下町で遊んだ頃-[子どもの文化]再考  加太こうじ 著   サンマーク出版

昭和54年7月30日初版発行 昭和56年1月20日第二刷発行 ISBN4-7631-8903-400039

下町で遊んだ頃カバー画像

下町で遊んだ頃 帯

目 次

まえがき

Ⅰ 

江戸から東京へ、うたいつがれた郷愁-わらべ唄Ⅰ
時代の変遷とともに-わらべ唄Ⅱ
お綾や母親におあやまりなさい-言葉遊び

戦場に消えたアウト鬼の仲間たち-かくれんぼ・鬼ごっこ
パイナップル・グリコ・チョコレイト-ジャンケン
一番大切なのは糸目の加減-凧あげ
〽あんたがたどこさ……唄だけは今も同じ--毬つき
今は昔の縄とびエロ論争-縄とび

陽の当たる縁側でおばあさんと-お手玉
一枚のゴザに描く女の子の理想像-ままごと
古き良き日本情緒を作りだす魔術師-千代紙
ざっくばらんな下町の女の子の情緒-ほおずき

木枯しが吹きはじめる季節に流行-剣玉
少年の日の情熱を傾けつくした遊び-メンコ・ベイゴマ
五寸釘を電車の線路に並べて-釘刺し

V

街の風景が変わって見えた竹馬-竹の玩具
夢は野原を駆けめぐる-野の玩具
ヨーヨーの流行と不安な世相-玩具の流行

町の子どもの社交場、遊びの根拠地-駄菓子屋
露店を冷やかしてあるく楽しさ-祭り
歓楽きわまりて哀情多し-花火
テレビ正月以前の思い出-正月の遊び
「花のパリーかロンドンか」弁士熱演-活動写真
正義の味方黄金バット、ウハハハハ-紙芝居
ブームの根底にあるもの-漫画
外で遊ばなくなった子どもたち-テレビ
幼い子どもの好みに合った現代の化物-怪獣

あとがき  中扉カットも著者

まえがきより

 やぐら小住宅と小商店と町工場が雑然と入り乱れていて、町で一番高い建物は消防署の火の見櫓だった。川ぞいには化学工業の大工場があって、そこだけが特殊な風景であった。それは今の東京都荒川区の東尾久・西尾久だが、私はそこで1923年から1938年までをすごした。いい換えると、関東の大震災があった大正12年初秋から日中戦争開戦一年後までである。この町へきたとき5歳だった私は、20歳の若者になってから葛飾の野に転じた。
 浅草で生まれたのだが、当時の裏町情緒ゆたかな尾久は、私が幼年期から青春前期へ至る期間をすごした第二の故郷である。画家になろうとしていた私は、尾久の街景を何回も写生した。低い屋並みと、トラソスを重たげにかかげて少し傾いて立っている木製の電柱。街をいく長屋住まいの人たち。それは私にとって、まことになつかしい風景であり、人物であった。-
 そういう昔なつかしさからはじまって、私はこの一冊をまとめることにした。多くは大正末から昭和初期へ至る子どもの遊びの回想である。そこから、今をよりよく生きていくための、あるいは美しい未来を作っていくための、何かをくみとって頂ければ、筆者としては大いに光栄とすることができる。
夏爽やかなる日に加太こうじ

あとがき  より

 数年前に、サンマーク出版の月刊誌『すくすく』に、一回、四百字詰原稿用紙六枚ぐらいずつで、子どもの遊びについてのエッセイを一年間連載した。それがあったので、同社からすすめられるままに書きたして、この一冊をまとめたのである。連載分は全部で七十枚ほどだから、大部分は書きおろしなのだが、旧稿にも多くの手を入れた。
 この本は、回想と遊ぶことの意義をのべた本になってしまった。もちろん、それを意図して書きだしたのだから、私としてはこれでいいわけである。また、読み物として気楽に読んで頂けるように配慮したつもりだが、それでも、漫画を見るようにはならないだろう。多少、理屈っぽいのはご諒恕ねがいたい。
 明治34年に『日本全国児童遊戯法、東京、京都、大坂、三都遊戯』という本が発行されている。それには実にさまざまな当時の子どもの遊びが、遊び方として記録されている。以後、各種の子どもの遊びの本が、おびただしい数といえるほどに発行された。私にしても、この本より先に滝平二郎氏の切絵と共になっている『こどもの四季』という本がある。今回のこの本は、その『こどもの四季』を、活字を中心にして、ずっとくわしく書いた本といえよう。
 この本をまとめるに当たっては、前記の『児童遊戯法』=現在の平凡社東洋文庫の『日本児童遊戯集』その他、数多くの著作物や記録、年表等を使った。いちいち書名・筆者名はあげないが、先輩、同業の諸氏のお力によるところも多いわけである。
 また、この本をまとめる上で女の子の遊びその他について、思想の科学研究会の寺井美奈子さんのご協力を頂いた。まずはここで厚くお礼を申しあげる。
 次に、装釘を担当してくださった田中晋氏に深謝する。また、いろいろとお世話になったサンマーク出版の方がた、特に清原康正氏に深い謝意を表する次第である。
加太こうじ