加太こうじ   かた こうじ

  

1918年東京・浅草に生まる
1938年太平洋美術学校卒。
文章に関しては小説家相馬泰三に師事す。少年時代より紙芝居の作並びに画に従事し、1960年、紙芝居の衰退とともに著述業に転ず
《現在》思想の科学研究会会員
《著書》「術の自叙伝」「落語」「日本のヤクザ」「衣食住百年」
「街の芸術論」奥付より
加太こうじ
1918年東京・浅草に生まれる。1938年太平洋美術学校卒業。
少年時代から紙芝居の作画に従事し、戦後はその復興運動にあたる。
紙芝居衰退後の1960年より文筆業に転じ、庶民史、風俗、大衆芸術などの分野にわたる著作を発表。
思想の科学研究会会員、大衆芸術研究会会員。
著書に「街の自叙伝」「落語」「街の芸術論」「紙芝居昭和史」「女の現代史」「歌の昭和史」「昭和大盗伝」「江戸の事件簿」「日本の遊び」などがある。 

下町で遊んだ頃[子どもの文化]再考-より

「街の芸術論」より引用

 昭和7年の1月、わたしは満14歳で高等小学校の2年生だった。昭和6年の満州事変が起こったころに荒川区東尾久の棟割長屋へ一家5人で引っ越してきた。父は病弱で失業していた。わたしは父母弟妹を食わせるために働かなければならなかった。父は高等小学を中途退学しろといったが、わたしは月謝不払のまま学校へいって、7年の1月から紙芝居の作画をやりだした。
 近くの長屋にくる紙芝居屋が、絵がうまい子どもがいたら買ってやるというので、描かせてもらうと売れた。その紙芝居屋は話の日本社から永松が描いた『黄金バット』を借りて使っていたが、紙芝居の製作貸し出しをやるともうかるときいたので、安い賃銀で描く子どもをさがしていたのである。わたしは台本付き、1枚2銭、1(一日分)一組25枚で50銭の描き賃をもらった。高等小学校へかよいながら日収50銭になった。50銭あると一家5人の最低の食物代になった。

紙芝居昭和史   加太こうじ 著    旺文社文庫 旺文社  1979年10月刊

下町で遊んだ頃[子どもの文化]再考  加太こうじ 著  サンマーク出版  1979年7月刊

下町の民俗学            加太こうじ 著  PHP研究所   1980年8月刊 

小説 黄金バット   加太こうじ 著  筑摩書房   1990年刊

街の芸術論-日本人の涙と笑い  加太こうじ 著  社会思想社 1969年6月刊