マタギ-愛蔵版 矢口高雄 著 中央公論社 199025日初版発行ISBN4-12-001885-7 C0079

197310月~19753月『週刊漫画アクション』連載

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目次

まえがき
章之壱  野いちご落し Ⅰ
野いちご落し Ⅱ
野いちご落し Ⅲ
章之弐  怜利の果て
章之参  オコゼの祈り
章之肆  勢子の源五郎
章之伍  アマッポ
章之陸  行者返し
章之漆  寒立ち
終 章  樹氷

「マタギ」の想い出 ・矢口高雄

 ボクはこれまで一貫して「自然と入間との関わり」をテーマとした作品を描いて来た。なかでも本編「マタギ」は、その「自然」との関わりを、最も色濃く表現できるドラマだったので、乗りまくって描いたものである。
 しかし、結果としてこのドラマは、ボクの正直な心情では"不肖の息子"と言わざるを得なかった。いや、作品そのものの出来、不出来ではない。その面では、今日こうして中央公論社の愛蔵版として纏めるに当って、作品個々につぶさに触れて見たが、どれも完成度という点では申し分ない出来栄えである。
では、どこが"不肖の息子"なのか。
 実は、本編を描く以前にボクは、A社のTコミック誌に「マタギ列伝」なる作品を連載していた。内容的には本編と全く同じキャラクターが登場するドラマで、いわば本編の前段的作品だった。
 この作品は、およそ二年半続いた。まだ駆け出し時代だったので、絵も構成も稚拙極まりなく、それ故に苦労の連続で、しかし画風を確立していないボクには描く度に新鮮で、様々な試みを大胆に投入出来る作品だった。そこが功を奏したのだろう。作品の稚拙さとは裏腹に人気は上々で、読者の評価は常にトップクラスにランクされ、そのコミック誌の柱的存在に成長していた。
 そんな状況だったので、よもやその作品が連載中止の憂き目を見ようとは、作者のボクには孝えも及ばないことだった。
 突如、という形でボクと出版社間にトラブルが生じたのである。トラブルの原因は相手のあることなので、ここでの公表は差し控えるが、ボクがトラブルメーカーでない事だけは申し添えておきたい。
 つまり「マタギ列伝」という作品は、そんな経緯をたどったので、一応最終回として筆は留めたが、ドラマとしては未完のままだった。事の経緯は別にして、これには大いに不満だった。必死に積み上げたドラマだった。不評で中止を言い渡されたのならば納得もしよう。絶えずトップクラスにランクされ、大きなドラマを構築していたにも拘らず、それをくずすことなく筆を留めなければならないと言うのは、女間に入って果てなかった以上の無念さであった。
 そんな鬱々たる日々が続いたある日、F社のコミック誌より、
  「未完のままでは惜しい作品だ。どうです、ウチで続きを描いてみては……」
 との誘いがあった。鬱々たる無念さを抱えていたボクだったから、得たりと飛びついたことは言うまでもない。
 しかし、続きを描くといっても、発表誌が変わるわけだし、発表誌が変わるということはその読者も変わる。とすれば、これまで築き上げたドラマの経過をどうするか。そこが大きな問題だった。
 事の経緯は千差万別だが、これまでに発表誌を変えて掲載された作品はいくつかある。例えば手塚治虫先生の代表作ともいうべき「火の鳥」は、その最も顕著な例であろう。「火の鳥」は当初『漫画少年』(学童社)に連載された作品だったが、開始早々に同誌が廃刊となり、以後ジプシーのごとく発表誌を変え、まさに流浪の民のごとく描き継がれた作品である。同時にこの作品は、不吉な風評に彩られた作品でもあった。「火の鳥」を掲載した雑誌は廃刊となる、というジンクスである。そのジンクスを裏書きする様に、確かに掲載誌は次々と廃刊になった。ボクの記憶によれば、最初の『漫画少年』から『少女クラブ』(講談社)、そして『COM(虫プロ商事)、『マンガ少年』(朝日ソノラマ)へと描き継がれたが、この四誌は既に無い。そして完結を見たのが『野性時代』(角川書店)である。もっともこのドラマは、これで完結したとは、ボクは思っていないが、この経緯はとりもなおさず手塚先生の「火の鳥」にかけた作家の執念がうかがわれて、ただただ驚嘆するばかりである。
 ボクのそれは、とても手塚先生とは執念においても、力量・作品世界という点でも比すべきものではないが、とにかく満ち足りなかった無念さを払おうと、しゃかりきに突入したのが「マタギ」だった。
 つまり「マタギ列伝」の、これまで築き上げたドラマの経過を足早やに消化し、素早くそこに追いついたあと、浪々と続きを描こうとしたのである。"問題"はそこにあったのである。描けども描けども追いつかなかったのである。いや、そればかりか、時の推移するなかで、ついにはそれを断念せざるを得ない作品になってしまったのである。ボクの"不肖の息子"という意味はそういう事なのである。
 しかし、こうして愛蔵版に収録された今、再びボクの胸の中に続きを描きたいという意欲が首をもたげ始めたことは確かである。そんなボクの意欲が、いつの日か日の目を見ることがあるだろうか。
 それはともかくも、"不肖の息子"が、事もあろうに冠を拝する結果になろうとは夢にも思わぬことだった。なんと、本編「マタギ」はこの年の、第五回日本漫画家協会賞大賞(グランプリ)を受賞してしまったのである。
 漫画賞は今日数々ある。しかし、それらのほとんどは出版社が制定したもので、従って受賞作もその出版社の発行誌に掲載された作品にかたよるきらいがある。その点日本漫画家協会の賞は、少なくともその種の偏重がなく、加えて審査員は全てプロマンガ家中のプロたちである。つまりプロがプロの仕事を評価する賞なのである。
 その賞の、しかも最高のグランプリに輝いたのだから、まさにボクにとっては青天の霹靂たる大事件だった。いつもはひっそりのボクのアトリエの前に、連日社旗を掲げた新聞社や、テレビ局の黒塗りの車が横付けされ、あわただしくインタビューを受けた想い出は、今も記憶に鮮やかである。
1990年1月
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