉著・全生)/『子どものからだはむしばまれている』(野旦二千三他編・柏樹社)/『遺伝毒物』(西岡一著・講談社)/『子どもの体力』(正木健雄著・大月書店)/『むしぼまれる生命』(西岡一著・三和書房)/『足の話』(近藤四郎著・岩波新書)
第5章 集団と子ども
『子どもの生活圏』(一番ヶ瀬康子他著・NHKブックス)/『沖縄』(比嘉春潮他著・岩波新書)/『子どもの遊び空間』(藤本浩之輔著・NHKブックス)/『国籍と人権』(崔昌華著・酒井書店)/『児童観人類学序説』(古川原著・亜紀書房)/『沖縄の証言上・下』(名嘉正八郎他編・中公新書)/『遊びと日本人』(多田道太郎著・筑摩書房)/『エネルギーと公正』(イヴァン・イリッチ著・晶文社)/『悪石島』(大城立裕著・文林書房)/『子ども・教育とテレビ黒書』(中村博他著・労働旬報社)/『沖縄の子ら』(日教組・沖教会共編・パピルス双書)/『コタンに生きる』(松本成美他著・徳間書店)
第6章 子どもと自然
『野の玩具』(中田幸平著・中公新書)/『縄文生活の再現』(楠本政助著・筑摩書房)/『野の民俗-草と子どもたち』(中田幸平著・社会思想社)/『三沢勝衛著作集(全三巻)(みすず書房)/『犬の世界』(今泉吉晴著・平凡社)/『新しい地歴教育』(相川日出雄著・国土社)/『ネコの世界』(今泉吉典・吉晴著・平凡社)/『月の輪教室』(月の輪古墳刊行会)/『失われた動力文化』(平田寛著・岩波新書)/『月の輪の子どもたち』(たかしよいち著・国土社)/『水と緑と土』(富山和子者・中公新書)/『登呂』(森豊著・小峰書店)/『水の思想』(玉城哲著・論創社)/『家畜文化史』(加茂儀一著・法政大学出版局)/『環境考古学事始』(安田喜憲著・NHKブックス)/『日本人と植物』(前川文夫著・岩波新書)/『原始人の技術にいどむ』(岩城正夫著・大月書店)

執筆時期・初出誌一覧

第一章(1)「週刊読書人」19786 (2)「教育労働研究」(一)19735 (3)「動く」8号197712
第二章(1)1979・2 (2)19794 (3)19796
第三章(1)1979・8 (2)197910 (3)197911 (4)1980・3
第四章(1)1979・9 (2)1980・1 (3)「望星」1977・3
第五章(1)1980・2 (2)「教育労働研究」(8)197612 (3)197912
第六章(1)198011 (2)198012