メメント・モリ 著者 藤原新也  情報センター出版局

ブックデザイン 田村隆英 1983212日第1刷 1983223日第2刷 1990530日 新装版第1刷 1993811日新装版第4刷 ISBN4-7958-1022-2

メメント・モリ表紙カバー画像

お断り:この本では、すべての漢字にひらがなあるいはかたかなでルビが振ってあります。それが、漢字をよく読めない人たちへの配慮なのか、それとも、漢字でゴツンゴツンと引っかからないようにするための工夫なのか、よく分かりませんが、ここでの紹介では、煩雑を避けてルビは省略してあります。申し訳ありません。

ちょっとそこのあんた、顔がないですよ

いのち、が見えない。
虫きていることの中心がなくなっ
て、ふわふわと綿菓子のように軽
く甘く、口で噛むとシュッと溶け
てなさけない。
しぬことも見えない。
いつどこでだれがなぜどのように
しんだのか、そして、生や死の本
来の姿はなにか。
今のあべこべ社会は、生も死もそ
れが本物であればあるだけ、人々
の目の前から連れ去られ、消える。
街にも家にもテレビにも新聞にも
机の上にもポケットの中にもニセ
モノの生死がいっぱいだ。
本当の死が見えないと、本当の生
も生きれない。等身大の実物の生
活をするためには、等身大の実物
の生死を感じる意識をたかめなく
てはならない。
死は生の水準器のようなもの。
死は生のアリバイである。
MÉMENTO-MORI
この言葉は、ペストが蔓延り、生
が刹那、享楽的になった中世末期
のヨーロッパで盛んに使われたラ
テン語の宗教用語である。その言
葉の傘の下には、わたしのこれま
での生と死に関するささやかな経
験と実感がある。

乳海 ちちのうみ

眠島 ねむるしま

瞼心 まぶたのうち

蝶翳 ちょうのかげ

紅棘 あかいとげ

天鏡 てんのかがみ

汚されたらコーラン

この本は汚れれば汚れるほど良い。
Gパンのように古びれば古びるほ
ど良い。
ちょっと僑越だけど、たとえば、
あのチベットの民が日々をめくる
仏典や、イスラムの人々が何百年
も使って、交字が読めなくなって
しまっても、なおかつめくってい
るコーランのように、いつ、どこ
で、だれがいても、ちょっとした
ひまのおりに、汚れてメロメロに
なるまで、何年たってもめくって
ほしいというのが願いだ。
汚れれば汚れるほど値打ちが上が
る。
汚れれば汚れるほど、それは独自
の個性を持った本となる。
その間に、読者はわたしの言葉や
写真のいくつを感じ、いくつを十
分に解釈し、そして、いくつを乗
り越えてしまうことができるか。
前著『東京漂流』で、わたしはわ
たしの青春期であった13年間を
賭けて、現ニッポンを分解し、カ
ルテを書き、ときにはつばをかけ、
あるいは意識の変容を迫った。
つかみどころのない懈慢な日々を
送っている正常なひとよりも、そ
れなりの効力意識に目覚めている
痴呆者の方が、この世の生命存在
としては優位にあるのだ。
わたしは後者の痴呆の方を選ぶ。
墓につばをかけるのか、
それとも花を盛るのか。
『東京漂流』が「つば」であるな
ら、本書『メメント・モリ』は
「花」である。
それは、ニンゲンが本来的に持つ
「憎」と「愛」の二つの現れだと
も言える。
わたしは、あきらめない。
藤原新也

メメント・モリ写真1

メメント・モリ写真2

メメント・モリ写真3