日本番外地の群像-リバータリアンと解放幻想 編著者 玉川信明 

198911月 社会評論社

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まえがき-世に隠れなき“少数者(もの)”

 本書に登場する大正期の哲人文士(サージエスト)辻潤は、大衆との間に深いつながりをもっていた。大衆的でしかありえない自己というものを持っていた人物である。みずからはニーチェの“超人”に対するに“低人教”の信徒と称し、相手の主義、人格、才能、美醜、貧富のいかんにかかわらず交際し、職人、役者、売春婦、相場師その他なんでもござれで交わった。その辻潤が他方では、大衆について心底から嘆き悲しんでいるところがあった。ことに辻潤らが大正期、ただ己れに忠実に生きようとしただけで、あるいは支配者が要求し、保護する世間の常識なるものに逆らったがゆえに、世間によって袋叩き同然の目にあわされた際には、大衆を指して「低能無知下劣浅薄不作法の民衆野郎!」とイカリ心頭に発していた。
 こうした辻潤の世界を窺うに、実際には彼が訳して、妻の伊藤野枝の名前で発表しているアメリカの著名な女流アナーキスト、エマ・ゴールドマンの「少数者と多数者」という文章がある。その趣旨を簡単にいうと-
 現代とは決定的に量の時代であり、質が問題にならない時代である。多数者の精神がいたるところを占領して、質を破壊している。多数者は理性を働かせず、ドルを神とし、独創と道徳的勇気に欠け、常にその運命を他人に委ねる。責任に立ち向かうことができない。しかもそれにとどまらず、新しい真理の先駆者である少数者に対し、反対し告発し追い回す。その意味では世論は絶大な暴言であり、現在は個人と少数者の時代だとされながら事実はまったくその逆の時代である。大衆と反対に常に高い精神を抱いて目覚めている者は、少数者である。いつ、どの時期においても少数者のみが、偉大な理想、自由解放の旗手の位置にあった。-
 かつてこの文を読んだ私は深い共感の念を覚えたものであるが、これとほとんど同じ意味のことを、やはり本書に登場する松尾邦之助が、生前私への書簡で語っている。「多数者は絶えず間違っている、少数者に栄光あれ」、もっと徹底しては「集団の倫理はその集団にしか通用しないが、個人の倫理は個人なるがゆえに全人類の倫理に通じる」。
 その意味では、披らは一様に徹底した野人でありながら……むしろ大衆志向の保守的ともいえる人格ですらありながら、単なる“人民主義者”ではなかったことになる。
 振り返って現代も同じ現象にある――というよりは、ますますその真実性が実証されている時代であると思われる。現代は大衆時代であると同時に、豚衆(とんしゅう)の時代である。この豚衆と豚衆文化を知識人は民主主義の名において無自覚的に容認し、ノンを唱えることを恐れている。その理由は、ひとえにかつての大衆批判者のようには大衆的でありえないがためであろうが、今まさに必要なのは、これら勇気ある少数者ではあるまいか?
 特異な個性としての、あるいは探究と創造者としての少数者が、今日ほど求められている時期はなかろう。
 現代は戦前をも含めて、あらゆる思想哲学の効用性がためしつくされた時代であり、いわば虚無の時代である。戦後来のあらゆる価値観はひっぺがされ、ただいたずらに間延びのした裸形の生活の残骸のみが横たわっている。かの宮崎勤の幼女の連続殺人事件にも、私はそうした腐敗した現代の写し絵を見ざるをえない。
 この状況にどう対処するのか?すでにそうした問いも虚しく宙に吸い取られていくような現状ではあるが、あえてそのように問い直せば、すでに過ぎ去った歴史に説明と教訓を求めるよりいたしかたないのではなかろうか?多分そうした思いを込めて、こうした双書の企画がなされているのであろうが、ことに日本では、時代を大正の思潮にまで遡れば、現代にも通じる、さまざまな暗示と展望がほの見える時代といえる。
 そこには辻潤のような、身はポロに包まれていようと心は錦(にしき)よ、といった徹底した哲学と粗野なエネルギーに満ちた世界があった。私はこのような一群の少数の人々を、“リバータリアン”と呼ぶ。
 リバータリアンは、通俗に言って、自己解放の苦渋に生きるアナーキイな一群の人々のことを指す。リバータリアンは、アナーキイな心情の持主なるがゆえに時代から外れた奇人変人のようにみえるかもしれない。しかしその実態が、ただ大衆にとって縁が薄いか、さもなければ大衆が求めようとしない真実探究の徒であったというだけで、変人奇人呼ばわりされるのであれば、何をか言わんやである。彼らこそ天に選ばれし人々なのだ。(玉川信明)

第1部 世情の幻灯師-詩人・文士篇

イノチガケでなければ芸術ではない(*稲垣足穂*金子光晴*田中英光*坂口安吾)
不良少年がピカピカ光っていた(*今東光*サトウ ハチロー*菊岡久利*萩原恭次郎)
心優しき詩人は世俗に手を振る(*高橋新吉*萩原朔太郎*生田春月*武田麟太郎*宮嶋資夫)
いま罵辞毒舌がおもしろい(*草野心平*田中小実昌×稲垣足穂×金子光晴**武林無想庵*大泉黒石*林芙美子)

2部 永遠の妖言師-エッセイスト・思想家篇

東西両陣営がSEXをいじめる(*平野威馬雄*阿部定×坂口安吉*埴谷雄高×高橋鐵×深沢七郎)
ニヒリズム、よく人を走らす(*深沢七郎*辻潤*小野庵保蔵*新居格*市橋善之助)
君もアフランシになりたまえ(*西村伊作*松尾邦之助*植村諦他*自由クラブ異人)
では、おれの実践方策を授けよう(*太田典礼×森敦*富士正晴*ト部哲次郎×辻潤*武者小路実篤)

3部 時代の舞踏師-芸術家・探究者篇

監獄はおれの遊園地だった(*梅原北明*小生夢坊×梅原北明×中戸川薫明×尾高三郎×花房四郎*石井漠*山崎今朝彌)
なぜか浅草には奇人が多い(*宮田文子*添田知道*貌与太平(古海卓二)*岡本一平*竹久夢二
強権に唾する者、セクソロジスト(*伊藤晴雨*高橋鐡*小倉清三郎・ミチヨ*山本宣治)
善き人、善き社会をつくる(*高田保*斎藤昌三*中西悟堂*西田天香*山下清)

4部 オマケ

明治の気骨ある番外地(*中里介山*斎藤緑雨*川上音二郎*宮崎滔天*中江兆民)
番外地の番外地「半世紀畸人伝」
付=リバータリアン系主要雑誌目次
番外地人物関係年表

解説-番外地人物の時代と思想の背景を講開する 玉川信明

参考ブックガイド