日本の放浪芸 小沢昭一 著  番町書房  197410月初版

口絵/本文(諸國藝能旅鞄) 写真-本橋成一 装本 渡辺千尋  0070-730120-6959

日本の放浪芸 表紙画像

目 次

 現代「放浪芸」の概略

一 祝う芸 万歳さまざま/二 祝う芸 その他の祝福芸/三 説く芸・話す芸 絵解きの系譜/四 説く芸・話す芸 舌耕芸/五 語る芸 盲人の芸/六 語る芸 浪花節の源流/七 商う芸 香具師の芸/八 流す芸 漂泊の芸芸能

2 放浪芸をひとまず訪ね終えて

3 万歳の門付体験記

4 正月の祝い芸と「信仰」

5 諸國藝能旅鞄(ゲイヲタズネテイツタリキタリ)

<わがいとしの河内>の巻/<四国の山で神楽を見た>の巻/<国東に琵琶を聴く>の巻/<秋田万歳に惚れた>の巻/<伊勢大神楽は大繁昌>の巻/<大衆演劇は色気で勝負>の巻

6 舌耕芸 香具師の場合

7 お金に換える芸能

8 節談説教の魅力

9 「日本の放浪芸」始末書

あとがき


現代「放浪芸」の概略について

この稿はビクターレコード、ドキュメント『日本の放浪芸』のナレーションを、補筆訂正したものです。写真(小沢昭一、小川洋三撮影)と、写真説明は同レコードの解説書より摘出、一部加筆しました。レコードにおけるインタビュー、対談の部分は活字に起しませんでした。興味のある方にはレコードを買わせようというあさましいコンタンです。また収録した芸能のすべてにわたって詞書を掲載することが出来ませんでした。しかし、いずれはそういう部分も、そしてレコードに収録されなかったまだまだたくさんのお話も活字でみなさまにご報告しなくてはならぬと思っております。

演者連名(敬称略

門付け万歳(小島富之)/尾張万歳(平松佐一 平松佐吉 小島富之)/三河万歳(岡島鉱三 岡島三之助 坂部秋雄)/会津万歳(飯村武応 飯村栄次)/秋田万歳(松井幸蔵 最上盛次郎 鳥井森鈴)/越前万歳(山田柞 河端嘉作ほか)/加賀万歳(小石喜太夫 大桑木勝男)/伊予万歳(平野修 岡本繁一 清川甚五郎 重松茂)/伊六万歳(加藤竹三郎ほか)/豊後万歳(坂本達美 多田茂利)/人形回し(杉本清 崎武夫妻 篠山宇一郎 山ロ上次郎)/大黒舞(犬伏ヒサエ 赤間政夫 温海御一党 秋山勝治ほか)/お福さん(西川やつ)/ハリコマ(井出下利太郎)/せきそろ(犬伏ヒサエ)
すったら坊主(小山ウメノ)/福俵(野村重一)/春駒(吉野福蔵 深原代蔵)/春田打ち(大山町御一党)/絵解き(小野宏海 清浄光寺 藤嶽敬道 油谷静得 水野民恵)/のぞきからくり(黒田種二ほか)/錦影絵(桂南夫)/紙芝居(鈴木藤六)/立絵(鈴木嘉兵衛)/説教(亀田千巖)/辻咄(桂南天)/流しにわか(一輪亭花咲)/入れこみ噺(桂文我)/修羅場講釈(小金井芦州)/暫女(加藤イサ 中静ミサオ 金子セキ)/おく浄瑠璃(北峰一之進)/早物語(日向文吾)/おしら祭文(木村ハギ)/梓みこ(間山タカ)/肥後琵琶(山鹿良之)/浪花節(岡本玉治)
うかれ節(梅中軒鶯童 吉田菊市)/五色軍談(岡村千代松 上村政治)/浪花節むかしばなし(広沢虎吉)/デロレン祭文(計見八重山 計見楽翁)/江州音頭(真鍮家好延ほか)/阿呆陀羅経(市川福治 加藤竹三郎)/ほめら(松田金五郎 山野井判五郎 永尾クラ 山西彦太郎 森繁雄)/演歌(桜井敏雄)/立琴(上田正夫)/角兵衛獅子(渡辺寅之助ほか)/願人節(赤間政夫)/まかしよ(星野喜之助)/厄はらい(永木国三郎)/大神楽(山本源太夫ほか)/飴屋(増山たか)/飴売り唄(都家駒蔵)/金多豆蔵人形(木村幸八)/猿回し(大村清)/猿回しの話(磯崎武雄 浜田舟一ほか)/三曲万歳(浅井藤一 平松佐一 平松佐吉 小島富之)

あとがき

「日本の放浪芸」『又日本の放浪芸」『また又日本の放浪芸」と、三部のレードを作ったここ数年の間に、私が放浪の諸芸に関してしゃべったり、書いたりしたものをここに集めました。
あちらこちらバラバラに発表したものでありますので、あまり統一がとれていないことと、記述内容に多少の重複がありますことをお許しいただきたいと思います。
いづれは、もっと体系的な、例えば「放浪芸大全」といったようなものを、まとめなくてはならないという責任…のごときものを、ひとりで勝手に感じてはいるのですが、責任と能力とは、また別のもののようであります。
それに、放浪の諸芸に接しているうちに、どうやらまた、実演の意欲が私に湧いてまいりましたので、しばらくは舞台の上での仕事にも精出さなくてはなりません。
実は、その意欲の湧くのを、自分でひそかに待っての放浪芸への“放浪”であったわけですが、意欲は湧きました、ハイ放浪芸よサヨーナラでは、どうにも情がなさすぎる。お世話になったんです、°放浪芸には。それに、気がついたら、もう放浪芸とはだいぶ深い仲。
だから放浪芸との蜜月時代は終っても、これからは、われ鍋にとじぶたのフカナサケでいこうとあきらめ……いえ、心を新たにしたわけです。
そういうわけで、深い仲のリポート大全を、いつかはお送りしなければならないなと思ってはおりますが、はたしていつそれを果せるものやら、まことに覚束ないことであります。
写真頁を飾って下さった本橋成一さんと、番町書房の武田乙彦さんに大感謝。1974年晩夏

抜き書き 

-この探索、動機はともあれ全く自分自身のためにやりたかったことである。私も俳優の業(なりわい)を始めて二〇年、芸能の特質を放浪遊行の諸芸に探り、日本の芸能者の出身の土壌を確認したかったのは、もうあと二〇年ほど、続けられれば続けるであろう俳優の仕事に、一種のよりどころが欲しかったという、全く個人的な事情が私にあったのである。
さて、ひとまず訪ね終えての感想は、-おしなべて、ひとことでいえば、この種の芸能の、断末魔に立ちあったという様な実感のみが残った。わずかの例を除いて、殆んどがもう残骸であった。しかし、その残骸にでも接する事の出来たことを私は幸せに思う。もうあと何年かで、それも完全に風化して消滅するであろう。残るとしても、それは「保存」された標本で、生きた放浪芸ではあるまい。いつれにしても、少くとも中世以来の伝統がいま、消えたのである。
それもこれも、明らかに世の中のくらしの変化ゆえである。そして世の中のくらしに密着していた芸能であったからこそ、そのまま一緒にのたれ死するのであろう。生きながらえて人々のくらしの外で余命を保つことを、それは拒否してるかの様にも思える。芸能とは、本来そういうものなのかも知れない。
そしていま、芸能実演者のはしくれとしての私は、〃古き良き時代"の風物詩として、放浪漂泊の芸を懐古追慕するよりも、放浪芸臨終の立会人として、あるなにか-責任といった様なものを負わされたような気がしてならない。それがどうゆうものか、また、どうやってそれを果たしたらいいのか、具体的にはまだ何も見当がつかないけれども、とにかく、実演者としての責任であることだけは確かな様である。

抜き書き  

一番多い誤解は、私が郷土芸能、民俗芸能、または祭などをいっぱい見ていて、それに関するウンチクも深いと思われていること。
私の関心は一点、職業芸-金に換える芸、ないしは芸を金に換えるくらしについてでありました。もちろん、そういう職業芸は祭にあらわれましたし、定着して民俗芸能として残りもしましたし、また郷土芸能に痕跡をとどめたりもしております。そしてそれより何より、祭も郷土芸能も根底では職業芸とつながっています。出発は同じだろうと思います。
けれども当面、お百姓さんが作物の豊作を祈ってするお祭や、そこで行なわれる芸能や行事に、私はいま特に関心を持っているわけではありません。風のように村にやって来て、お百姓さんをたぶらかしては、また風のように去っていったのが、大道・門付のなりわいの芸でありました。
もうひとつの誤解は、これはちょっとお笑いなんですが、『日本の放浪芸』の日本に力点を置いて、私が日本好き、日本のよきものを謳歌する愛国者と間違えられたことであります。
私たちはむかし“愛国”で育ちました。けれども、見よ東海の空は明けず、旭日高く輝かなかったあの打撃の後遺症は、まだまだなおっておりません。喉もと過ぎても熱さは忘れられません。“愛国”はごめんこうむりたいと思います。「アメリカの」でも「ソ連の」でもないから「日本の」とつけただけでありました。
ただ、近ごろばかに“日本回帰”で、いえ、日本は日本なんですから〃回帰"したって別にどうということもないんでしょうが、何だか逆コース(この言葉も流行らなくなりました)の臭いが何となく漂ってきて、ちょっと心配です。そういう気配のお先棒を「日本の」がかついでいるとすると、これはエライことなんですが、この心配は少し神経質すぎましょうかな。

抜き書き  

普通には芸能と言われない世界、いや、かつては芸能を生み、育んでた母体であったところの、香具師の世界と、仏教の場に、むしろ放浪の芸能が存続して、いまなお繁昌していたのであります。
香具師の物売りの口上(たんか)には、当今の、おおかたの落語講談より、オット、われわれすべての芸能稼業よりすぐれた弁舌-呼吸と間合いがありましたし、見世物小屋には、芸能のたくらみ、だましの、あからさまな基本がありました。
また、いまも一年中切れ目なく、寺から寺へと旅して、善男善女を前に語り込む節談説教には、浪花節が忘れた心地よいフシが豊かにこめられてあって、参詣のおじいちゃんおばあちゃんを笑わせ泣かせ拝ませているのであります。
この両者だけが、たとえ一時代前よりは衰えたにしても、まだまだ現業で頑張っているということ、そして芸能が野に在った時代に、芸を金に換える時の荒々しい納得のさせ方が、むき出しになって、生きているからであります。
実はもう一つ、現在隆盛の、これぞ放浪芸を忘れていました。-トクダシ・ストリップであります。いま現在、日本全国津々浦々、ストリップ小屋のないところはなく、その数は優に百軒を越えています。温泉場などの小さい小屋は別にしてです。これほど専門常打劇場の数を持っている実演芸能は他にありません。専門劇場の数だけからいえば、現行最盛の芸能であるといえるわけです。
従って、ここで働いている、つまりストリップで食っている踊り子の数は、だから実に膨大なわけでありますが、彼女たちの暮しはこれらの小屋を十日とか一と月とかを単位に、寝泊りしながら次から次へと渡ってゆくという、まさしく放浪の芸能の姿なのであります。
そして、やることといったら、これこそ芸能の原点を、私に突きつけて凄絶!