街の芸術論日本人の涙と笑い-  加太こうじ 著 社会思想社

1969(昭和44)年615日初版第1刷発行 装幀 秋月 繁

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目 次

口上

大道芸・紙芝居/大衆演劇/流行歌/替歌/日本マンガ略史/大衆美術

落語/浪花節興亡記/講談と大衆小説/色物・漫才/奇術・手品

芸術小論

参考文献

年表

あとがき

索引

あとがき

 わたしは紙芝居の作画を仕事にして14歳から42歳までの28年間をくらした。20歳ごろまでは、自分が日常の仕事にしている紙芝居の台本や絵は芸術だと思っていなかった。展覧会に並べる絵や、西洋古典音楽や、私小説のようなものが芸術だと思っていた。そのうちに、映画のモンタージュ論を知って紙芝居について考えるようになった。
 芸術とは何か、芸術の価値とは、芸術と政治その他実生活とのかかわり合いは、芸術の内容と形式の関係は……そういうことを考えるようになったのである。以後、20年ほど、おりにふれてそういう問題を考えた。42歳になって紙芝居作りを仕事としてつづけられなくなったとき、偶然にも鶴見俊輔氏に電車のなかで出合った。それが初対面だったが、わたしは鶴見氏にすすめられて、昭和34年秋、雑誌・思想の科学に「大道の芸術紙芝居」という小論文を書いた。
 『大道の芸術紙芝居』では、主として、体験的に芸術とは何かということを論じたつもりである。その末尾のほうに、これから大衆的な芸術について発言をしたいと書いた。以後、10年間にわたって大衆的な芸術についてたくさん書いた。
 そして、その総決算のように、いま、この本を、ようやくまとめることができた。
 わたしは、芸術に関しては、何万の理論があろうと何万回の議論がくり返されようと、ひとつの作品も生みだし得ないと思っている。芸術を生みだすものは作り手の熱情である。
 だれかが、情熱をもって芸術活動をするとき、この本が、旅行にいくときの地図や案内書の役目を果たすことができたら、わたしにとっては光栄である。くどくもいうようだが、行く、乗る、あるく、というような行動がなくては何万の地図や案内書があっても旅行にはいけない。しかし、案内書や地図があれば、まようことが少ない。芸術論などとはそんなものである。
 それなのに、あえてこの本を書いたのは、わたしなりに明らかにしておきたいことがあったからである。いわば、二入年間も紙芝居を作ってくらした人間の、考えの移り変わりの結着点に近い記録がこの本だともいえる。
 このあとがきをのぞいては、敬称をすべて略した。ご諒解ねがっておく。
 鶴見氏はじめ諸先輩、知友からさまざまなご援助をいただいている。まず、謝意を表しておく。
 お世話になった社会思想社の星野和央氏、福原清憲氏、田村研平氏、ならびに助手として協力してくれた金矢千里氏、館山日出夫、村上めぐみさんにも謝したい。 1969年初夏 加太こうじ