敗け組甲子園-ドキュメンタリー  島津愛介 著  JTB日本交通公社出版事業局

1991715日初版印刷 199181日初版発行  ISBN4-533-01776-2 c0095

装画・イラスト  矢吹申彦 ブックデザイン エディトリアルデザイン研究所

負け組甲子園カバー画像

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目 次

トンネル        鹿児島実業+防府商業 1974
二つのウイニングボール 上尾高校+浪商高校 1979
落球           富士高校+高知高校 1979
スローボール      大分商業+浜松商業 1980
一瞬のマウンド      創価高校+東山高校 1983
PL学園をあわてさせた男 宇部商業+PL学園 1985
異邦人          江の川高校+福岡第一高校 1988
心のレギュラー      法政二高+福岡第一高校 1988
いつも寝ていた6人    浦和市立高校+広島商業 1988
全力疾走         土佐高校+東亜学園 1989
一勝の重さ        弘前工業+仙台育英高校 1989
一歩の距離        都立東大和高校 1990
北の国から        中標津高校+星林高校 1990
最後の夏         秋田経法大付属+横浜商業 1990
Uターン         栃木高校監督
あの頃にかえりたい   池田高校監督

取材メモから

いまから15年ほど前のことだ。
 暴走族を取材していた僕は、その中の"甲子園落ちこぼれ"ふたりと話をしていた。都内の野球名門校で甲子園を目指しながら、結局は敷かれたレールを走れなかったふたり。
 そのふたりが、雄々しい彼らなりの"走り"の哲学を話し終えたあと、甲子園の話題に移った時のふっと見せた表情が忘れられない。
 それまでの突っ張りが嘘のように消えて、少年らしい素顔にもどっていた。
 つい半年前まで必死に賭けていたものを自ら棄てたいまも、その賭け方のピュアさだけは「ホンモノだった」と熱っぽく語る。
 ある意味では、ふたりの青春を偏ったものにしてしまったはずの甲園。だが、それに対してだけは、ふたりはいつまでも一途だった。
 「たかが野球」と言いながら、すぐそのあとに「されど甲子園」とつづけねばならない日本的風土の中で、彼らがそれぞれに見せた"輝き"だけが本物だとするならば、宴のあとのけじめなどになんの意味があるのだろう。
 都立東大和高校の選手たちは思わぬ敗戦のあと泣いた。だが、30分もするとすっきりしたらしく、夏休みのプランを立てるのに夢中だった。
 「たかが野球」の延長には、そうした風景の方がよく似合うと僕は思う。
 2年にわたった取材は、僕にとって青春回帰の旅でもありました。一途に賭けられることの強さをあらためて知ったように思います。
 取材でお世話になった16校の監督と選手たちの、今夏に向けての健闘を祈らずにはいられません。
 さらには、全国の高校のグラウンドでいまも走り続ける無名の青春群像にこんなエールを送ってみたいのです。
 「甲子園を目指せるのは、あなたたちしかいないのです」
   1991年5月
本書収載のうち、「落球」「一瞬のマウンド」などの六篇はJTB発行の月同誌「YES」の1990年4月~9月号に連載されたものです