説教-埋もれた芸能史からの招待 小沢昭一 関山和夫 永 六輔 祖父江省念

風媒社  19744月第1     装禎 中矢恵子  写真提供 山本名弓   0076-3004-7302

説教の表紙画像

目 次

はしがき

前口上 関山和夫

「説教板敷山」を演出して 早野寿郎

説教と私 小沢昭一

マンダブの伯父さん 永六輔

日本の宝もの「祖父江説教」 五十嵐忠夫

<開幕>

講演「説教と話芸」 関山和夫

説教技術の秘密をさぐる/説教の意味と歴史/説教の家元/芸風節談説教/説教と大衆芸能/説教と講釈/まんだら絵解き/真宗の説教/説教の型/説教所/節談説教の特色/説教風景/説教の演目/説教者の逸話/説教者と桃中軒雲右衛門/節談説教の衰退/現代布教の問題点/伝統文化の危機

口演「まんだら絵解き」 小沢昭一

説教「板敷山」 小沢昭一

前段/後段

<中入り>

説教「忠臣蔵」-寺岡平右衛門の段- 祖父江省念

讃題/法説/譬喩/因縁/結勧

座談  永六輔ほか

放送話芸/小沢昭一の説教について/説教の修業/講演話芸/節談のおもしろさ/説教台本/説教の発声法/梅本説教所/宗門の説教観/説教者の悲哀/法芸一如

プロフィール

説教の会

 昭和四十五年九月二十二日・二十三日両夜の東京・岩波ホールは"説教の会"でわきたった。超満員の聴衆が場外にあふれるほどの盛況だった。秋の彼岸にふさわしい行事となった。
 翌年三月二十・二十一日両夜の名古屋・東別院青少年会館大ホール、十月二十七日夜の大阪・南御堂御堂会館大ホールでの"説教の会"もまったく同様であり、昭和四十七年六月七日夜の福岡・電気ホール、六月八日夜の京都・シルクホールでの公演も非常な盛会であった。
 この催しは、もともと仏教行事としておこなわれたのではなく、俳優・小沢昭一氏の属する芸能研究室が企画した「埋もれた芸能史からの招待」で、日本の話芸の源流を日本仏教の説教の歴史の中に求めて、その本質を探究しようとする、まことに珍しく且つ有意義な催しであったため、各地で大成功をおさめたのである。
 演出家・早野寿郎氏のセンスあふれる構成の中で演じた小沢昭一氏のみごとな『説教板敷山』が大入りの聴衆をすっかり魅了し、永六輔氏の司会による座談もまことにおもしろかった。
 それとともに、ほんものの節談(ふしだん)説教の実演者として特に出演された祖父江省念師の『説教忠臣蔵』が、六十年にわたってきたえぬかれた説教師独特の豊かな声量と美しい声、巧みな演出、卓越した表出力で満場の聴衆を驚嘆させた。この会の聴衆は、寺院における説教(法話)の聴聞者(善男善女)とはおよそ異質のサラリーマン・大学教授・青年僧・布教師・俳優・噺家・講釈師・放送タレント・作家・評論家・教師・学生その他若い男女が多かったが、いずれも説教技術の伝統の底力に恐れいった様子であった。老人の中には、数十年ぶりに聴く節談説教のなつかしさに感涙にむせぶ人もあった。
 永六輔氏は、祖父江省念師の説教を評して「息の根をとめられる思いがした」と述べ、さらに「放送芸入の一人として、説教の伝承の義務を感じる」と述べた。また、この会に来聴したある若いお坊さんは「当然われわれがしなければならぬことを、俳優さんがあまりにもみごとにやってしまわれました。小沢さんのお説教を聴きながら非常に感動しました。同時に、今おこなわれている仏教界の布教の方法について深く考えさせられました。正直なところ、われわれ仏教界にこんなすばらしいものがあったことを今日まで知りませんでした。どうしてこういう、いいものを仏教界は捨ててしまったのでしょう」と率直に感想を私に述べられた。これは、この"説教の会"が、別の意味で現代日本仏教の布教技術のあり方に新しい問題提起の役割りをも果したことを物語っている。
●昭和四十五年九月二十二日・二十三日夜  東京・岩波ホール
   (俳優小劇場演劇研究所芸能研究室主催)
●昭和四十六年三月二十日・二十一日夜  名古屋・東別院青少年会館
   (俳優小劇場芸能研究室・節談説教研究会主催、含笑長屋後援)
●昭和四十六年五月一日昼  東京本願寺本堂
   (東京本願寺主催)
●昭和四十六年十月二十七日夜大阪・南御堂  御堂会館大ホール
   (大阪大谷クラブ主催、俳優小劇場芸能研究室・難波別院後援)
●昭和四十七年六月七日夜   福岡・電気ホール
   (西日本文化協会主催、福岡県・福岡市教育委員会後援)
●昭和四十七年六月八日夜    京都・シルクホール
   (ジャパン・インペリアル・アート創立三周年記念公演)
<この本は、名古屋公演の記録である>