つづり方兄妹 作者 野上丹治・洋子・房雄 理論社 名作の愛蔵版

画家 今井弓子 1958年初版 19776月第15刷 8395-11020-3924

そうていは、いずれも房雄君の遺作「(a)ぼくとくまだくん (b)おかあさんの買物 (c)ともだち」より。

つづり方兄妹表紙画像

もくじ

はじめに
房雄の遺した作品(小学一年から二年まで)
一年生のとき
詩・にゅうがくしきの日/きょうのあさのこと/おねえちゃんのて/ちゃいろのオーバー/詩・おしょうがつ
二年生のとき
ぼくらの学校/詩・お正月/童話・子うさぎの白ちゃん/うちのひとたち/ぼくのうちのまえ/おばあちゃんのおうち/詩・お母さん/山へ行ったこと/詩・くも/おかあさんのびょうき/詩・お正月のとばないたこ
最後の日記(1月1日から4月10日まで)
洋子の作品(小学一年から五年まで)
一年生のとき
詩・あたらしいえにっき/わたくしのがっこう/ふうちゃんとおばあちゃん/けんそく会
二年生のとき
ひなまつりのころ/おばちゃんのこと/まっているうんどうかい
三年生のとき
私のおかあさん/詩・マル/みいちゃん/時計/詩・きゃらめるこうば/おもちつき/くまちゃん/はれぎ
四年生のとき
詩・夕ぐれ/かいこんきょうそう/詩・水色のきり/俳句/前の先生
五年生のとき
日曜/四つ目の黒/雨の中を/詩・子うさぎ/房雄ちゃんの死/色紙のりぼん/詩・朝ぎり
丹治の作品(小学三年から中学三年まで)
小学三、四年のころ
しんるいの姉さん/かやく/私のお母さん/おかあさんのくろう/冬の朝
小学五、六年のころ
私のおかあさん/学園一日絵日記/ぼくは土方になりたい/夏休みの日記より/地球としばらくのおわかれ/台湾さいごの日/ズックグツの借金/給食について/「母の日」に
中学一年生のとき
黒いしずく/史蹟をたずねて/寒い日/向井君/竹囲の舟歌/みつくちの妹
中学二年生のとき
『山芋』を読んで/あり/母/大風の日の思い出/詩・母の手/胡蝶蘭の思い出/詩・さんま/迎春/短歌/詩・とめ公/台湾の花/詩・びっこの机
中学三年生のとき
子供の人権について/アルバイト/詩・山の墓地/レペシンスカヤさんに会って/詩・アルバイト/詩・元旦の朝/詩・屋根はり/詩・老婆

はじめに-愛蔵版刊行の言葉

 この『つづり方兄妹』が一冊の本となって初めて世に出たのは、1958年の春のことですから、あれからもう、15年にもなろうとしています。本そのものも、ずいぶんひろく読まれましたし、映画やテレビなどでも評判となりましたので、今では、『山びこ学校』や『山芋』などと並ぶ綴方史上の代表的名作として知られています。とりわけ、大都会周辺の庶民の生活のすみずみまでを、こどもの目でいきいきと描いた生活記録としては、あの豊田正子さんの『綴方教室』以来の記念碑として、高く評価されてもいるのです。
-ちょうど、この本が出発点となって始まった理論社の《こどもの本》づくりも、もはや250点を超えましたし、今年は、創業満25年の記念の年でもあります。-あれこれの思い出をたどりながら再編集しているうちに、いつしか、こうした身辺の事情は消え去り、もっと深い意味で、この名作の意義を考えないではいられなくなってくるのでした。
 言うまでもなく、これらの作品は、日本の1950年代の生活を背景として生まれているのです。たんに、野上さん一家だけではなく、そのころ大部分の日本人の生活が、このように貧しかったといえましょう。戦争の傷あとは、父母たちの心にも、遊び場となる町かどや原っぱにも、まだ、なまなましく残っていました。けれど、注意ぶかく読むと、何よりもたいせつな一つのことが、いきいきと見えてくるはずです。
 それは、くったくのない、のびやかな、遊びの心で、楽しく作文が書かれているということです。兄ちゃんが書くから、わたしも書く。姉ちゃんが書くんなら、ぼくも書こう。 ……丹治さん、洋子ちゃん、房雄くん、そしてその後に成長したクマちゃん以下の弟妹たちも、みんな、まるで楽しいおもちゃ遊びのようにえんぴつを走らせたのでした。
-いや、この学校、この先生にかぎらず、そのころ、日本のたくさんの学校のたくさんの教室には、遊びと創造とがみちあふれていたといえましょう。そして、新聞社などが主催する《つづり方コンクール》などにしても、いわば、全国のこのような教室の空気が盛りあがって集中してくる広場であり、この広場には、すぐれた先生たちが、手をひろげて待ちかまえておりました。
 私自身も後に、『きりん』という児童詩の雑誌を発行するようになって経験したことですが、じっさいそのころは、全国のたくさんの教室から、山のようにたくさんのガリ版刷りの文集を送っていただいたものです。-こどもたちの創意がいちばん尊重されているありさまがうかがえて、戦後の教育のすばらしさに対する信頼が深まったものです。
 ところが近年になって、そういう文集は.がくんと減りました。先生たちは、とてもいそがしくなり、校庭には自動車が並ぶようになりました。こどもたちは、黄色いシャッポや腕章をつけて、おおいそぎで帰宅するようになり、家にこもってカラーテレビにかじりつくようになったようです。学校文集は、卒業記念のアルバムみたいに、りっぱな活版刷りで各家庭にくばられ、おぎょうぎのいい文章が並ぶようになりつつあります。
さて、こうした時代の中で、この『つづり方兄妹』は、もういちど、新しい意義をもって、かえりみられる本となりました。たしかに、あのころは日本じゅうが貧しかったのです。
-詩の強さと豊かさの底に、どんなに熱く「書くよろこび」が息づいていることでしょう。こういう強い自主的な魂のよろこびが、教室や家庭の中心にあり、こどもたちの自由な創意が、人間的な成長の根本として支持されていました。この原点の強さ明るさ確かさを思うとき、一見したところ豊かで泰平な近ごろの教室や家庭が、インスタント食品みたいに、物たりなく感じられるのです。まさに『つづり方兄妹』は、たんに過去の名作なのではなく、今こそ新しい意義をもってよみがえる、ふるさとのような温かい本ではないでしょうか。もういちど、ここから出発していただきたいと思うのです。
 初版以来の旧版には、松原春海先生によるこの兄妹たちの楽しい紹介があり、藤田圭雄先生による長文の解説『野上兄妹と松原先生』が収められておりました。この愛蔵本では、もうすっかり有名になっている野上さんたちのことからはひとまず離れて、これらの作品そのものの語りかけに、直接ぶつかっていただきたいと思い、上記の願いだけを記して、解説に代えました。作品も、丹治さんの「1958年の希望」という一篇をのぞいたほか、すべてもとのままに収めてあります。カットやさしえは、必ずしも説明的にではなく、こどもの心象を漫画ふうに今井弓子さんに描いていただいたものを、余白にちりばめる程度にとどめました。(小宮山量平)