日本アナキズム運動史
著者 小松隆二 こまつ りゅうじ 1972年11月25日第1版第1刷発行 発行所 青木書店 装釘=山根 隆
はじめに
故布施辰治氏は弁護士として、アナキストをふくめ、社会主義者との交流の深かった人である。氏は、第二次大戦後、社会運動史研究が盛行しはじめるなかにも、アナキズム運動の足跡が看過されていることに注意をむけていた。そしてアナキズム運動の正確な記録が残されることを希望した。
最近、アナキズムの復権が口にされるにつれ、アナキズム思想史や運動史にかんする研究がいくつか公けにされている。それらは、一面で独特のすぐれた側面をもっていながら、他面で必ずしもすべてに行きわたった構成・叙述をなしたものともいえない。いろいろの角度からの視点があるのは当然であり、一つ一つ積み重ねていく努力が必要であることもいうまでもない。そこにまた、私なりにうけとめるアナキズム史を公けにする意味もあるように思った。
ことに、近年多くのアナキズム文献が公けにされつつあるとはいえ、全般的にはその思想も、足跡も、すでにとりたてて意味のないものとして、片隅においやられているのが実状である。その点では、故布施氏が吐露した言葉は今もそのまま生きているといってさしつかえない。
そのような思想史・運動史の空白を埋める努力は、自由思想の展開を解明するためにだけでなく、社会思想・労働運動・社会主義運動の全体像を正しく把握するためにもぜひ必要なことである。その目的にむかう一つの作業が本書のねらいでもある。したがって、本書とても、限られた紙面に、すべてに行きわたった構成・叙述をなしえているものではない。多くの欠陥をもっていることも十分承知のうえである。
なお、本書の執筆にふみきる契機を私に与えたのは、東京経済大学の大原慧氏と青木書店の江口十四一氏である。ささやかながら本書を世に送りだすことができたのは、お二人の御厚意によるものと、深く感謝している。また、これまでアナキズム運動史の究明をつづけるうえで、多くのかたがたに資料の借覧や聴取などでお世話になった。おそらく、それらのかたがたの協力なしには、本書の公刊はありえなかったであろう。以下にお名前を列記することで、私の心からの感謝の気持にかえさせていただきたい。
相沢尚夫、糸屋寿雄、遠藤斌、大野みち代、故近藤憲二、故後閑林平、嶋津一郎、高橋光吉、古河三樹、宮崎晃、望月桂、森長英三郎、山口健助、横倉辰次、和田栄吉、綿引邦農夫
1972年10月20日 小松隆二
序 自立と人間性をもとめて
近年、アナキズムにたいする関心がたかまっている。当人がそうと意識しなくとも、アナキズム的な発想や理論もしばしばみうけられる。また一般のジャーナリズムでも、この問題がかなり頻繁にとりあげられるようになっている。国家機構と官僚化の拡大・強化、機械化と画一化の進行、生産中心主義と人間軽視の普遍化といった現代社会の矛盾に直面して、人間=個の重視と権力=支配の否定を強調するアナキズムが部分的にであれ、共感なり関心をよぶにいたっていることを示すものであろう。
それでいて、アナキズムがどのような思想であるのか、あるいはどのような足跡をしるしたものであるのかは、一般にも研究者にもそれほど正確に理解されているとは必ずしもいえない。アナキズムは、一般的な定義を与えにくいほど多義的な性格をもつといううけとめ方、あるいはその具体的な発現形態としての各国における運動も、じつに多様で一つの視点では包括しきれないというあいまいなうけとめ方で処理される場合が多い。
そこで、わが国におけるその具体的な展開をみるまえに、アナキズムとはどのような思想であるのかを簡単に紹介してみよう。
アナキズムとはなにか
人間には、いかに苛烈な暴力も威力のある突風も、どうしても吹き消すことのできない灯がそなわっている。その灯は、個人個人によって輝きの種類も、色も、強さもちがっている。その灯が自由に無限に美しさをもとめて輝きつづけたら、さぞすばらしい光を放つことであろう。
しかし、現実の社会には、そのような心の灯がのびのびと美しく無限に輝きつづけるにはあまりに多くの制約がありすぎる。目にみえるものから、みえないものまで、社会的、政治的、あるいは経済的制限や規制や規則がいたるところにはびこり、なかなか自由に人生を享受できない。
それにしても、人間の心の奥底にともる灯は、どんな規制や圧力のもとでも、消滅しきることはないだろう。じっと嵐にたえ、まさに風前の灯の状態におかれることもあろう。そのときでも、けっして消滅しきることはない。心の灯が消えることは、人間=個の死を意味することにほかならないからである。
そのような人間の心の輝きに、敏感に反応して、それをしっかりうけとめようとするのが、アナキストの心情の出発点といってよい。アナキズムが不平等や差別や権力的なものに反発する日常のごくありふれた感情を源流にもっていること、そのため明確な定義や理論体系をもっていないといわれることも、それに無関係ではないだろう。
昔から、人間を見失わずに、人間中心に考え行動しようとつとめたものは少なくない。マルクスも若いころ「人間が人間にとって最高の存在である」といったことはよく知られている。アナキストも、その点では他に劣るものではない。というより、アナキズムの視点にあっては、人間は他のなにものにもましてかけがえのないものである。
すなわち、アナキズムにあっては、人間をすべての発想・行動の根幹にすえることから出発する。たとえば、〈進歩〉や〈成長〉のようなものを位置づけるにも、アナキズムにあっては、これまで当然視された経済的なものを第一義に考えるという方法はとらない。それに、いうまでもないが、その人間について個性的で、多様で、かつ平等なものとうけとめる。それだけに、それぞれが他によって代替されうるものではない。また一方が他方によって無視されたり、支配されたり、犠牲に供されるようなこともあってはならないと考える。
そこから、アナキズムの第一の特徴は、人間性の思想として貫徹されることをめざしているという点にあるといっても過言ではない。
ところが、現実には人間=個の思想や活動を制限したり、支配したり、犠牲にしたりする諸制度が厳然と存在している。国家があり、政府があり、資本がある。また警察があり、裁判所があり、法律がある。当然、アナキストは、そのような個の外にあって個を支配し圧迫する権力や権威にはつよい拒絶反応を示す。そして、そのための戦略・戦術の選択においても、独特の性格を浮きぼりする。すなわち、アナキズムの基本的視点である人間=個=反権力の視点を目標としてだけすえるのではなく、そのプロセスにおいても、貫徹すべきものと考える。いうなれば、目的と手段の一致である。目的が人間=個の尊重と無支配=反権力である以上、手段・プロセスにおいても、それが守られなければならない。手段だから、プロセスだから、あるいは一時的な過渡期だからという考えは、けっしてとらない。人間=個を、革命のために、全体のために、目的のためにと犠牲にしたり圧迫しだしたら、それがいずれ回復されるという保障はどこにもないと考えるからである。またいったんできあがった国家や政府や法律のような強権が廃止されるという保障も、どこにもないと考えるからである。この点がアナキズムの第二の特徴といってよいだろう。
自立と人間性の思想
ところで、これもよく知られたことではあるが、アナキズムは基底に以上のような原則をもつことでは共通しながら、その具体的な表現となると、じつに多様な性格を浮きぼりする。たとえば、労働組含ひとつとりあげても、それにたいする評価は、アナキストのあいだでも、時代によっても、まちまちである。また、闘争姿勢という観点からみても、アナキズムの原則を実現するために、あるときは一人で嵐がやみ、時機の到来をまって、ただじっとたえるだけである。またあるときはそこにとどまらず、積極的な行動をとることによって圧力をはねのけようとする。さらにあるときは暴力に訴えたり、一身を犠牲にして自爆してでも、それに対処しようとする。いずれの場合も、自己の意志と責任とで処する〈直接行動〉の理念をふまえたものであることはいうまでもない。その点で、アナキズムは、その結果や評価はどうあれ、自立と人間性をもとめて試行錯誤をくりかえしてきた思想といってもよいだろう。
もちろん、守るべきものが美しくかけがえのないものだからといって、そのための思考と行動がすべて正しく美しいというのではない。世界の、あるいは日本のアナキズム運動の足跡をふりかえってみても、一面で心を洗われるようなすばらしい思考や行動に出会うかと思うと、他面で目をそむけたくなるような思考と行動にもしばしば出会う。わが国の場合には、後者の側面が各時代の画期には必ずといっていいほど頭をもたげ、アナキズム運動を衰退の方向に追いやってきた。しかも、一般にはその側面だけがもっぱらつよく印象づけられ、アナキズムにたいする観念もその視点で形成されることになっている。
以上が、とらえにくく広漢とした印象を与えるアナキズムの一つの姿といってよい。その思想を抱懐するものは、権力や支配のない、豊かな共産と協同の社会のもとで、人間性の無限の開花をおいもとめる。もちろん、その目標をたんなる理想論、あるいは机上の空論という声も少なくない。またその手段についても、目的と手段の一致をつらぬこうとする立場にたいしても、反対にそれを無視して暴力に訴えてでも理想に近づこうとする立場にたいしても、やはり批判は少なくない。
しかし、理想論やユートピアがことさら再考されてよい時期もある。とくに運動や思想の混迷・停滞期にはそれがいえる。現在もそのような時期にあてはまるといっても的はずれとはいえないだろう。現に、近年にいたっても、既存の体制・制度を維持するために、あるいは運動や変革を推進するために、という名目で人間が犠牲にされる事例がたえない。たとえば、一方で経済・生産中心主義の弊として増長した人間無視の視点が反省され、人間の存在や進歩の意味が根底から問いなおされている。他方で、いわゆる連合赤軍のリンチ事件などの発生によって、変革運動の側における人間無視や安易な犠牲の観念、さらには目的と手段の対立・背馳などの閥題も問いなおされている。
このように、近年緊要な課題としてしばしば問われている問題の多くが、その評価はしばらくおくとして、ともかくアナキストの一貫した課題であったことを考えるだけでも、現在、アナキズム思想とその運動史を再検討の姐上にのせることは、きわめて意味のあることといわねばならない。
そこで、以下にアナキズムのわが国における思想と行動の展開を、その評価すべき側面も批判すべき側面も、可能なかぎり事実をほりおこしつつ明らかにしてみたいと思う。
目 次
はじめに
序 自立と人間性をもとめて
アナキズムとはなにか/自立と人間性の思想
Ⅰ アナキズム思想の導入
アナキズムの先駆・東洋社会党/アナキズムの導入/社会主義の普及とアナキズムの体系的紹介/煙山専太郎と『近世無政府主義』
Ⅱ 黎明期のアナキズム-直接行動論
1 直接行動論の導入
運動のなかのアナキズム/幸徳秋水・アナキズムへの接近/アメリカの幸徳
2 直接行動論の定着
直接行動論の宣言/直接行動か議会主義か/対立・分派活動の進行/明治天皇への公開状
3 弾圧と直接行動派の孤立
幸徳のアナキズムへの沈潜/赤旗事件おこる/幸徳の上京と直接行動派
4 大逆事件と明治アナキズム
宮下の天皇制迷信への挑戦/天皇暗殺計画/大逆事件の発覚/明治アナキズムの到達点
Ⅲ 種をまく人たち
1 アナキズム運動の再開
嵐のなかに船出/『近代思想』の発展/『平民新聞』の発刊/アナキズムの定着
2 忘れられた先駆者たち
アナキストの原点/貧しく心美しい伝道師・渡辺政太郎/〈キリスト〉久板卯之助/平民美術運動の先駆者・望月桂
3 啓蒙から実践へ
労働者のなかへ/研究会活動から労働組合活動への転機
Ⅳ 「労働者の時代」の到来
1 アナキズムと労働運動
労働者の時代の幕あけ/信友会/正進会/『労働運動』の創刊/生活不安と運動の活発化
2 「アナ・ボル」共同戦線
国際的潮流の流入と第1回メーデー/労働組合同盟会の成立/社会主義者の全国的同盟/社会主義同盟と大杉栄
3 アナキストの視点
サンジカリズム化の波/大杉と労働運動/大杉の白紙主義
4 〈共同〉とその破綻
第二次『労働運動』と日本の運命/共同戦線から対立へ
V 「アナ・ボル」対立時代
1 アナキズムの浸透
「アナ・ボル」対立時代の幕あけ/第三次『労働運動』/企業別組合とアナキスト/八幡製鉄所とアナキストたち
2 日本労働組合連合の企て
総連合運動の開始/機械連合の成立/総連合運動の進展と「アナ・ボル」の争点/総運合大会開かる/総連合運動の意味するもの/総連合運動の余波
3 アナキズム運動の最後の昂揚
国際無政府主義者大会/大杉の到達点/『組合運動』と印刷工連合会/大杉の帰国とアナキストの全国的同盟/しのびよる後退の気運
Ⅵ 後退とテロリストの台頭
1 アナキズム運動の後退
関東大震災と社会運動/大杉の虐殺/革命的な生涯/方向転換の嵐/アナキズム運動の衰退
2 テロリズムの出現
黒いテロリストの群れ/テロリズムの論理/テロリズムの実践/荒れ狂うテロル/胸をはるテロリストたち
Ⅶ 全国自連と純正アナキズム
1 再建と全国的連合への努力
全国的連合にむけて/黒色青年連盟と銀座事件/全国自連の創立/全国自連第二回大会開かる
2 分裂と沈滞
純正アナキズムの浸透/全国自連の分裂/自協の成立とアナキズム運動の後退/文化運動と『ディナミック』/農村青年運動
3 合同気運の醸成
アナキズム陣営の自己批判/合同気運もり上がる
Ⅷ アナキズム運動の合同と終焉
1 合同と無政府共産党
解放文化連盟の結成/無政府共産党の成立/無政府共産党の論理/自連と自協の合同
2 アナキズム運動の終想
無政府共産覚事件の発覚/農村青年社事件とアナキズム運動の終焉
むすびにかえて
アナキズムの終焉と戦後の再建
以上のように、軍国化の進行する1938(昭和13)年を最後に、戦前のアナキズム運動は、組織的なひろがりをもつものとしては、終熄した。
それにしても、戦前をつうじて、アナキストは人間=個の尊厳、自主自治の精神、あるいは自由連合主義を高唱した。個の自立・人間性の回復という命題にたいし、彼らほど情熱を燃やしたものはほかにいなかったといっても過言ではない。一時は、労働運動・社会主義運動を二分するほどの昂揚を示した。
しかし、その反面で、理論的にはたえず不十分さと未完成な側面をのこしていた。経済分析や経済理論の不備、また人間=個の尊重や自立といいながら、その意味すること、あるいはそれが現実の運動においてどのように生かされるかということなど、多くの点でも不鮮明な部分が少なくなかった。各時期の代表的人物の主張をとりあげても、その点はいえる。戦前最高のアナキストといえる大杉にしても、すぐれたアナキズム理論や深い人間的魅力にもかかわらず、労働組合・労働運動論などで最後まで脆弱な側面をのこしていた。
そのような理論的不備に災いされて、一般的に既存機構すなわち資本主義体制の現状やその上にたつ自陣営にたいする十分な分析が忘れられがちであった。それをうけて、客観的なうらづけなしに、〈革命近し〉〈革命は目前にあり〉という楽観的な見とおしによりかかり、はげしい闘争にうちこんだ。個々の事例でも、ギロチン社事件といい、純正アナキストの一部といい、また無政府共産党といい、多くの誤謬や逸脱もくりかえした。アナキズムにあっては、個=自我が思想を創造し発展させていくものであるはずなのに、逆転して思想が個=自我をふりまわすような事態もまれではなかった。その状態は、思想の固定化と奴隷の思想への転落といってもよいだろう。また創造的・主体的自我の未確立のあらわれといってもよいだろう。それだけに、短期間の躍進をのぞけば、戦前をとおして、アナキズムは、労働者・大衆に広く深く根をおろしたといえるのではなかった。
そのような理論的脆弱性と多くの誤謬が、太平洋戦争の前夜に、アナキズム陣営に労働者や農民の組織との結びつきを失わせ、ついにはその運動に終焉を迎えさせるにいたった。しかも、その終焉のありよう、すなわち理論的不備から、労働者・大衆との結びつきを断ったまま運動の中断をしいられた事情が、戦後にまで尾をひき、アナキズムの再生に暗いかげを投げかけることになった。
敗戦後、社会運動・労働運動は、堰をきった流れのように、奔流となってほとばしりでた。労働者は団結権、団体交渉権、争議権を獲得した。普通選挙制も実施された。ところが、アナキズム陣営は出発点においてすでに遅れをとっただけでなく、その後も資本の譲歩として労働者の権利や普選がもたらされた新しい状況を有利に生かすことはできなかった。かつて関東大震災後の資本の譲歩を中心とする新しい情勢に、アナキズム運動はもろくもとりのこされてしまったように、敗戦後の状況にも、他派にくらべてほとんどなすすべもなかった。みるみるうちに、社会運動の主流から大きくとりのこされることになってしまった。
それでも、1946(昭和21)年5月12日、全国から200名余の参加をえて、東京・芝の日赤講堂で、「日本アナキスト連盟」(全国委員長・岩佐作太郎)の結成大会が開かれた。アナキズム陣営もおくればせながら運動再開ののろしをあげたのであった。機関紙として『平民新聞』が幸徳時代、大杉時代についで幽三たび発刊された(46年6月15日創刊、週刊、のち旬刊)。『平民新聞』の題字の横には、「自由なくして平等なく、平等なくして自由なし」と「国家の名によろうと民衆の名によろうとワレラは一切の強権に戦ひを宣す」という二つのスローガンがかかげられていた。
ところが、そこに結集したもののうち、多くは、戦前に活動の経験をもったアナキストたちであった。戦前に活動の経験をもたぬ青年層もかなり参加してはいたものの、そのうち職場に足場をもつ労働者は必ずしも多くはなかった。ましてや、戦後日本資本主義の基幹産業となる分野からは、組合としての参加はなく、せいぜい個人的に、あるいは有志として参加するにとどまった。それでも、翌47年5月の連盟第二大会ころから、青年労働者の参加もめだちはじめた。しかし、その伸びはその後も順調につづくというのではなかった。労働組合との結びつきも思いどおりにははかどらず、永続的な運動として一つの流れを形成するまでに回復・発展するというものでもなかった。むしろ、対立と分裂をくりかえしたり、自陣営からの離脱者を生みだしたりして、恒常的な少数派に沈澱していくのであった。
戦後の対立・分裂は、連盟創立直後の1946年10月にはやくもはじまった。「アナーキズムへの懐疑から出発し、そしてアナーキズムの修正を意図」(『平民新聞』10・11合併号、46年12月25日)する一部のものが、「共産党との共同闘争と暴力闘争方法放棄」を訴えて、連盟を脱退し、「日本自治同盟」を結成したのが、その最初であった。その後も、戦前昭和期の自連と自協、純正アナキズム派とアナルコ・サンジカリズム派の対立を再現するかのように、1950(昭和25)年10月には、連盟はその二派に分裂した。アナルコ・サンジカリズム派は51年6月、「アナキスト連盟」を結成(55年に「日木アナキスト連盟」に改称)、アナキズム派は51年7月、「アナキスト・クラブ」を結成した。それを機に、連盟(68年11月解散)、クラブともに、再興への努力にうちこむが、その機会をつかめず、一時的な活気をのぞいて後退の道をつきすすんだ。しかも、その後も、それらは離合集散をくりかえした。ほかにも多くの小集団、あるいは活動が生起しては消え、消えては生起した。
そのあとには、アナキズムかアナルコ・サンジカリズムかといった伝統的な対立軸のほかに、資本主義の高度化がすすむなかで、アナキズムが体制内において権力や権威の骨抜きをはかる個人主義的な個の自立の思想としての道をえらぶのか、それともそれをこえて強力な反体制理論としての道をえらぶのか、あるいはその双方を結びつけた反逆と反体制の理論としてすすむのか、といった戦後アナキズムの中心的な流れを構成したいくつかの視点も未解決の問題としてのこされたままである。
そのような戦後の流れは、マルクシズムのそれにくらべて、きわめて極端な対照を示している。マルクシズムは、戦後着実にその勢力を拡大した。両者の差は、時とともに顕著になった。マルクシズムの発展にたいし、アナキズムは、その後労働組合には個人的なつながりをもつ以外、ほとんど影響力をもちえなくなっていく。しかも影響力や勢力を失うだけでなく、戦前にアナキズムがまいた個の自立や自由連合の精神さえ、ある時期には労働運動や社会運動の領域からことごとく払拭されてしまいそうな状況であった。
新たな動向
ところが、ここ数年来、経済や社会における意識や状況の変化が、社会運動をとりまく状況にも新しい流れをよんでいる。それは、一面からみると資本主義の高度化と体制をこえた人間疎外の拡大に由来するものであるといえる。そのような状況のなかで、人間の存在や生の目標、あるいはその進歩や発展ということが、あらためて問いなおされている。その結果、原理的には人間重視をつらぬくアナキズムが一部で関心をよぶにいたっているわけである。それは世界的な状況でもある。
それにしても、そこにおいて、アナキズムがよくいわれるように再生をなしとげ、一つの流れを形成するほどの運動体になりうるかどうかは、なお今後の問題である。というより、その再生をいわれて久しいにもかかわらず、その運動が大きく躍進したということは、ついぞ耳にしない。その思想・運動に有利な決況が訪れているといわれながら、その再昂揚がみられないということは、外的条件をうんぬんするより、その内在的脆弱性こそ問われなければならないと考えるべきであろう。つまり外的条件が依然としてアナキズムに不利であったという視点であいまいに処するのではなく、アナキズム思想そのものも全面的に問いなおしてみる必要があるということである。現在のわが国がかつてとはまったく状況の異なる国家独占資本主義体制のもとにあるのであれば、アナキズムの再生も過去のたんなるくりかえしではありえないだろうから、その点はないがしろにできない問題である。おそらく、過去にとらわれず、自己の理論を根底から再検討しなおすことなしには、アナキズムないしはアナキズム的思想は「過去の遺物」をぬけだすことはできないであろう。
もちろん、そのような方向への努力がまったく存在しないというのではない。フランスにおいて、またわが国において、すこしずつながら、新しい状況をふまえた理論や活動の努力はみられる。しかし、新しい状況にこたえる理論も活動も、いまだ視界内には十分形成されているとはいえない。
それにしても、アナキズムが、過去において投げかけ、また現在においても投げかけている人間=個の尊重や自立といった人間性の視点は、現在、われわれすべてがうけとめ、再検討してみる意味があるのではないだろうか。
参考文献
1 通史・歴史研究
柳沢善衛・芝原淳三「近代無政府主義運動史」1926年、自由公論社。
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鈴木靖之「日本無政府主義運動史」1932年、黒色戦線社。
河本乾次「日本の自由連合主義労働運動」、『ヒロバ』および『無政府研究』1957~61年。
秋山清『日本の反逆思想-アナキズムとテロルの系譜-』1960年、現代思潮社。
大沢正道『自由と反抗の歩み-アナキズム思想史-』1962年、現代思潮社。
近藤憲二「私の見た日本アナキズム運動史」一九六九年、麦社。
萩原晋太郎『日本アナキズム労働運動史』1969年、現代思潮社。
山口健助「風雪を越えて-1928年以後の日本のアナルコ・サンジカリズム-」1970年、印友会本部。
横倉辰次「書き洩らされたアナキズム運動史」、『リベルテール』1971~72年。
逸見吉三「墓標のないアナキスト群像」、『現代の眼』1971年5月号~72年4月号。
小松隆二「日本におけるアナキズム運動の終焉」、『現代と思想』第三号、1971年。
小松隆二「全国労働組合自由連合会小史」、『三田学会雑誌』1971年10月号。
農村青年社運動史刊行会『資料農村青年社運動史-1930年代に於ける日本アナキズム革命運動-』1972年、同書刊行会。
2 自伝・伝記・回想
社会経済労働研究所編『幸徳秋水評伝』1947年、伊藤書店。
田中惣五郎『幸徳秋水』1955年、理論社。なお、1971年、三一書房より復刻された。
西尾陽太郎『幸徳秋水』1959年、吉川弘文館。
糸屋寿雄『幸徳秋水研究」1968年、青木書店。
飛鳥井雅道「幸徳秋水』1969年、中央公論社。
神崎清『実録幸徳秋水』1971年、読売新聞社。
秋山清・大沢正進『幸徳・大杉・石川』1971年、北日本出版社。
糸屋寿雄『管野すが』1970年、岩波書店。
糸屋寿雄『大石誠之助』1971年、涛書房。
吉岡金市『森近運平』1961年、日本文教出版社。
あまつかつ『父上は怒り給いぬ-大逆事件・森近運平-』1972年、関西書院。
大沢正道『大杉栄研究』1968年、同成社。なお、1971年、法政大学出版局より再版された。
多田道太郎「大杉栄」、『二〇世紀を動かした人々2』(1964年)所収、講談社。
岩崎呉夫『炎の女-伊藤野枝伝-』1963年、七曜社。なお1964年、『大杉栄の妻・伊藤野枝伝-近代日本精神史の一側面-』と改題して再版された。
神近市子『自伝・わが愛わが闘い』1972年、講談社。
「高尾平兵衛と其の遺稿」1924年、戦線同盟。
萩原晋太郎『永久革命への騎士・高尾平兵衛』1972年、リベルテールの会。
古田大次郎『死の繊悔』1926年、春秋社。なお、1968年、同社より増補・復刻された。
古田大次郎『死刑囚の思ひ出』1930年、大森書房。なお、1948年、組合書店より、ついで1971年、黒色戦線社より復刻された。
和田久太郎『獄窓から』1927年、労働運動社。なお、1930年、改造社より、ついで1971年幻燈社および黒色戦線社より復刻された。
布施辰治ほか『運命の勝利者朴烈』1946年、世紀書房。
金子文子『何が私をかうさせたか』1932年、春秋社。
宮嶋資夫『遍歴』1953年、慶友社。
石川三四郎『自叙伝』上・下、1956年、理論社。
江口漢『続わが文学半生記』1958年、春陽堂。なお、1968年、青木書店より復刻された。
荒畑寒村『寒村自伝』1960年、論争社。なお、1965年、筑摩書房より復刻された。
伊藤信吉「逆流の中の歌』1963年、七曜社。
矢橋丈吉『黒旗のもとに』1964年、組合書店。
近藤憲二『一無政府主義者の回想』1965年、平凡社。
高群逸枝『火の国の女の日記』1965年、理論社。
近藤栄蔵『近藤栄蔵自伝』1970年、ひえい書房。
岩佐作太郎「アナーキストの回想」1970年、タナトス社。
3 特殊問題・特殊事件
渡辺順三編『幸徳事件の全貌』1947年、社会書房。
神崎清編『大逆事件記録第一巻・獄中手記』1950年、実業之日本社。
糸屋寿雄『大逆事件』1960年、三一書房。
神崎清『革命伝説』上・下、1960年、中央公論社。
神崎清『大逆事件』1963年、筑摩書房。
神崎清「革命伝説-大逆事件の人びと-』全四巻、1968年、芳賀書店。
幸徳秋水全集編集委員会『大逆事件アルバム-幸徳秋水とその周辺-』1972年、明治文献。
森戸辰男『思想の遍歴(上)-クロポトキン事件前後-』1972年、春秋社。
山根悼三『問題の人・甘粕正彦』一九二四年、小西書店。
武藤富男『甘粕正彦の生涯-満州国の断面1』1956年、近代社。なお、1967年、西北商事会社より再版された。
山根倬三編『福田雅太郎追懐録』1921年、同書刊行会。
布施辰治『死刑囚11話』1930年、山東社。
「全国労働組合自由連合会第二回大会提出議案」1927年、全国自連。
「全国労働組合自由連合会第三回全国大会-特別資料-」1933年、協調会労働課。
秋山清「無政府共産党事件」、『思想の科学』第44号、1965年。
森長英三郎「日本無政府共産党事件」、『法学セミナー』1970年1~2月号。
相沢尚夫「日本無政府共産党事件-わが回想-」、『構造』1970年7~8月号。
森長英三郎『史談裁判』1966~72年、日本評論社。
小松隆二『企業別組合の生成』1971年、お茶の水書房。
小松隆二「日本労働組合総連合運動をめぐって-アナ・ボル論争の意味するもの-」、『三田学会雑誌』1972年4~5月号。
4 論説・著作・全集
『幸徳秋水全集」全9巻、別巻2、1968~72年、明治文献。
『大杉栄全集』全10巻、うち一巻は『伊藤野枝全集』1925~26年、同刊行会。なお、1963年、世界文庫より復刻された。
『大杉栄全集』全14巻、1963~65年、現代思潮社。
『伊藤野枝全集」全2冊、1970年、学芸書林。
石川三四郎「農民の新社会」1927年、平等社。
石川三四郎「無政府主義とサンジカリズム」1927年、共学社。
八太舟三「サンジカリズムの検討」1927年、社会生理研究所。
八太舟三『無政府共産主義-遺稿集-』1971年、黒色戦線社。
岩佐作太郎「労働運動と大衆」1925年、未来と青年社。
岩佐作太郎「無政府主義者は斯く答ふ」1930年、地底社。なお、本書は数回にわたって復刻されている。
岩佐作太郎『革命断想』1958年、日本アナキストクラブ。
添田晋「農民へ訴う」1931年、黒色戦線社。
松田道雄『アナーキズム」1963年、筑摩書房。
5 そのほか
「アナーキズム文献出版年鑑」1928年、社会評論社。
『竜谷評論』第二号、1968年5月。「特集・アナキズム」として文献解題などを収録。
萩原晋太郎編「アナーキズム運動年表」1970年、リベルテールの会。
「叛逆者の牢獄手記」1928年、行動者出版部。なお、1971年、黒色戦線社より復刻された。
河合康左右「英雄論-或る無期囚の手紙-」1928年、河合遺稿刊行会。
秋山清「アナキストの文学」1970年、麦社。
*参考文献は主要なものにかぎった。文学作品は採録しなかった。
**『』は単行本ないしは雑誌名を示し、「」は論文ないしはパンフレット(100ぺージ以内)を示す。
***本書には、著者の旧稿・旧著をそのまま利用した部分がある。