日本のわらい話 川崎大治民話選 著者 川崎大治 童心社

協力 松本新八郎 表紙・カット・さしえ 二俣英五郎 レイアウト 山崎晨  19681115日初版発行 19702258版発行 8393-360202-5253

日本のわらい話表紙画像

はじめのことば

 ここ数年、ずっと民話の研究にとりくんできて、わたしは、わたしたちの祖先が、じつにたくさんの、おもしろい、こっけいなお話をのこしているのに驚きました。また、こんな愉快な話をつくって、みんなを笑わせながら、人間の生き方について知らせていることに感動しました。
 わたしは、それらの笑い話を、なんとしても、いまの時代のみなさんに贈りたいと思いました。それには、昔の人のお話を、みなさんにわかるように、作りかえなくてはなりません。それは、たいへんむずかしいことです。でも、わたしのありったけの力をだして、やってみました。
 この本には、江戸時代の、ありとあらゆる人たちがでてきます。百姓、商人、殿さま、浪人、医者、乞食など、上から下まで、なかなかの名優ぞろいです。
 そして、その人たちが、そのお話の作られた時代に、苦しいことも笑いとばして、それぞれ理想をもって、生きていたことがわかります。
 みなさんは、この本を、どう読んでくださるでしょう。わたしは、みなさんが、これらのお話をよんで、日本に生まれてよかったと思ってくださると思います。このお話にでてくる名優たちは、苦しい時、悲しい時にきっとあなたを助けて、困難とたたかう力、生きてゆくはげましになってくれるでしょう。 川崎大治

もくじ

オオカミの大しくじり/医者とうわばみ/しらみ/はやく走る/地蔵さまのずきん/いやいや/かがみ/尻ちがい/行儀作法/まんじゅうこわい/焼き氷/大仏の目玉/おやじさまあり/歩いていく/うその名人/金持ちと貧乏人/貧乏神/きせるおさめ/殿さまのためしぎり/おそれながらバーッ/たたかれても安心/障子の穴/にわか目あき/意地/泥棒のおあいそ/笑いごと/おしのこじき/なりたがる/なぞときだんな/寒い国/千手観音/通れ/やかん
図版 雷のけが(北斎漫画より)
かものゆめ/酒呑童子/仙人の指/雪やこんこ/大声小声/おじいさんとおばあさん/どもりの豆まき/五両と五分/てつびん/夕立屋/きりょう自慢/じしゃく宿/金箱のかぎ/水中の小判/金がかたき/思いやり/身なげ/首売り/屁と思え/おいはぎ/ぷう/武士とたたみ屋/おれがいない/つけ鼻/あわて医者/かぜの神送り/えんまの大病/神田川の大水/あててみな/ふぐ汁/わしにも一ぱい/おたばこ入れ/ぬすびとの辞世/すもう見物/なむあみだぶつ/万の字/走る名人/水におぼれぬ法/日本のすずめ/
図版 てんぐの曲芸(北斎漫画より)
ネズミの声色/この子にも百文/きびだんご/ゆうれい女房/神さまにまちがいなし/ローソク/ひろった手紙/うどん/生まれかわり/大食らいの三太郎/馬の小便/いしゃちがい/かまがだいじ/ぱっと死ぬ/柱という字/火だねおしみ/貧乏神の瓦版/毛はえぐすり/遠めがね/うなぎの代金/お祭りがうんこ/切腹浪人/野狐/しゃっくり侍/手習い子のゆめ/川の字のひるね/あんまの腹いせ/日本一の親孝行/長い犬/角兵衛獅子の太鼓/あんない首/柿ぬすびと/花ござ/親の恩/こたつ/三人かご/ますおとし 

このわらい話を読んだ人へ(解説 松本新八郎)

 さて、みなさんは、この本を読んで、どんな感じがされたでしょうか。むかしの人は、侍でも、町人でも、乞食、泥棒までが、なかなか愉快な言い分や理屈をのべて、人々を笑わせながら、生きていたことがわかったでしょう。
 どんな時代にも、人間は、怒ったり、泣いたりばかりして、生きていたのではなかったのです。愉快に笑って生きることの方が、ずっと好きだったのです。
 どうも、現代のおとなたちは、笑うのがへたのようです。腹の底から笑えるお話が少なすぎます。実際の生活では、腹をかかえて笑うようなことが始終あるのに、いまの人たちは、むかしの人のように、それをすぐお話に作って、大いに話し合って、お互いの生活を愉快にしてゆくことが、へたになってしまいました。
 それにひきかえ、この本にとりあげた、江戸時代の中頃の笑い話は、なんといきいきと人々の間に生きていたことでしょう。
 江戸時代の笑い話を集めた人の話によると、この時代に作られた笑い話は、四万を越えるといわれますが、この本には、子ども向きのものだけ、百十編がえらばれています。
 江戸時代の笑い話としては、この本のお話が喜ばれた時期よりずっと前、つまり江戸時代のはじめに、有名な醒睡笑(せいすいしょう)という本が出版されています。醒睡笑の中の子ども向きのお話は、ほとんどが、先頃出版された、日本むかしむかし(童心社刊全十巻)の中の、「おとぎのはなし」「わらいばなし」にはいっていますので、この本といっしょに読んでみてください。
 江戸時代にはいって、京・大阪、江戸、それに城下町が発達してきますと、お話を話してきかせるのを商売とする人がでてきます。いわゆる咄家ですが、関西では、身ぶり手ぶりを入れて、お話をおもしろくする仕方咄とか、江戸では小咄とか、各地に新しい流派ができて、名人がでるようになりました。
 京都では、露野五郎兵衛とか、米沢彦八という人たちが、何人かの弟子をそろえて、新しいお話の流儀を開きました。江戸では、鹿野武左衛門が、大店の旦那がたを集めて、誰でも作れる、小さな笑い話を作る会を開いて、江戸小咄という一派を作りました。
 こうして、江戸時代の中頃には、世の中の進歩、つまり、農業がすすみ、商業や交通がひらけて、都市が大きくなり、いきおい人々の生活も変る、それにつれて、同じ一つのお話が、次々と新しく話しかえられたり、これまではなかった、新しいお話が作り加えられたりして、実際には、何万と、数えきれないほどのお話が語られていました。今日残っているお話の、ほとんど七~八割もが、この時代に作られたといってよく、いわば、日本人の空想力、想像力の、最も発達した時代であったのです。
 この本では、そのようなお話を、江戸時代のはじめの気分を割合に良くのこしているものと、もっとも繁栄した中頃の時代にふさわしいものと、もう間近に明治維新がせまっている幕末の世相をうつし出しているものとの、三つの群にわけて、ならべてあります。
 本文の「おおかみの大しくじり」から「やかん」までの33篇が初期の群で、「かもの夢」から「日本のすずめ」までの40篇が中期の群、「ねずみの声色」から「ますおとし」までの37篇が後期の群にはいり、それぞれの群を、江戸小咄の気分をよくあらわしている、北斎漫画(二俣画伯の模写による)でわけてあります。
 もっとも、いずれも江戸時代の中頃の小咄ですから、三つの区分が、必ずしも三つの時期を、正確に語っているわけではありません。が、江戸時代の古い頃と中頃では終りとでは、人々の笑いにどんな変化があったか-これをはっきりさせるためには、こうしたならべ方がいいのではないでしょうか。
 また、どの群も、お話の配列は、まず古くから語られてきた話が、この時代にどう作りかえられたかがわかるような話。次に百姓とか職人のように、ものを作る人たちの話。作った品物を売りさばく商人の話。徳川時代の侍や大名と、一般の人たちとの間の関係を示す話。医者とか絵かき、学者のように、文化にたずさわる人たちの話。社会のワクからはみ出した、乞食や泥棒たちの話、というような順序に整理されています。
 みなさんは、読んでいくうちに、江戸時代の社会がどんな組立てになっていて、人々が、どんなことを考え、どんな暮らし方をしていたかが、自然におわかりになるでしょう。
 まず、初期の群から説明しましょう。この群には、江戸時代のはじめから好まれていた話があつめられています。はじめのいくつかは、民話から作りかえられた話です。この頃の人は、「オオカミの大しくじり」や「医者とうわばみ」の話のように、珍らしいものが好きで、とてつもない空想をえがきました。「いやいや」は、もとは、泉の水を飲みすぎて、赤ん坊になった欲ばり婆さんの話です。これを、子どもになってしまった八助夫婦が、ままごとばかりしていて、大家さんに家賃の催促をされると、いやいやといった、というように作りかえています。江戸の町に、家主と店子ができると、さっそくこんなお話に作りかえるのですから、店子もぬけめがありません。
 その頃は、将軍や大名が世の中を治めるようになったばかりで、たいへんな権威をもっていました。それでも、「きせるおさめ」のように、江戸市民はなかなか勇敢に商売をしています。「殿さまのためし切り」「おそれながらバァーッ」では、殿さまだろうと家老だろうと、おかしいことは見逃さずに笑いとばしています。
 百姓や町人たちは、こんなに侍のいばっている世の中を、いかにもさっそうとして生きていました。寒氷をたべたいが、かたいから焼いてくれといったおやじさん、中のものが一目でわかるように名札をつけておけといわれて、蚊張に、「この中に風邪ひきおやじ様あり」と張り札をした息子、いずれも、世の中を積極的に生きていこうとしている商人の心意気がうかがわれます。貧乏神から、泥棒、乞食までが、「なりたがる」のように、一応の意見をもって、自分の立場を主張しています。
 かと思うと、しのびこんだ泥棒が「泥棒のおあいそ」のように、子どもさんにと駄菓子包みをさしだしたり、泥棒を目の前にして、夫婦して意地をはってまんじゅうを争ったり、まことに人情もあつく、なごやかに生きていました。こういった傾向のものが、初期の群にあつめられています。
 中期の群は、この本のいちばん中心の部分で、お話はいったいに明るく、楽天的です。
 江戸時代の中頃ともなると、農業や手工業はいちじるしく進歩しました。とくに手工業では、何人もめ職人に共同作業をさせたり、水力を使って小さな機械を動かしたり、さまざまな技術が使われるようになりました。品物の種類や量もふえて、いまや、商人はもちろん、お医者さまからえんまさままでが、新しい合理的な生活を楽しむようになってきたのです。
 ですから、中期のお話では、どれをとっても、理屈に合うか、合わないかが、おもしろさの重点になっています。民話風のお話でも、「かもの夢」は、何かを敷いて寝ると、その夢をみると考えられていたことから、思いついた話です。鴨が芹の上に寝ていたら、鴨なべにされた夢をみたとは、まことに理屈に合っています。それがその頃の人々の好みに合っていたのです。「雪やこんこ」の裏長屋の貧乏神の子どもから、くわを盗まれた兄弟にいたるまで、すじを通す、理屈を通すという点で、みんな同じです。
 といって、当時の人々が、理屈に合うことばかりを喜んでいたのではありません。「夕立屋」のように、露地の広さを計算して夕立料を支払うかと思うと、その家の娘が自分の桜草のために、三文の夕立を買うという、なんともいえぬ愛らしい風流があります。それが当時の人々の得意でもあったのです。
 こうなってくると、武士と市民の立場もだんだん変ってきます。「首売り」のように、首を売ろうといっておいて、本当の首は看板だといってのける不敵さに拍手がおくられ、「武士とたたみや」のように、商人はますます金持ちになってゆくのに、いばっている大名は、たたみは入れたし金はなし、しかも見得をはりたがる、落目のみじめさを痛烈に笑いとばしています。「屁と思え」のように、町の世話役が、立派に侍にかけ合えるようになって、侍などは屁とも思わぬ時代がやってきたことは明らかです。
 こうなってくると、市民たちの人世観も、たいへんに変ってきます。医者にしても、整形手術までやるようになり、たいそう技術が進んでいるのですが、進めば進むほど、えんまの大病のような話が好んで語られます。乞食ですら、恵んでくれた人に毒見をさせてからふぐ汁を食います。太田道灌の歌を辞世に詠み、見破られると、これがこの世の盗み納めと、堂々と開き直る泥棒など、どの話も、人間らしく、しかも合理的で、わたしたちの時代にたいへん近づいてきています。
 後期の群には、中期の話の中で、明治にかけて語り続けられたものをまとめました。人々は自主独立の精神にふさわしい、科学的で人間らしい教養を身につけようとしています。
 前でものべたように、小さな工場がたくさん建ち、水力を動力にした、機(はた)とかろくろのような機械を使って作業をするのが、ますます盛んになってくると、作り出されたたくさんの品物は、大名の領分を越えて、日本中の消費者を相手に、商人たちの手で売りさばかれるようになります。人々も、自分の生まれた村から、自由に、大阪や江戸に、取引きや見物に出かけるようになります。ところが大名や侍は働きませんから、どんどん落ちぶれてきます。このような状態につれて、お話の中身も、いっそう自由で大胆になってきます。
 立川焉馬は烏亭ともいい、今日の落語をはじめた人だといわれていますが、この人は歌舞伎の俳優や作家、洋学者、大店の主人などとお話会を開いて、科学的で合理的なお話をたくさん作りました。後期の群には、落語の種になったお話がたくさんはいっています。
 また、この時代には、いろいろな新しい品物が発明されて、田舎では、「ローソク」のようなコッケイな事件がおこります。都市と田舎では、たいへん文化のひらきができて、田舎者は、都会の文化を身につけようと 生けんめいになります。が、しょせんははじめてうどんを食べた村人や、手紙を拾った男で、なかなか新しい生活に追いつけません。
 生きていく上では、人間のちえがなにより大事なんだという考えが、都市農村のすみずみにまで行き渡ります。この頃には、「貧乏神の瓦版」のような、ポスターやビラ(引き札)も生まれて、同じ商売でも、むかしとはやり方がちがってきました。いかめしかった侍も、もはや、お祭りがうんこをしてるよと子どもにわめかれたり、借金の言いわけに、大晦日に、何軒も腹を切りにまわらなくてはならなかったり、狐の尻尾と思って大根を引きぬいて、百姓に叱られたり、いやはや、目もあてられません。大名や侍の時代は、もう終りに近づいてきたのです。
 子どもたちも、寺小屋や学校で勉強しなければ、世の中の進歩についていけません。先生も、いねむりをして、いい加減な言い逃れをすれば、たちまち子どもにウソを見破られ、やられてしまいます。先生もまた、油断ができない時代です。将軍や大名は、世の中の秩序を保とうとして、武士道の、忠義の、親孝行のと、人の道を説いてきましたが、もはやこの時代になると、「日本一の親孝行」のように、親孝行が見世物になります。
 盗人は、斬られた首を提灯にして夜道を歩き、乞食までが、花ござはちと派手すぎらあと、自分の好みを主張します。こうして、百姓、商人、医者、乞食にいたるまで、ひとりひとりが、人間らしい自覚をもって、古い大名や侍の社会を踏み越えて、新しい時代をむかえようとしているのです。
 さあ、もう一度、今のべてきたような、歴史的な見方のめがねをかけて、よみ直してみてください。そうすると、こんな小さなお話の一つ一つが、その時代に、どんな豊かな意味をもって生きていたかが、わかっていただけるでしょう。
 そして、わたしたちの祖先が、大名や侍が無理難題をいっていばりちらしていた世の中で、その無理難題を笑いとばして、自信をもって生きていたことがわかるでしょう。その力が、封建社会をかえて、明治の健康な市民社会を作り出していったのです。 松本新八郎(専修大学教授)