遠い声 瀬戸内晴美(寂聴)著 新潮社版 装幀 駒井哲郎

197035日発行 1972630日第5

遠い声表紙画像

遠い声 付:いってまいります さようなら

-私の今度の死刑の判決の号外を、あの大広間の紫檀の机の上で広げた文海の顔が目に浮ぶ。自分と一度でも寝た女が絞首刑になるような女だったと知った時、男はどんな気持がするだろうか。
 別れた夫とあの意地の悪い姑、立命館の中川小十郎、牟婁(むろ)新報の毛利柴庵、六大新報の清滝智竜、伊藤銀月、荒畑寒村……その他思いだしたくもない……私の上を通りすぎた屑のような男たち……。号外を広げた瞬間の、彼等の肌によみがえる私の肉の記憶。笑いがこみあげる。声をだして笑う。一度笑い出すと、笑いはしゃぼん玉のように後から後からふわふわわき上ってくる。あの判決を聞いて以来、私は時々、突拍子もない時に、笑い声を出すようになっている。最初、自分の笑い声に気づいた時は、ぞっとして、気が狂ったのかと思った。でも今は馴れた。自嘲の笑い、軽蔑の笑い、愉しいことの想いだし笑い、よくもこんなに笑いの種があると思うくらいだ。まるで31年の私の生涯に笑い惜しんだ笑いも、残された限られた僅かの時間に、笑いつくしておこうとでもしているようだ。
 それにしても私は社会に生きていた間に、何と笑いの少ない人生を送ったことか。生母に12歳で死なれて以後の私の記憶はすでに地獄だ。あの暗い少女時代から、私は素直な笑い方や可愛らしい笑顔というものを忘れてしまったのにちがいない。死相というのがあるなら、死刑の宣告を受けてしまった私の顔には、もう死相があらわれている筈だ。死相とは決して険しいものでなく和やかな、みるからに仏さまのような顔だと聞いたことがある。しかし私が今、和やかな表情になっているとは思えない。今、もう死刑を目前にひかえて尚、私は、許せない人々、思いだしただけで憎悪の煮えたぎる人々があまりにも多いのに、呆然とする。死に直面すれば、自然に心が和み、仏心がわき、誰も彼もゆるしたくなるとか聞いたけれど、私はそうではない。憎悪は益々、どす黒い煙をあげ、胸いっぱいに燃え上がる。もし私に死の前に一日の自由行動の時間が恵まれ、一番したいことをしてもいいといわれたら、私け何をしよう。あの無法極まる言語道断の判決決を下した殺人鬼、裁判長鶴丈一郎(つるじょういちろう)と、私の幼時すでに地獄の火をのぞかせたあの冷酷非情、野卑と無知の権化のような継母を一思いに刺し殺しにいこうか。山県有朋や平沼駄一郎も見逃すわけにはいかない。
 以前はキリストを信じた時もあったけれど、今は唯物論者になりきっている私は、死ねば、水と炭酸ガスになるだけだと思ってきたが、今になって、何だか、霊魂が怨みに凝り、王朝時代の生霊や死霊のようにこの世にさまよい残って、私の宿敵や怨敵の誰彼の上に、呪いをふきかけながら、永劫に成仏なんかしないのではないかと思われてくる。死霊ともなれば、神出鬼没、どんな厳重な囲みの中も、十重二十重の防禦の中も自由自在にしのびこめるのだから、先ずは、どこよりも先に、千代田のお城の九重の奥深くをお見舞い申し、果さなかった計画を全うしてやろう。私ひとりで、計画を完遂してやろう。どうして私は最初から今度の計画をひとりでたて、ひとりで実行することを思いつかなかったのだろうか。どうせ、はじめから、確実に実行出来るなど思っていなかったのに。元首といえども斬れば血の出るわれわれと同じ人間であり、刺されれば、斃れ、撃たれれば絶命し、爆弾に当れば、微塵に霧散してしまうはかない生物にすぎず、現人神などといわれるような特殊なものでないことを示し、彼が神聖だという迷信を盲目的に信じこまされている国民の目から鱗をとりのぞくことが目的で、その事件で人心を動揺させ、それに乗じて小革命を起そうというのは第二義だったのだ。斃さないまでも、危害を加えようと実行する人間もいることで、神聖性を地にひきずりおろし、神話に対する疑惑を国民におこさせることだけでも、一応私たちの目的は達しられる筈だった。 
-私の覚めた目の中にも、まだありありと欠けた日月の相並んだ凄い幻影が残っていて、私は頭がしんしんと痛んでいた。私は脳がわるいせいで-これは継母が、私の幼い時、何かといっては頭を打ち、ひどい時は、私の衿首をつかんで、柱の角へめがけて、ごんごん、血の出るほど叩きつけるような折濫をしたせいで、脳がどうかなっているのだと、恨んでいるのだが-その上に、例の隆鼻術の後遺症も伴って、激しい頭痛持ちだし、子宮の悪いせいもあって、冷え上せの性で、月の障りの前後は、本当にこのまま気が狂ってしまうのかと思うほど精神が乱れきることがある。気持が高ぶってくると、自分の平静心をどう制禦のしようもなくなり、終いには強烈なヒステリーの発作をおこし、その場に失神してしまうことさえある。これは、一昨年の初夏から秋水との関係が生じで以来、あらゆる誹誘や迫害を受けた余波みたいにおこりだした症状だ。あの秋頃から、癖になって、時々、その錯乱状態に見舞われる。どうしてこう、私は心も魂も肉も、人並以上に燃えたぎるたちの女に生れあわせてきたのだろうか。私の三十年の貧しい生涯は、貧相な私の肉体からしぼりだす自分の脂に火をともし、その火明りで道を照らしながら、自ら燃え尽きてきたという気がする。両の翼に火をつけ、炎に包まれながら、天翔けている鳥の幻影が、私の生涯の姿のような気がしてくる。恋と革命私の30年の生命のすべてを賭した恋と革命。私の生はそれ以外の何物でもなかった。もしかしたら、あの欠けた日月の幻は、私の賭けた恋と革命の象徴ではなかったか。しかもその二つとも痛ましく欠けて。革命は挫折し、恋もまた、あまりに無残だった。しかし、私は悔いてはいない。私の生き方に、もうひとつのあり得た生というものは、この期に及んでも考えられない。私はこのように生き、このように死ぬために、生れてきた人問なのだと、この数目、いっそう骨身にしみて考えている。
 ああ、また鴉が鳴く。もうすっかり明けわたった蒼空を斬って、大鴉がふわっと、黒ふろしきをとばしたように東から西へ翔けていった。妙に、森閑として、どこからも物音ひとつ聞えて来ない。何だか耳鳴りがしそうなほどの静けさだ。いつもの朝は、も少し、ひそやかな物の気配や、物音が空気の中に伝わってきたような気がする。私は……もしかしたら、もう死んでいるのだろうか。今、いろいろ、影のように浮ぶ想念を追っている私は、もうすでに幽冥界とやらに来ているのだろうか。-

参考文献

「幸徳秋水の日記と書簡」塩田庄兵衛編(未来社)「大逆事件記録第一巻、第二巻上・下」神崎清編(世界文庫版)
「幸徳秋水選集」(世界評論社)「幸徳秋水全集」(明治文献)「大逆事件」絲屋寿雄(三一新書)
「幸徳秋水研究」絲屋寿雄(青木書店)「革命伝説」神崎清(中央公論社)
「寒村自伝」荒畑寒村(筑摩書房)「ひとすじの道」荒畑寒村
「反体制を生きて」荒畑寒村(新泉社)「宇田川文海古稀記念文集」
「秘録大逆事件」塩田庄兵衛、渡辺順三編(春秋社)
「社会主義者無政府主義者人物研究史料」社会文庫編(柏書房)
「風々雨々」師岡千代子(隆文堂)「定本平出修集一、二巻」(春秋社)
「兆民文集」中江兆民(文化資料調査会)
「週刊平民新聞」史料近代日本史社会主義史料(創元社)
「社会主義文学集」(講談社)「幸徳一派大逆事件顛末」宮武外骨編(竜吟社)
「法廷五十年」今村力三郎(専修大学)
「十二人の死刑囚」渡辺順三編江口換解説(新興出版社〉
「大逆事件」尾崎士郎(雪華社)「一無政府主義者の回想」近藤憲二(平凡社)
「アナーキズム」松田道雄編(筑摩書房)「死の懺悔」古田大次郎(春秋社)
「留日回顧」景梅九(平凡社)「牟婁新報抄録」関山直太郎(吉川弘文館)
「石川啄木全集」(岩波書店)「平沼騏一郎回顧録」(学陽書房)
「大逆犯人は甦る」飛松与次郎(学陽書房)