妹尾 河童  セノオ カッパ

妹尾河童氏 顔 画像
 
略 歴

 1930(昭和5)年、神戸生まれ。グラフィック・デザイナーなどを経て、1954年、独学で舞台美術家としてデビュー。以来、演劇、オペラ、バレエ、ミュージカルなどの舞台美術を初め、テレビ美術など映像デザインの分野においても活躍中の、現代日本を代表する舞台美術家。
「紀伊國屋演劇賞」「サントリー音楽賞」ほか多数の賞を受賞。またエッセイストとしても知られ、ユニークな細密イラスト入りの著書『河童が覗いたヨーロッパ』『河童が覗いたニッポン』(新潮文庫)『河童が覗いたインド』(新潮社、新潮文庫)『河童のタクアンかじり歩き』『河童が覗いた50人の仕事場』(朝日新聞社)『河童が覗いたトイレまんだら』(文藝春秋)『河童が語る舞台裏おもて』(平凡社)や、対談集『河童が覗いた仕事師12人』(平凡社)『河童の対談・おしゃべりを食べる』(文春文庫)も好評である。 『河童の手のうち幕の内』(新潮社)表紙カバーより

名前の由来  『河童の手のうち幕の内』(新潮社)より

 昭和25年頃、私が大阪朝日新聞社の朝日会館に在職当時、斉藤寅郎氏(元・航空朝日、英文日本の編集長。現在、斉藤建築事務所社長。TEL・四××・四一九一~二)の命名から『河童』と呼ばれるようになりました。
ニックネームはだいたい珍妙なものが多く、私の場合のみ極端に珍奇であったわけでもないと思いますが、世間の人々にどのような共感をおぼえさせたのか、あっというまに伝播し、仕事の世界から私生活の面まで、『妹尾河童』という名前が本名よりも通用するほどに成長してしまいました。
『河童』という名前をニックネームとして、他の人が呼ぶのはしかたがないとしても、自ら名のる気はまったくありませんでした。しかし、命名されてから5年もたった頃には、もう私の本名を記憶している人の方が少なくなっていました。
 昭和30年2月のオペラ公演の際、私の本名を忘れてしまった藤原義江氏によって『舞台美術・妹尾河童』という文字がポスターに活字化されるということにまでなりました。さっそく、抗議をしましたが、藤原義江氏を始めまわりの人達は「こんなに通用している名前だから、無理に抵抗したりテレたりせずに、そのままペンネームとして使用せよ」といい、その後も、私の意志とはくい違って、『河童』は活字になって現れ、社会的にも完全に私の人格を表わす名前として、通用するものになっていきました。(補注:15707月、家庭裁判所の裁定を経て、法的に「妹尾肇」から「妹尾河童」と改名)

中山千夏が覗いた河童(部分紹介)-「河童の覗いたニッポン」より

 まずは妹尾(せのお)河童という人物について話そう。すでに本文を読了された方、あるいはパラパラと、それこそ覗いてみた方にはよくおわかりだと思うが、他の書物にも増してこの本は著者の個性の上に成り立っている。だから、河童という人物抜きにこの本を語ることはできないのであって、また、ここから始めるのが、美術にくらい私には良い方法だろうと思うのだ。
 さて、河童は――あっ、お断りしておかなければ。私は「妹尾さん」と呼ぶことを当人から禁じられている。私に限ったことではない。もし、あなたが彼と交際を持ち、「妹尾さん」と呼びかけたとする。一度目には、必らず彼はいくぶん顔を赤らめながら言うだろう。「ね、頼むからそれ、やめてくれない?恥かしくてしょうがないんだ。何かボクじゃないみたいでさ。ダメなんだ。カッパっていって、カッパって」。その姿があまりに切実なので、みんな二度と「妹尾さん」とは呼べなくなる
 人は多少とも自分の呼称について好みを持っているだろう。私にしたところで、ナカヤマと呼ばれるのはあまり好きじゃない。センセイに至っては殺意さえ持つ。しかし、人はみなそこをこらえて生きているのだ。呼称を巡る微妙な会話の面倒よりは、とりあえずの円滑な人間関係のために違和感を飲み下すことを選ぶのだ。それがオトナというものである。そして、これは河童という人物が、世にオトナと呼ばれている人間とは異る何かだ、という事実、友人すべてが認めている事実(ただし友人の大多数もまた"何か"である)を示す貴重な一例だ。
 同時にこれは、小さな違和感でも放(ほう)っておけない、ある種の完全主義をも示している。河童が「ナンかヘンだな」「ちょっとオカシイな」「どうもワカランな」と思う。すると、そう思われた対象は、それが自分の呼称であれ完成間近の舞台装置であれ、モデルガン規制であれ、もう放っておいてはもらえない。対象は河童に納得のゆくまで研究され、河童の納得のゆく方法で整理される。まさにその結果のひとつが『河童が覗いた・・・』シリーズなのだ。
 おそらく「ナンかヘンだな」「ちょっとオカシイな」「どうもワカランな」を抱えたままに河童が行動した唯一の例は、私たちの一連の政治活動だけだろう。私たちにとって「政治参加」活動は大小の違和感の洪水だ。そしてそれを解決する時問は与えられない。それでもやるのは様々な違和感の背後にひときわ大きく、「世の中、ナンかヘンだな」というのが立ちはだかっているからだ。河童は、これを放っておけない仲間のひとりなのである。

河童の覗いたニッポン(文庫版)  妹尾河童・著 新潮社 1984年4月刊

河童の手のうち幕の内
    妹尾河童・著 新潮社 1992年4月刊