ぼくは猟師になった  著者 千松信也 リトルモア

2008912日初版第一刷発行20081111日第3刷発行 デザイン sign 装画 伊藤 存 ISBN978-4-89815-244-7 C0095

ぼくは猟師になったカバー画像

もくじ

まえがき

第一章 ぼくはこうして猟師になった
妖怪がいた故郷
家の手伝いは薪割り/ガタロの仕事/しょっくんおったぞ-/祖母のしつけ/
獣医になりたかった
カブトムシとゴキブリの違いって?/食べてもよい動物/獣医になろう/車にひかれた猫を見た
大学寮の生活とアジア放浪
魅惑の大学生活/やり残したことがまだまだある/月収30万円/アジア放浪/国外退去/「役立たず!」
「ワナ」と「網」、ふたりの師匠
求めていた生きるための技術/狩猟免許を得る/「猟友会」とは?/伝統文化が生きていた/文字通りの一網打尽/
飼育小屋のにおいがして……初めての獲物
シカとの格闘/血抜きと内蔵処理/シカ肉大宴会/いろんな友人に食べてもらいたい
「街のなかの無人島」へ引っ越す
解体用のスペースを求めて/千載一遇の物件/山と市街地の境目に暮らす/
第二章 猟期の日々
獲物が教える猟の季節
毎年恒例のイノシシとの対面/あるイノシシの挑み合い/リベンジ/「いまだっ!」/
見えない獲物を探る
ワナを準備する/さらなるにおい対策/痕跡探しの要所、けもの道/動物の姿が見えてくる/メールが飛び交う解禁前夜/
ワナを担いでいざ山へ
出猟/獲物の歩幅を読む/ワナ猟師のマナー/解禁からの数日/ワナの見回り/退屈しない山の毎日/
肉にありつく労力
出勤前にイノシシをしとめる/山の動物におすそわけ/解体・精肉作業/狩猟は残酷か?
シカ、シカ、シカ、シカ、シカ……
シカで眠れない/シカはなぜ増えたのか?/シカと猟師の関係/シカ行政/
野生動物の肉は臭い?硬い?
イノシシの味の違い/マグロの赤身?/見た目だけ大人/
猟師の保存食レシピ
燻製/塩漬け&干し肉/しぐれ煮/シカ肉の油漬け/イノシシ骨スープ
毛皮から血の一滴まで利用し尽くす
「山に塩、持っていってよ!」/薬も獲れる/忘れ去られた技術/皮をなめしてみた/どうしたら皮がやわらかくなるのだろう?/いただくという気持ち
カモの網猟は根比べ
伝統の無双網猟/ビール片手にひたすら待機/一網打尽!/「人差し指の爪が切られへんねん」
スズメ猟は知恵比べ
目に見えない空の道を見極める/スズメをおびきよせる/網を引くタイミング/獲っては網を戻す/タカ、モズの急襲/
イノシシの味が落ちる頃
猟期後半のけもの道・ワナ事情/1月後半のイノシシの味/猟師の新年会/カモの網をまかされる一日/猟期を終える
第三章 休猟期の日々
薪と過ごす冬
一石三鳥の薪ストーブ/薪割りは冬場に/山は自然のままがよい?/建築廃材・間伐材の利用/毎夕、風呂を焚く生活/
春のおかずは寄り道に
ツクシ/ノビル/ヤブカンゾウ/クレソン/フキ、フキノトウ/ワラビ/葉わさび/ドクダミ、ヨモギ、スギナ・・・/果実酒
夏の獲物は水のなか
アマゴ・イワナ-渓流釣り/マテ貝-潮干狩り/コアユ-投網猟/アユ-巻網猟/ウナギ-モンドリ仕掛け・素潜り/タコ・魚類-素潜り・魚突き/モクズガニ-カニカゴ漁
実りの秋がやってきて、再び……

あとがき


まえがき

 僕が猟師になりたいと漠然と思っていた頃、「実際に猟師になれるんだ」と思わせてくれるような本があれば、どれほどありがたかったか。
 確かに、世の中に狩猟の技術に関する本やベテラン猟師の聞き書きのような本はありますが、「実際に狩猟を始めてみました」という感じの本は見たことがありません。ましてやワナ猟に関する本は皆無に等しいです。
 実際の狩猟、猟師の生活をひとりでも多くの人に知ってもらえたら、と前々から思っていたことも本書の執筆の動機でした。
 狩猟というと「特殊な人がする残酷な趣味」といった偏見を持っている人が多いです。昔話でも主人公の動物をワナで獲る猟師はしばしば悪者として描かれます。
 また、狩猟をしていると言うと、エコっぽい人たちから「スローライフの究極ですね!」などと羨望の眼差しを向けられることもあります。でも、こういう人たちは僕が我が家で、大型液晶テレビでお笑い番組を見ながら、イノシシ肉をぶち込んだインスタントラーメンをガツガツ頬張っているのを見ると幻滅してしまうようです。僕を含め多くの猟師が実践している狩猟は、「自分で食べる肉は自分で責任を持って調達する」という生活の一部のごく自然な営みなのですが……。
 いろいろな意味で、現代の日本において猟師は多くの人々にとって遠い存在であり、イメージばかりが先行しているようです。
 そこで、本害では、具体的な動物の捕獲法だけでなく、僕がどういうきっかけで狩猟をしたいと思い、実際に猟師になるに至ったのかも詳しく書いています。また、獲物を獲ったり、その命を奪った時、そして解体して食べた時の状況をなるべく具体的に書き、その料理のレシピなども紹介しました。
 本書を読んで、少しでも現代の猟師の生身の考えや普段の生活の一端を感じていただけたらありがたいです。そして、僕より若い世代の人たちが狩猟に興味を持つきっかけになれば、これ以上うれしいことはありません。 

あとがき

 この原稿の執筆を引き受けたのは2007年の春。予定では、その年の解禁の前に原稿を書き終えるはずだったのが、いろいろあってズルズルと予定がずれ込み、今は12月。そう、猟期真っ盛りなのです。今年もシカは既に四頭獲れたものの、イノシシはいまだドンコが一頭のみ……。こんな風に毎日パソコンに向かっている場合ではないのですが、引き受けた以上どうしようもないし、言い訳しても仕方がないのです。
 毎年猟期になると新しい発見や出来事があるのですが、今期もさっそくありました。11月の下旬に、友人の松倉からイノシシがワナにかかったが、日没が迫っていて銃が使えないという連絡があり、急遽鉄パイプをもって応援に。現場に到着してみると、バラ抜き七〇キロはありそうな巨大なメスイノシシがかかっています。ドングリが豊富な今年のイノシシらしく、丸々と肥えています。後ろ脚がワナにかかってしまっており、かなり自由に動き回れています。
 さっそく、イノシシとの間合いを計り、鉄パイプでどつこうとしますが、なかなかうまくいきません。しかも、イノシシの動ける範囲にシダの藪があり、その中に巧妙に身を隠します。シダをかき分けつつ、なんとか格闘を続けますが、気づいた時には山の下手側からしか向き合えない状態に。そして、さんざん鉄パイプを振り回し、疲れきった松倉から鉄パイプを受け取り、交代した瞬間でした。イノシシが突進してきたと同時にブチッというワイヤーの切れる音。そのあとは、まるでスローモーションのようにイノシシが迫ってくる映像が見え、その次の瞬間には僕の腕はイノシシの体重を感じていました。しかも、そのイノシシはよっぽど怒っていたのか、普通ならそのまま逃げそうなものなのですが、その後も僕のほうにむき直りさらに威嚇をしてきます。急いで木の陰に隠れました。こうなったらどう考えてもかなうはずはありません。緊迫した空気がながれました。ずいぶんと長い間にらみ合ったような気もしますが、イノシシは、僕を威嚇したあと、あとずさりするように再び藪に戻り身を隠しました。どうやらワナが外れたことに気づいていないようでした。
 「どうしよう?」
 「……どうしようもないですね」
 獲物を取り逃がし落胆する松倉とともにイノシシを遠巻きにして、山を下りました。
 無事だったから、こんなことを書いていられますが、一歩間違えば病院送りも充分あり得る状況だっただけにあとで色々反省しました。よくよく考えれば、以前師匠の角出さんに「どつく前にワイヤーを周りの木やらに絡ませるようにして、イノシシの行動範囲をせばめておくんやで」と言われていたことも思い出しました。そんな工夫もせずに、イノシシをどつきにかかったのには、やはり油断や慢心があったようにも思います。
 また、今年は獲れたシカのうち一頭が見回りに行った時点で死んでしまっているということもありました。別に毎日の見回りを怠ったわけではないのですが、かかった直後に木に絡まってそのまま倒れてしまったようでした。大急ぎで腹を割きました。内臓はまだ温かかったので、いけると判断し、山から下ろし、家で解体したのですが、やはり血が抜けず、肉はかなり傷んでしまっていました。
 改めて考えてみると、ワナをしかけた場所の斜度がややきつかったようです。もう数十メートル先にしかけたら斜度もまだマシだったのですが、より獲物がかかりやすそうなポイントを選ぶことを重視してしまい、かかったあとのことを充分に考えられていなかったのです。
 こんなことが立て続けにあり、正直なところ、偉そうに本など書いてる場合じゃないと思いました。猟師を続けていくには、まだまだ学び経験していかないといけないことはたくさんあると改めて実感させられた次第です。本書の内容も本当に不充分なところが多々あると思いますが、その辺は新米猟師の書いたことと、大目に見ていただければと思います。
 本書で紹介した狩猟の方法や鳥獣の解体の仕方、調理法などは、あくまでも僕が師匠から教わったことを参考にしながら実践している方法です。他の地域にはまた違った狩猟法や解体の仕方が伝わっていますし、様々な伝統もあります。僕自身もまだまだ修業中の身で、決してこれが正しい完成されたやり方というわけではありません。本書は僕が狩猟を学んでいくなかで試行錯誤しているその途中経過の報告ぐらいに考えていただけるとありがたいです。
 七度目の猟期を迎えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的なレベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるということは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。
 猟師という存在は、豊かな自然なくしては存在しえません。自然が破壊されれば、獲物もいなくなります。乱獲すれば、生態系も乱れ、そのツケは直に猟師に跳ね返ってきます。
 狩猟をしている時、僕は自分が自然によって生かされていると素直に実感できます。また、日々の雑念などからも解放され、非常にシンプルに生きていけている気がします。
 狩猟は、僕にとっては生涯続けていくのに充分すぎる魅力を持っています。読んでくださった皆さんに、僕が感じているそんな狩猟の醍醐味を少しでも感じていただけたら、うれしいです。