日本史を彩る道教の謎-日本の習俗・信仰に潜む中国道教の痕跡 著者 高橋 徹  千田 稔  

日本文芸社  19911020日発行 力バー・デザイン 吉田 類 図版制作 天馬夢麿 写真提供 朝日新聞社・高橋徹・千田稔・符川寛・松田常子 ISBN4-537-02222-1 C-0015

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日本史を彩る道教の謎【目次

まえがき-日本文化に投影する道教の影響

 中国固有の信仰、道教についての関心がわが国でも高まり出した。海外旅行にひんぱんに出かけるようになり、日本人が道教寺院を見学する機会が増えたことも原因のひとつであろう。台湾はもちろん、東南アジアの国々の中国人街にある道教寺院はどこもにぎわっており、文化大革命で弾圧され一度は姿を消した中国本土の道教寺院も、再建がはじまり観光地になりだしたからだ。
 中国の歴史をひもといてみると気づくが、道教は権力者から民衆まで幅広く支持され、風俗習慣に与えた影響は極めて大きい。中国文化を考えるうえで、この信仰を支えた宗教哲学、つまり道教思想を抜きに語ることはできない。
 従来は土俗信仰として軽視されてきたこの宗教思想に対して、近年のわが国では研究が深まっている。われわれの知る限り、かつて宗教を排斥した中国本土よりも進んでいると思う。ただ残念ながら、道教の日本文化への影響に関しては、民間レベルの限られたものだったという、戦前の研究者たちの発想といまだに大差はないようだ。その点、天皇家を中心とした中央文化にも大きな影響を及ぼしたとみるわれわれとの間に格差がある。
 わが国は近代になって西洋から文物を学ぶようになるまで、中国から多くのものを受け入れた。朝鮮半島から伝わったものの多くも、また中国起源のものだった。仏教や儒教の伝来が日本文化へ及ぼした影響は、計り知れないものがあることはよく知られる。
 それなのになぜか、道教思想の影響はほとんどなかった、といわれてきた。いや戦前はむしろ意図的にそう考えようとした節もある。天皇の名称の起源にもかかわるからである。それについては本文中でも紹介したので、ここではこれ以上ふれない。それはともかく孔子の教えの儒教や釈迦の教えの仏教と違って、土俗信仰を基本にしたものであることから「道教とは何か」を一口でいうことは難しい。学者によっても違いがある。われわれが道教をどうとらえているかについては、これも本文中で書いたのでそれを読んでいただきたい。
 日本には神道の名前で知られる固有の宗教がある。仏教も日本独自の展開をし、儒教の教えも暮らしの中に染み込んでいる。現在のわたくしたち日本人の生活空間の中には、仏教も儒教も神道もそしてキリスト教も含め、まさに「八百万の神々」が仲良く共存しているのである。単に共存しているのではなく、お互いに影響を与えあって、例えば同じ仏教でも他の国と違う日本仏教といわれるものが生まれてきたのである。神道に対してさえも、他の宗教からの影響を否定することは難しい。
 同じことは中国でもいえる。日本と違って、異教の排斥・対立が厳しい時代があったとはいえ、仏教と道教の間では、お互いに大きな影響を与え合ってきた。まず、インドから中国に伝わった仏教経典を翻訳するさい、人々に分かり易くするために土俗の宗教用語を借りており、この段階ですでに中国独自の仏教が生まれているのである。
 このことを考えただけでも、わが国に道教の影響はなかったということの無意味さは理解できるだろう。まして、古代国家の基礎を固めるため、中国から積極的に学ぼうとして遣唐船を繰り出したころの唐王朝では、道教は国教にも等しい扱いを受けていたのである。日本文化を正しく知るためにも、道教思想の影響を見直す時期が来ているのではなかろうか。高橋徹 千田稔 

 (プロローグ)現代に生きている道教のこころ

道教は中国固有の土俗信仰/不老長寿と現世利益が柱/組織化されたのは3世紀/大祓より大事だった道教の神への祈願/影響がはっきり見えるのは古代文化/道教は唐代の王室の宗教だった/天皇の四方拝は道教儀礼?/教えよりも実践の宗教
●【道教経典および道教と関連する書物】(注 本書に登場する書物のみ紹介)
☆『山海経(せんがいきよう)』-中国最古(前五世紀)の地理書で、神・仙人・謎の生物を記す
☆『史記』「封禅書(ほうぜんしょ)」-前漢の司馬遷が紀元前一世紀に著作。始皇帝の封禅を記す。
☆『列仙伝』-劉向(りゆうきよう)が前漢末(前一世紀)に編んだとされる。72人の仙人を紹介。
☆『漢書』「郊祀志(こうしし)」-後漢の班固(はんこ)が一世紀に完成。武帝と仙道の関係を記す。
☆『老子』-老子の言行録。原本は『老子道徳経』で注釈書が『老子想爾注(そうじちゆう)』。完成は三世紀か。
☆『抱朴子(ほうぼくし)』-東晋の葛洪(かつこう)が317年に完成させた、仙人になるための方法。
☆『神仙伝』-葛洪の著。『抱朴子』と同じ頃に完成。多数の仙人を紹介。
☆『捜神記(そうじんき)』-東晋の頃(四世紀半ば)に干宝が著作。河伯などの神様を記す。
☆『洞淵神呪経』-五世紀に書かれた六朝時代の道教経典。「五色」について言及。
☆『真誥(しんこう)』-陶弘景(とうこうけい)が著わした六世紀の道教経典。「よみがえり」について言及。
☆『神農本草経』-陶弘景が六世紀に復元した医術の本。仙薬を紹介。
☆『荊楚歳時記』-江南の六世紀ごろの風俗を紹介。
☆『赤松子(せきしようし)章暦』-漢代以来の章(天帝への祈願文)を六世紀に分類して編さん。
☆『雲笈七籤(うんきゆうしちせん)』-宋の張君房が十一世紀に編集した、道教教理の百科全書。百二十巻。
☆『太上感応篇(たいじようかんのうへん)』-宋の李石が十二世紀に書いた民衆のための道教経典。
☆『功過格(こうかかく)』-実践道徳の手引書で積善をすすめる。十八世紀に注釈書が完成。
(マップ)日本の道教遺跡
●道教と関連する、日本のまつり

1章 古代遣跡の出土品の中に道教を発掘する

*渡来した道教思想も、時代が下がるほどさまざまなものと混淆して、どれがそうであるか見分けが難しくなっている。その点、古代や中世はまだ生の形で、移入した道教思想の内容がよりわけられる。出土品の中にはいい手がかりとなるものが少なくない。
1「絵馬」は"いけにえ"の代用品として日本で誕生した
漢神信仰では本物の馬を殺したが、日本では禁止
本来はいけにえとして生馬を殺した/平城京跡から最古の絵馬が出土/絵馬を門前にぶら下げ、疫病神の退散を願った?/馬をささげたのは漢神信仰に由来?/絵馬は中央の貴族たちが始めた信仰
2 古代遺跡で出土するヒョウタンは道教思想の流入を示す
ヒョウタンは神仙世界のシンボルで、魔よけだった
遺跡から魔よけのモモと共に、ヒョウタンが出土/ヒョウタンは神仙境をあらわす/ヒョウタンは魔よけ・縁起かつぎ
3 平城京跡で出土した最古の山水画に"楼観"、日本の"道教寺院"か?
「楼閣山水之図」は模写か、それとも写生なのか
長屋王邸跡北側の溝跡に遠近法を用いた墨画/「楼閣山水之図」のモチーフは道教寺院/道教では、神仙に出会うために“楼観”を築いた/阿刀酒主は、聖武天皇の愛用品を“模写”したのか?/「楼閣山水之図」は日本の道教寺院の“写生”の可能性も
4 大峯山で出土した鏡像に「蔵王権現」が毛彫りされた背景
魔物の正体を見破る鏡信仰は道教起源
金むくの仏像以外にも和鏡が出土した大峯山/蔵王権現は大峯山の神/山に登るには“護身具”として鏡が必要/役の行者は金峯山信仰の開祖
5「嶋宮」跡で最古の日本庭園が出土、その池に道教の影響
蘇我馬子は嶋宮に三神山を浮かべた池を造った?
嶋宮は「嶋の大臣」ゆかりの地/嶋宮跡で最古の日本庭園が出土/池を海にみたてて、神仙の住む島を築いていた/新羅の雁鴨池には三神山があった/「嶋宮」の名は、池に特異な島が造られたことに由来
6 阿武山古墳の被葬者は"仙薬"を飲んでいた!
毛髪からヒ素を検出、仙薬を飲めたのは貴人、やはり藤原鎌足か?
阿武山古墳に眠る貴人はヒ素を飲んでいた/「大識冠」の発見!X線写真とコンピューターの成果/PIXE分析の成果、毛髪にヒ素を検出/被葬者がヒ素を服用していたことは確定的/道教ではヒ素は“仙薬”だった/仙薬を飲めたのは高貴な人物、強まる鎌足説
7 鳥土塚古墳出土の大刀の象眼に発見された"北斗信仰"
大刀に象眼された星形模様は、戦勝祈願のマークで道教思想
稲荷山古墳の鉄剣銘以後、X線撮影が盛んに/X線で、大刀に星形模様の「連弧輪状文」を発見/七星の象眼は、北斗信仰に由来
8「胞衣(えな)納め」に銭や筆と墨を入れるのは道教思想
銭や筆と墨に、土地神と司命神へのせつない願いがこめられている
各地にある有名人の胞衣塚/銭だけでなく筆や墨も入れた/“銭”はカゲロウの多産にあやかるものというのが通説だが・・・/“銭”を壺に納めるのは、土地神に対する申し開き/“筆”と“墨”は、司命録の書き換えをよろしく、という呪術

2章 日常生活の中に道教を発掘する

*日々の暮らしの中で繰り返す習俗について、普通はそれが日本固有文化とか渡来文化とか、とりたてて考えることはしない。
9「孫の手」のルーツは「麻姑(マコ)の手」
女仙人・麻姑(マコ)の手には、鳥のような爪があった!
孫の手、実は麻姑(マコ)の手/按摩は、もともと道教の健康法
10「てるてる坊主」の起源は中国の習俗「掃晴娘」
掃晴娘(サオチンニャン)は、天帝への祈願のための人形(ひとがた)
童謡「てるてる坊主」はなぜ歌い継がれるのか/江戸時代に紹介された、中国の習俗「掃晴娘」/人形を使用する祈願は道教信仰
11 護符(お守り)は中国の江南から伝わった
道教経典『抱朴子』が護符の効用を記している
現在最古の護符は、四天王寺の懸守(かけまもり)/護符の効用を書いた古典が『抱朴子』/護符には飲み込むものがある
12「山開き」の神事の起源は中国の道教思想
入山の目的は「不老長寿」だった
「山開き」の神事があるのは、修験道の行場/「山開き」と「海開き」の思想背景はどう違う?/「山開き」のある山は、かつての修験道の行場
13 墨と筆による「書道」は老荘思想「玄」につながる
書道は、天地自然の真実を表現する芸術
書は、神のメッセージである/墨の色こそ、「玄」の深み
14「還暦」の赤い着衣、その起源は道教の「よみがえり」信仰
道教経典『真誥』は、生まれかわりと朱を関連づけている
60歳ではなく、数え61だから祝う/祝うのは、元に戻る(よみがえる)から/道教世界では、よみがえりの色は/赤のちゃんちゃんこは、文人のアイデアか
15 刺身にキクの花を添えるのは単なる飾りではない
キクは仙薬であり、生魚の腐敗を防ぐ
日本文化とキクの関係/キクは中国では不老長寿の仙薬だった
16「五色」が聖なる色になったのは仏教起源ではない
道教が、儒教の思想を借りて「五色」を一般化
「五色」は“仏教”の聖なる色と思われているが・・・/「五色」の初出文献は『書経』/道教経典によれば、千年を経た亀は五色/道教寺院は“五色”であふれていた
17 河童(カッパ)の正体は道教の「河伯」?
中国の“河の神様”である「河伯」がカッパになった
カッパの語源を探ってみると・・・/中国の史書に登場する河伯伝説/日本の史書にも「河伯」が登場している
18「一日一善」-そのルーツは道教の積善思想
積善は、不老長寿である神仙への道
積善の功を重視したのは、儒教よりも道教/積善により不老長寿の神仙になれる
19 "金粉"入りのお神酒と"金杯"-そのルーツの秘密
不老長寿をめざす金丹信仰が背後にある
道教では最高の仙薬は金丹/神仙になるために、金を酒に浸す/金杯の酒も金丹信仰の影響か
20「ツルは千年、カメは万年」のルーツになった道教
道教では、ツルとカメは長寿のシンボル
中国ではツルは仙禽、ツルになった仙人の話/道教経典では、カメも長生のシンボル/日本の古代史における、ツルとカメの概念

3章 年中行事の中に道教を発掘する

*暮らしのケジメ、区切りとなる年中行事は、もともと宮中で行われていたものがやがて、民間へと広まったものが意外に多い。その宮中の行事は中国を手本にしていた。古代日本がもっとも影響を受けたのは李王家の建てた唐王朝だが、王家の宗教こそ道教だった。
21 天神さんの「なで牛」のルーツは迎春土牛(春牛)の信仰
古代の中国では、「春牛」や「土牛」で豊作を祈願していた
「なで牛」のルーツは「春牛」や「芒神」/「春牛」と「芒神」は農耕豊饒を祈願した中国の民俗行事/伊勢神宮別院のも「土牛」に似た信仰がある/彩色土牛のルーツは、神へのいけにえか/農耕の神「雷神」→天神さんの「なで牛」
22「お屠蘇」のルーツは中国の仙薬、「七草がゆ」も道教ゆかりの食物
千数百年前の中国江南の習俗が、現代の日本に残っている
「お屠蘇」はなぜ縁起物なのか/屠蘇は6世紀の『荊楚歳時記』に記載されている/日本ではいつから屠蘇を飲み始めたのか/「七草がゆ」も道教思想の産物
23 羽根つきの敗者に墨を塗る、その起源は道教の「塗炭斎」
羽子板は胡鬼板、墨を塗るのは神への贖罪
なぜ負けると墨を塗るのか/墨塗り行事は、日本の各地にある/弥生時代の道教では、贖罪に墨を塗っていた/胡鬼板(羽子板)と塗炭斎が合体した
24「小豆粥」を食べるのは、疫鬼を払うという道教思想
豆は強い生命力のシンボルで、赤い色は「よみがえり」
なぜ冬至と正月に「小豆粥」を食べるのか/6世紀の中国では、正月ではなく冬至に食べていた/鬼は生命力の強いもの(豆)を恐れる
25「トンド」や「左義長」のルーツは中国の「爆竹」
平安時代「三毬杖」と呼ばれた「左義長」は、辟邪の手法
「トンド」の名称は、青竹が破裂する音に由来/「爆竹」は、中国人の暮らしに欠かせないもの/「爆竹」を記す最古の文献は『荊楚歳時記』/「三毬杖」が「左義長」になった理由/左義長とは、左の義、長(まされ)り?/三毬杖と羽子板は、胡鬼退治が目的
26 禊(みそぎ)は日本起源ではなく中国起源の信仰
☆33日の「はまおり」や「曲水の宴」のルーツは、中国の禊祓
3月に浜辺でごちそうを食べる行事-「なぐさみ」/沖縄で盛んな神事-「はまおり」/「みそぎ」は日本固有の信仰ではない/33日の「みそぎ」は、道教思想の産物/中国の「禊」が、遅くとも奈良時代には日本に伝来/春の禊は、朝鮮半島にも伝わっていた
27「端午の節句」のルーツは中国古来の辟邪・辟病の信仰
意外な起源-ヨモギ人形・ショウブ酒・鍾馗・コイノボリ
6世紀には登場していた、ヨモギ人形やショウブ酒/ヨモギやショウブは仙薬/鍾馗を神様にした人物は、道士皇帝・玄帝/チマキは、江南の少数民族の日常食だった/コイノボリは、「昇り旗」の変形
28「七夕」は道教の西王母信仰から生まれた
☆“五色の短冊に書かれた願いを燃やすのはなぜ?
77日には、天の神が願いを聞いてくれる/宮中の行事「乞巧奠(きこうてん)」が変化して「七夕」に/乞巧奠は西王母信仰から生まれた/願い事を書いた紙を燃やす時の“煙”が天界と人界の仲立ち/
29 御中元のルーツ-道教によれば「中元」は贖罪の日
「中元」は仏教と習合して「先祖供養日」となり、やがて「贈り物」に
「中元」の原義は、時節の三つの節目の一つ/715日は「地の神」へ祈願する日/いつから「中元」の贈り物が始まったのか
30「虫送り」でわら人形を燃やすのは道教の呪術
「虫送り」のルーツは、中国の「魃神」(ひでりの神)を北に送る行事か
行事「虫送り」の目的は、害虫退治/儀式の最後にわら人形を燃やすのは悪霊を消すため/中国では「旱魃の神」を北に送る行事があった/わら人形は“悪霊の象徴”
31「オケラ参り」は仙薬信仰から生まれた
『抱朴子』がオケラを仙薬として紹介、天武天皇も服用した
京都の風物詩「オケラ参り」とは何か/「オケラ火」は個人の幸せに結びつく“浄火”/オケラは仙薬、天武天皇も飲んだ

4章 信仰心の中に道教を発掘する

*多くの日本人は「軽い気持ち」で神だのみすることが少なくない。「イワシの頭も信心から」と茶化されるように、みんながするからしておこうという程度の信仰である。だからこそ八百万の神も健在で、さまざまな信仰が残っているのである。
32 渡来が公認されている道教-「庚申信仰」の由来
庚申の日、「三尸(さんし)の虫」が天帝に告げ口する!
「庚申信仰」とは、夜を徹して語り明かす習俗/体に住みつく「三尸の虫」を退治するのが目的/「守庚申」の隆盛は“骨休み”できるため
33「荒神さん」のルーツは中国の竈神(かまどかみ)信仰
荒神さんは道教起源、かまどの神は、天帝に告げ口をする!
かまどを汚したり、その前で悪口を言うな/中世以後に盛んになった荒神信仰の根は古い/竈神(かまどかみ)は天帝の使い
34「茅の輪くぐり」のルーツは蘇民将来伝説だけではない
江南道教の聖地が、チガヤの山(茅山)であることに関連する?
なぜ夏の前に「チガヤの輪くぐり」をするのか/「茅の輪くぐり」の起源は蘇民将来伝説?/チガヤの根茎は薬、チガヤを重視した江南道教
35「修験道」は誰もが認める日本版の道教
道教である根拠-入山の呪文「九字」と鏡と霊符
修験道は“中国・道教の海外流伝”/修験道では、鏡をお守りにして入山する/修験道の生みの親、役(えん)の小角(おず)は道教の「神仙」
36「七夜の祝い」の謎なぜ-便所神が産神・招福の神なのか
中国に多い招福の便所神、紫姑神と老子の接点とは?
「七夜の祝い」では、便所の神に誕生を報告する/なぜ便所に入る時に「ごめんなさい」と声をかけるのか/中国の厠神・紫姑神の死装束は“紫”/道教の最高神である老子は紫の衣を着ていた
37「船霊さま」のルーツは媽祖(航海の神)信仰
船霊さまが“処女”である謎を解く
船霊の御神体がなぜ女の毛髪なのか/従来の説では、船霊さまの“奉仕者”が女性/10世紀に登場した中国の「航海の神」が媽祖/処女にこだわる船霊さま、そのルーツは媽祖信仰
38「鬼門」信仰は日本で発達した道教思想
東北は鬼門、平安京の鬼門にあたる比叡山の役割は重要
現在もある鬼門信仰-大阪のケース/家相への影響は今も根強い/鬼門は中国・戦国時代以前の方位思想/日本では鬼門信仰が盛んになるのは院政時代から/鬼門信仰と祇園信仰とは裏腹の関係/院政期の都人は、比叡山に鬼が住むと思っていた
39 歪曲された道教-日本の女性差別思想が生んだ迷信「丙午(ひのえうま)」
中国では「丙午」とは「勢いが盛んで鍛治作業に適した時」
社会問題化した迷信-「ひのえうま」/本来の「丙午」は単なるナンバーにすぎなかった/「丙午の日」は、火の勢いが盛んで、鍛治作業に適した日/「丙午」の迷信が日本で生まれた理由/明治の女性差別の思想が迷信を広めた
40「福徳さん」のルーツは中国・江南の「福徳正神」か
「土公神」は中国の土地神の変容したもの
福徳神は、土地の守り神/福徳神は、中国の江南の神様/土地神もいろいろ、中国の「城喤神」と日本の「土公神」
41 四神と天地の神へ願う「四方拝」のルーツは中国の道教
道教ではあらゆる儀礼の際に行う「四方拝」、皇極天皇が宮廷行事化
「四方拝」は宮中行事が一般化したもの/もともとは“中国の儀礼”だった/「四方拝」の記録の最古は、皇極天皇時代

5章 神社仏閣の中に道教を発掘する

*神社には日本古来の神々、寺院には仏さまがいらっしゃる。これまでだれもがそう信じて疑わなかった。しかし、その戸籍調べをしていくと、中国の神さま、それも土俗信仰の中から生まれた神さまが意外にたくさん渡来していることがわかってくる。
42「八幡大神」は道教の最高神である「玉皇大帝」
聖武・称徳天皇が広めた「八幡神」、その遠源はある人物の戦略
「八幡神」はなぜ「もっとも普及した神さま」なのか/皇位を狙った道鏡の事件で有名になった「八幡神」/聖武・称徳の父・娘天皇時代に、地方神から全国神に/託宣を受けた大神比義は「仙翁」/八幡の遠源は諸葛孔明の戦闘隊形!
43 金持ち祈願を託す「鎮宅さん」、そのルーツは北辰・北斗信仰
「鎮宅さん」は秀吉の栄華により広まり、やがて「金儲けの神」に変質
爆発的に広まったのは江戸初期/ミナミの恵比寿、ヒガシの大黒(鎮宅)/鎮宅神のルーツは北辰・北斗信仰/秀吉の栄華が、鎮宅神を金儲けの神にした?/「鎮宅さん」をひそかに祈願する理由
44 円仁がもち帰った「赤山神」が金儲けの神になった事情
赤山禅院の本尊「赤山神」は、全能神である泰山府君(東岳大帝)
『源平盛衰記』によれば、赤山明神は泰山府君/赤山神は、古代中国では“財神”だった/赤山神=泰山府君、金儲けの神は最高神
45 祇園信仰の「牛頭天王(ごずてんのう)」は天刑星よりの使者で道教の神
インドの祇園精舎と中国の星信仰と日本のスサノオノ命の融合
複雑な歴史を辿った「牛頭天王」信仰/日本で牛頭天王を祭ったのは吉備真備(きびのまきび)/蘇民将来と牛頭天王とスサノウノ命の関係/「牛頭天王」は、命を司る天刑星よりの使者
46「七福神」は道教の「八仙信仰」のパロディ版だった
戦乱の室町時代に都の文人が考案し、貧しい民衆が求めた「福の神」
なぜ室町時代に「七福神」が成立したのか/七福神霊場めぐりは、現世利益を求めた信仰/「七難七福」の思想背景/福禄寿、寿老人は寿星で、道教の神様/道教の「八仙」が「七福神」になった
47「赤城山」は道教の伝説に登場する山の名前に由来
赤城山に現れる神の化身・ムカデは、江南道教では呪術具だった
赤城山は死霊の集まる山/霊魂の集まる山の代表は、中国の泰山/赤城山の神は道教信仰と無縁ではない/赤城の神は、なぜムカデの姿で現れるのか/江南道教ではムカデを大事にしていた/「赤城」の名は、道教伝説の山の名前に由来/赤城山の「から社」は、渡来系神社で、道教思想に関係している
48 現世利益をもたらす「観音さま」、中国では「道教の神」扱い
陶弘景の愛読書だった『観音経』は、仏教的というより道教的
「南無観世音大菩薩」という唱名は、道教の呪文がわり/『観音経』は道教の最高指導者の愛読書/『観音経』の日本での初見は天武天皇の病気平癒
49「大将軍」のルーツは方角をつかさどる「金星の神」
道教では太白星(金星)の方位で吉凶を占った
なぜか古代の宮の“北西”にまつられた「大将軍社」/大将軍とは、方角の神である金星(太白星)のこと/大将軍のいる方角を犯してはならない
50 兵主(ひょうず)神社のルーツは中国・山東半島の神
秦氏の祖先・弓月の君がもたらした「蚩尤(しゆう)」が、兵主神社の神になった?
兵主神社の神は秦氏の祖先がもたらした?/兵主(蚩尤)は山東半島の八神の一つ/道教的な射楯兵主(いたてひょうず)神社の祭事/藤ノ木古墳出土の鞍の文様に兵主が彫られている
51 石上神宮の「フツの神」は日本起源ではなく道教に由来り?
尸解仙(しかいせん)を示す伝承もあり、石上神宮近くの遺跡から道教信仰の出土品
フツの神は神武天皇伝説に由来しているが・・・/尸解仙の如く昇天したフツの神/布留遺跡で馬の歯が多数出土、道教信仰か
52 薬問屋の守り神「神農さん」がスクナヒコナと合祀される理由
「神農さん」は中国の開国神話、三皇五帝のひとり・「常世」にいったスクナヒコ
「神農さん」の本当の名前は少彦名(すくなひこな)神社/「神農さん」の繁栄のきっかけは、吉宗の病気治癒/少彦名神を安永9年に勧請/少彦名神の背景に道教思想がある

6章 文化遺産の中に道教を発掘する

*古典の中には、道教の中核となった不老長寿につながる神仙思想にもとづく描写のあるものは少なくない。「文学表現上のあや」。それがこれまでの通説だった。しかし、ストーリーそのものが神仙思想の上に立っていると、「言葉のあや」で片付けるのは苦しい。今に伝えられたこうした文化遺産の中には、道教思想にもとづいて見直すと理解できるものがいくらでもある。
53「天皇」の称号は道教の神さま「天皇大帝」に由来
「天皇大帝」は“北極星”を神格化した雨中の最高神
津田左右吉は、単に名前を借りただけと主張/紀元三世紀頃、北極星が神格化して「天皇大帝」が登場/唐代ごろ、天皇大帝は“東を治める神”に降格/道教信者である唐の高宗は「天皇」と名乗った/
54 皇位の璽である「三種の神器」-元々は鏡と剣の二種
道教では、鏡と剣は霊力を持ち、天上の帝王の権威のシンボル
「二種の神器」に玉を加えて「三種の神器」に/記紀が語る、鏡と剣の由来/道教では鏡と剣は何のシンボルか?/
55『万葉集』に影響を与えた『遊仙窟』と『抱朴子』
大伴旅人と山上憶良は、神仙思想を理解していた
日本文学の発生期に影響を与えた『遊仙窟』/『遊仙窟』は神仙世界の物語/大伴旅人も神仙思想を理解していた/『抱朴子』を下敷きにしていた、山上憶良の「沈痾自哀(ちんあじあい)の文」/道教は字句だけでなく、その思想も日本に伝来していた
56 かぐや姫や羽衣伝説は道教を下敷きにしている
道教では、天界の神は青い羽衣を着ている
「不死」の薬を燃やした富士山/『万葉集』に登場する竹取の翁/羽衣伝説は道教に由来する
57『桃太郎』は桃の呪力を前提にした日本の物語-背景に道教思想
古墳に桃の種を入れたのは、道教思想か
わが国の代表的な昔ばなし-「桃太郎」/「桃太郎」の研究論文は多い/記紀神話に登場する桃の威力/「桃太郎」は現世利益の物語、つまり道教思想
58「浦島伝説」は中国の神仙世界の旅行記を下敷きにした
中国・洞庭湖付近の伝説が、海人族とともに日本に渡来した
浦島のでかけた先は常世/原・浦島伝説は、中国の洞庭湖付近が舞台/海人族が日本に運んだ、神仙世界の説話
59 京都の奇祭「牛祭り」は漢神信仰と摩多羅神の習合
漢神信仰では牛をいけにえにし、摩多羅神は道教の神さまだった
なぜ「牛祭り」は夜の行事なのか?/円仁が伝えた、人の肝を食う神・摩多羅神/牛をいけにえとする漢神の祭りと、摩多羅神信仰の習合
60 正倉院・青斑石龞合子(せいはんせきべつのごうす)の北斗七星は道教の「天帝」のシンボル
道教思想では、スッポンの腹の八角形は全宇宙、北斗七星は人の生死を司る天の神
1989年の正倉院展で初公開/金泥と銀泥で描かれた北斗七星/スッポン形の容器に描かれたデザインは道教思想に基づく/北斗七星は天帝のシンボル/スッポンの身の八角形も道教思想を暗示

7章 呪術の中に道教を発掘する

*呪術は道教が得意とする分野である。わが国にも実にさまざまな呪術があるが、北方シャーマン系のもの、仏教系のも、日本古来のものの以外に、道教呪術をどんなにとりいれていたのかを再確認すべき時代になったようだ。
61 海女が"魔よけ"にしているセーマン(晴明桔梗印)、そのルーツは"北斗信仰"
海女の五芒星は、陰陽道を大成した安倍晴明が考案
セーマン=晴明桔梗印と呼ばれる、海女の五芒星/海女は呪文の9字=ドーマンも使用/軍隊の階級章も道教思想?
62「忌中」の張紙のルーツは「物忌札」、中世に道教呪文が加えられた事情
中世に変質した物忌札、その呪文の意味は「悲しみよサヨウナラ、幸せよコンニチワ」
古代では「忌中」ではなく「物忌」の二文字だけを使用/中世から変化した、物忌札の目的/物忌札に書かれていた“道教の呪符”
63 沖縄の「ヒンプン」と伊勢神宮の「蕃塀」は道教思想の"魔よけ"
ヒンプンと蕃塀は、直進する悪霊の防波堤となる
「ヒンプン」はなぜ“ついたて状の構造物”なのか/魔物は直進しかできない/のれんは日本版ヒンプンか
64今も残る、万能の呪文「急々如律令」そのルーツを探る
原型は漢代の公文書の末筆文、それを道教がとりいれた
商売繁盛に使われる呪符は、道教の護符/平安時代以後急増した「急々如律令」
65 雷よけの呪語「桑原桑原」-その誕生の背景に道教信仰
武帝の霊符「霹靂(へきれき)霊符」を持っていれば落雷に合わない
なぜ雷が鳴ると「クワバラ、クワバラ」と唱えるのか/江戸初期には登場していた「桑原桑原」/聖樹信仰が「桑原」の元になった/
66「地鎮祭」は「買地券」の思想と同じで道教的な祈願である
しめ縄を張るのは「この範囲よろしく」という土地神への祈願
地鎮祭の祈願-「神さま、工事の安全をお守り下さい」/文献で初出の地鎮祭は藤原京づくり/地鎮祭は「土地神さま、よろしく」の祈願
67「獅子舞い」の獅子は、なぜ歯をガクンガクンとかみあわせるのか?
歯をかみあわせる「叩歯の術」は道教の呪術で、不老長寿の祈願
獅子舞の獅子は、なぜ子供の頭をかむのか/歯固め式は、不老長寿を祈願する呪術/「歯固め」は、子供の食初(くいぞ)め、正月行事にも見られる/正月の歯固めは、道教の呪術
68 最古の「石敢当(せきがんとう)」に"天界"の文字!「石敢当」のルーツは中国の土俗信仰
「石敢当」は中国・戦国時代の勇者の名、だから“魔よけ”になる
沖縄や九州・四国に見られる「石敢当」/「石敢当」は中国から渡来した信仰/現存する最古の石敢当は、12世紀に製作/石敢当とは、戦国時代の勇者の名/仏弟子が残した石敢当だが、道教的信仰/中国の土俗信仰がそのまま日本に伝来
69「丑の刻参り」の小道具である"呪いの人形"は道教思想の産物
呪符木簡からわかる、呪いのこわさ
「人形」は現代にも残る呪いの手段/「呪いの人形」は、丑の刻参りの小道具/『続日本紀』にある「左道」とは道教/古代では、男性も人形を使っていた
70「鬼やらい」の豆は道教の呪術がルーツ、豆を投げる習俗は日本で誕生
豆は鬼毒を殺し疫病を除く。悪鬼を払うのは四つ目の方相氏
「豆まき」の最古の資料は室町時代/「追儺」の主役は方相氏、鬼は脇役/「豆まき」のルーツは、儒教プラス道教/豆の“生命力”に呪力を感じたので、呪術に利用/赤飯は、小豆の呪術と関係する?

あとがき

 本当に日本文化にこんなにも道教思想が浸透しているのだろうか。日常よくみかけられる風俗習慣のうち、従来その起源がよくわからなかったものが、あまりにも簡単に説明できることから、きっとこんな疑問をもたれた方もいることだろう。
 われわれも知人や友人たちから、直接に「君らは何でも道教で解釈する」といささか皮肉を込めて指摘される。実はわれわれだって、日本人の生活文化がすべて道教思想の影響を受けたなどとは、考えていない。渡来文化として最も影響の大きかったのは、仏教であったことを認めるのにやぶさかでない。日本列島に人類が住み初めたのは旧石器時代であり、それ以来今日まで日本特有のあるいは独自の宗教思想が発達したことも間違いないだろう。
 しかし、国家の基礎を造るのに多くのことを学んだお隣の国で、あれほど日々の暮らしに深くかかわった、道教の影響を軽視していいのだろうかというのが、率直な疑問である。道教は、土俗信仰であることから、その思想にはナンセンスなものも少なくない。けれども科学的でないからといって、ばかばかしいと無視すべきではない気がする。なぜなら心の問題を、科学で説明しきれないのは明快だからだ。
 道教は長い歴史をもつ宗教思想であるということを、考慮にいれて置く必要がある。ここしばらくの間われわれは、意図的に日本文化に与えた道教思想の影響は大きかったことを主張し続けようと考えている。
1990年冬著 者