日本社会で生きるということ   阿部謹也 著  朝日新聞社刊 装幀 毛利一枝

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目 次

「世間」と日本人-新しい差別論のために

なぜ「世間」をとりあげるのか/日本に「個」は存在するのか/「世間」というネットワーク/「世間」の機能/個人としての生きにくさ/「世間」なしには成り立たない日本社会/「穢れ」を生む「世間」「神判」というもの/「聖俗」未分離の日本/「世間」の対象化のために/差別を新たな視点で/

「世間」とは何か

建て前と本音/ヨーロッパとの違い/ヨーロッパにも「世間」はあった/「世間」という人間関係/「公共性」とは何か/大学も「世間」/「人権」をめぐって/「他人」とは何か/「社会」との関係/「差別」というもの/能力主義と「世間」のはざまで/建前をこえるために

差別とは何か

日本とヨーロッパ/ヨーロッパ中世に存在した被差別民/ヨーロッパ中世のコスモロジー/ヨーロッパ的な空間/大宇宙と小宇宙/ヨーロッパの宇宙観と大前提/大宇宙と小宇宙の関係/キリスト教の普及と賤視のはじまり/神々の退場と都市化/日本の部落差別について/日本は平等社会だったのか

公衆衛生と「世間」

自然科学と人文社会科学/中世ヨーロッパの身体観と宇宙観/個人の誕生/都市と個人/日本の都市と衛生管理/公共性の東と西/「世間」と公共性/吉茂遺訓/

日本の教育に欠けているもの

日本の近代化の特徴とは/形成過程によって決まる/「世間を騒がせる」という言葉/「建前」だけの教育/「建前」の世界で/「やる気」から生まれる力

あとがき

初出一覧(亀甲カッコ内は初出誌)
「世間」と日本人東日本部落解放研究所第八回総会記念講演(1993年)〔『解放研究』7号・1994年・「『世間』と日本人の心的構造」〕
「世間」とは何か人権問題指導者養成研修会講演(1996年)
差別とは何か千葉県部落問題啓発センター第5回定期総会記念講演(1991年)
〔『人権啓発1ー千葉県部落問題啓発センタi紀要』第五号・1991年・「賎民とは何か」〕
公衆衛生と「世聞」公衆衛生学会第五六回総会記念講演(1998年)〔『日本公衆衛生雑誌』第45巻〕
日本の敦青に欠けているもの()中央政策研究所研究セミナー講演(1997年)

あとがき

『「世間」とは何か』を講談社から刊行したとき、学者諸氏の反応は全くなかったが、読者の反応はたいへん大きかった。数年にして九刷となり、それにもまして講演の依頼が多くなった。特に関西、中国、九州の同和教育団体や差別問題に関心を抱いている人たちからの依頼が多かった。現在の差別は被差別部落の問題であるというよりは私達自身が構成している「世間」の問題なのだという私の主張にある程度の理解が得られたと思われる。同和団体といっても多様で、中には数十人で構成している小さな団体もあり、そのような団体から呼ばれることはたいへん嬉しいことであった。1130日まで私は多忙な職についていたから、学務の合間をぬって駆けつけ、時には鹿児島や出雲にほとんど日帰りで出かけたこともあった。その意味で本書は私の「世間論」の講演版である。ほとんどはここ数年の間に行われた講演を主体としている。
そのためにややテーマが拡散したり、重複している場合があるが、できるだけ整理するよう心がけた。「世間論」は差別論である限りは文字の世界に生きている学者先生達よりは行動と振る舞いの日常生活を生きている人々に訴えているものであり、何よりも具体的な日常生活の場で検証されなければならない問題なのである。さらに「世間論」はわが国の個人の生き方に関する問題提起であり、個と集団の関係についての論でもある。その意味で最近企業の人権問題研修会に呼ばれる機会が多くなっていることも理解できる状況である。わが国が現在抱えているさまざまな問題の根底にわが国の人間関係があるという意味において、この問題は極めて切実な問題なのである。このような形で朝日新聞社から刊行されるにあたっては同社の河合真帆さんと柴野次郎氏にたいへんお世話になった。記して感謝の意を表したい。
19981224 阿部謹也